第6話 虚無の翌日
▽▽▽
翌朝、目を覚ました俺は横になったままぼんやりと天井を眺めた。
今日は土曜で学校は休みだ。今までは週末の二日に動画の撮り溜めと編集作業を宛がっていたが、YouTuberは昨日で引退した。これからは動画のために奔走する必要はないのだ。
ポジティブ太一のSNSアカウントは昨晩のうちにすべて削除した。ママー・テレサと安人を筆頭にしたファンから別れを惜しむDMが届いていたのを確認した俺は、涙を飲む思いで一人一人にお礼の返信をした。昨日の配信を観に来てくれていた同級生からも励ましのメッセージが送られてきた。全部目を通して返事をするのは大変な作業だった。
「これからどうすればいいんだろうな」
俺は寝返りを打った。部屋に一人で籠っていたら気落ちするのは目に見えている。こういうときは無理矢理にでも何かしらの作業に手を付けて気を紛らわせるべきだ。
何か動画のネタになるようなことはないか、と考えたところで、俺はかぶりを振った。動画のことはもう考える必要はない。これからは気持ちを切り替え、学生としての本分を全うしていかなければならない。
「それができれば苦労しないって話だよな」
興味のない知識を頭に叩き込むのは苦行だ。もっと気楽に自由に生きてみたいものだが、それを叶えるには、人とは異なる努力しなければならない。俺はその可能性をYouTubeに見出して活動を続けてきたが、昨日すべてが終わった。挫折を味わったばかりの気持ちで先の見えない未来に思いを馳せると不安が募るばかりだ。
気晴らしに外に出るか、と考えていると、着信音が鳴った。
スマホの通知欄にメッセージが表示されている。タッチするとラインが起動した。
『お疲れ様です。昨日は友達登録をしてくれてありがとうございます。太一さんの引退は本当にショックでしたが、悩んだ末の決断だと思い、太一さんの前途に明るい未来が広がるのを祈りながら見送らせていただきました。一般人になったあとはそっとしてほしいと仰っていたので、こんなことをしてもいいのかと悩みましたが、太一さんが泣いている姿がどうしても忘れられなくて、つい連絡をしてしまいました。これからはライン友達としてお話ができたら嬉しいです』
ママー・テレサからの丁寧な長文だ。どこかの店で撮ったケーキの写真がアイコンになっている。
ママー・テレサから「ライン友達になりませんか?」とDMが届いたのは引退配信を終えてすぐのことだった。
ママー・テレサは初期の頃からポジティブ太一を応援してくれた古参ガチ勢だ。期待せずに公開していた欲しい物リストから商品を購入してくれた唯一の存在でもある。引退を機にファンとの交流が途絶えるのは寂しいと思っていただけに、ママー・テレサからのメッセージを無下にすることができず、これまでの交流から信用できる人物だと見込んで、ライン友達になることにしたのだ。
「世の中にはこんな良い人がいるんだな」
俺はほっこりした。丁寧な文章から察するに社会人だと思われる。底辺YouTuberだった俺を応援してくれた稀に見る変人だが、こういうメッセージを送れるあたり、気が利いて仕事もできる立派な人物に違いない。いい年した大人がママー・テレサを名乗っているのはちょっと痛いかな、と思わないでもないが、それだけですべてを判断するのは早計というものだ。
『お疲れ様。昨日は配信を見に来てくれてありがとう。これからは一般人として生きていくけど、せっかく応援してくれていたファンと縁が途切れるのは寂しいなって思ってたから友達登録しました。せっかくの休日なのに俺を気遣ってくれてありがとうな』
『いえいえ、そんな。平日も言うほど忙しくありませんから。それより具合はどうですか? ちゃんとご飯は食べてますか? シャワーと歯磨きとお部屋の掃除と宿題は済ませましたか?』
「いやママか」
俺との関係にそういうロールプレイは要らんだろ。
『正直まだ引き摺ってるけど、時間が経てば吹っ切れるようになるかなって思ってる。これから何をするべきか分からなくて困ってるけどな』
『太一さんが言う通り、時間が解決してくれるはずです。ずっと部屋にいたら気が滅入るでしょうし、気晴らしに外出してみたらどうですか?』
「そうだ。俺もたった今そう思ってたところだったな」
俺が外出するときは動画撮影とネタ探しが主だった。振り返ってみると、昨日までは100日間連続動画投稿を成し遂げようと必死だった。久しぶりに何も考えずに当て所もなくふらふらしてみるのも悪くないかもしれない。
『そうしてみるよ。アドバイスありがとうな』
『礼を言われるほどのことではありません。夕飯までには帰るんですよ。帰りに人参と白菜を買ってきて下さいね。塩と醤油も追加でお願いします』
「だから何でママムーブすんだよ」
俺がそんなもん買って帰ってきたらおふくろが訝しむわ。
「とにかく外に出てみるか」
ベッドから起き上がった俺は身支度を始めたが、視界の端に捉えた鏡に映った自分の姿を見て動きを止めた。
ピンク色だった髪が黒くなっている。YouTuber引退を機に昨日のうちに自分で黒染めしたのだ。こっちが本来の姿のはずだが、俺にはまるで別人のように見えた。
「あーもう、言った傍から感傷的になってら。これじゃダメだ」
俺は両手で黒髪を掻き回した。
何はともあれ外出だ。俺はタンスから適当に引っ張り出した私服に着替えてから家を出た。
「あっ、お兄ちゃんちょっと待……」
家のなかから梓が呼ぶ声が聞こえてきたが、玄関の扉を閉めてしまったので聞かなかったことにした。
どうせ帰りにお菓子買ってきてとか、そんなところだろう。
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