第9話 大食いチャレンジ!

「まあ、何はともあれだ、お嬢ちゃんがあれを完食できるとは思わねえ。冷やかしなら帰んな」


「私は本気です。必ず完食してみせます」


 少女は透き通った碧眼を真っ直ぐ大将に向けた。


 俺は少女の横顔を食い入るように見詰めた。自信満々に宣言した少女がカッコ良く見えたからだ。


「……お嬢ちゃんみてえな活きのいい客は久しぶりだ。その勝負、乗ってやろうじゃねえか」


 大将は腕をまくってから下拵えを始めた。湯を切るその背中は、新たな挑戦者の登場に燃えているように見えた。


「見事な腕前ですね。私も気合いが入るというものです」


 カウンターに身を乗り出した少女は、大将がラーメンを作る過程をじっくりと眺めている。服越しでもはっきりと見て取れる規格外の胸がゆさりと揺れ動くのを見た俺は無意識に視線を固定してしまったが、良識を訴える理性の声で正気に立ち返り、かぶりを振った。


 水を一気飲みして一息ついた俺は、少女と大将を交互に見た。


 面白い展開になってきた。ラーメンはすでに食べ終えているが、少女の果敢な挑戦の結末を見届けるまでは帰れそうにない。


「へいお待ち! 当店特製爆盛激辛チャーシューメンだ! 食えるものなら食ってみやがれ!」


 大将はバスケットボール並みに大きい鍋に入った爆盛激辛チャーシューラーメンを少女の前にどんと置いた。


 俺は目を見張った。実物は写真で見るよりずっと大きかった。高く積み上げられた分厚いチャーシューに、これでもかと乗せられたもやし、辛さを表しているかのように真っ赤なスープ、この下にまだ麺が隠れているのかと思うと絶望しかない。


 俺は己の見通しの甘さを恥じた。引退前にこのラーメンに挑んでいたらあえなく撃沈していただろう。食べられないなら初めから頼むな、せっかくの食材を無駄にするな、何をするにしても先ず謝れ、とにかく謝れ、と叩かれていたに違いない。


「わー、美味しそうですね!」


 俺は少女を二度見した。少女は見ているだけで胸焼けしそうなラーメンを前にしていながら、好物のスイーツを目の当たりにしたかのように目を輝かせている。大将も正気を疑う少女の発言に面食らっていたが、額から冷や汗を流すと「面白えじゃねえか」とバトル漫画の強キャラのように笑みを浮かべた。


「制限時間は30分だ。俺がボタンを押したらスタートだ。準備はいいか?」


「いつでもいいですよ」


「上等だ! お嬢ちゃんのガッツを俺に見せてみやがれ!」


 大将は大袈裟な身振り手振りをしたあとでストップウォッチのボタンを押した。


 少女は両手を合わせて「いただきます」と言ってから、小さな鞄からマイ割り箸を取り出した。悠長な出だしに本当に大丈夫か、と心配になったが、杞憂に終わった。


 少女は豪快な箸捌きでチャーチューともやしを掻き込んでいく。喉が渇いているときに飲む水のような勢いでチャーシューともやしが少女の胃に吸い込まれているのだ。威勢よく啖呵を切ったのは伊達ではなかったのだ。俺と大将は呆気に取られながら少女を凝視した。


 そうこうしている内に丼の表面が真っ新になった。通常の三倍の分厚さがある大量のチャーシューを食べきっただけでも驚異的だが、少女の食の勢いは止まることを知らず、間髪入れずに麺に箸を伸ばした。この調子なら完食も有り得る、と期待したのも束の間、露わになった麺の量に俺は度肝を抜いた。


 大人が数人がかりで挑んでやっと完食できる量が眠っていたのだ。


 ここの大将、1万円を渡す気なんて更々ない。俺は詐欺師に向けるような目で大将を睨んだが、大将は今まで出会ったことのない怪物を発見したかのように目を真ん丸に見開き、少女の食べっぷりを無言で眺めている。


 この反応から察するに、少女は今までに出会ったことのない強敵だったに違いない。俺は少女の完食を期待するあまり席を立っていた。


「さすがにちょっと熱いですね。汗が止まらないです」


 少女は額の汗を拭った。汗ばんで透けた白いシャツの下に水色の下着が見える。こんなの思春期男子なら不可抗力で見てしまうのは無理もないが、果敢な挑戦をしている少女を邪な目で見るのは失礼極まりない行為だ。頭ではそう分かっていても、どうしても目が離せなかった。


 少女はケーキを頬張るような顔でずるずると音を立てて麺を啜っていき、残り時間10分を残して麺を平らげた。


 少女は「ご馳走様でした」と折り目正しくて手を合わせた。


 衝撃的な光景に俺は腰を抜かして椅子に座り込んだ。


 少女のシャツが汗で透け透けだ。


 じゃなかった。世の中にはこんな食欲の化け物を飼っている女子がいるのか。世界は広い。よく食べるほうだと思っていた自分が恥ずかしい。


「おっと、勘違いしてもらっちゃ困るな」


 俺は無意識の内に少女の大健闘を称えて拍手を送っていたが、大将は鍋を指差すと「まだスープが残ってる」と指摘した。


「汚ねえぞ爺さん! スープまで飲まなきゃダメなのかよ!」


 俺は席を立って抗議した。スープはまだ半分ほど残っている。少女は大量の具材と麺を食べ終えたばかりだ。飲み干せるわけがない。


「メニューにも完食が条件だと書いてあるだろ。スープも飲めなきゃ完食とは認められねえな」


「相手は女の子だぞ! 負け惜しみなんてみっともねえ爺さんだな! 見損なったぞ! せっかく穴場の美味しい店を見付けたって喜んでたのに!」


「てやんでえばーろーちくしょう! この店は治外法権だ! 暖簾をくぐったからにはこの俺に口答えするのは許されねえんだよ!」


「何が治外法権だ! 覚え立ての言葉を得意げに使う子供みたいな顔で言いやがって! いい年して恥ずかしくねえのか! このエロジジイ!」


「エロガッパに言われたくねえな! さっきから鼻の下伸ばしてお嬢ちゃんの胸ばかり見てたくせしやがって! 人のことが言えるのかよ!」


「これはあれだ、同族嫌悪ってやつだな! すみませんでした!」


「し、白旗上げるのが早えな坊主……」


 俺の謝罪に大将は気勢を削がれた。いやそもそも大将に謝るのは違うか。とはいっても初対面の女子に胸ばかり見てすみませんでしたと謝るのもおかしな話だ。絶対に不審者だと思われる。どう行動するのが正解なのか分からないぞ。

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