第5話 引退配信②

 丁寧な口調でコメントをしてくれているのは、初期から俺を応援し続けてくれたママー・テレサだ。あまり期待しないで公開していた欲しい物リストの中からスピーカーを買ってくれたガチ中のガチ勢だ。


 もう一人は安人(やすんちゅ)だ。活動中期から応援してくれている、何故かいつも後輩ムーブをしてくる奴だ。


 その他にもツールフォト、ハバネロ君、漂う苦といった物好きなファンたちが、俺の心の支えになっていた。チャンネル登録者数と再生数が伸びなくても活動を続けてこられたのは、応援してくれたファンのみんなのおかげだ。


 だからこそ、こんな結果になってしまったのが無念でならない。


「みんなコメントありがとう。言いたいことはたくさんあるけど、100日続けてチャンネル登録者数1000人を越えられなかったら引退するのは初めから決めてたことだから、撤回はしない。今まで俺に付き合ってくれたこと、心の底から感謝してる。本当にありがとう」


 俺は深々と頭を下げた。


『止めて下さい。涙で目が滲んできました』

『太一くんならもっと上に行けますって! 俺で良ければ力を貸しますから!』

『100日がダメなら200、それでダメなら300。もうちょっと頑張ってみようぜ』

『企画には光るものがあった。足りないのは知名度。やっぱり有名YouTuber

とコラボをするべきだった』

『良くも悪くも太一は常識人だった。そういう奴はYouTuberには向いてない』


 俺を慰める声と厳しい指摘がコメント欄に表示された。やっぱり引退はなしにしてもっと頑張るわ、言えるくらい神経が図太かったら良かったんだけどな。


 これまでの活動を思い返すと、鼻の奥がつんとしてきた。最後くらいは笑ってお別れしたいと思ってたのにな。


『太一さん、泣いてるんですか?』


 ママー・テレサのコメントが目に入り、そこで俺は自分が泣いていることに気付いた。


 おかしいな。こんなつもりじゃなかったのに。


 今までの労力と努力を振り返ってみると、全部水の泡になったな、とか、これで終わりなんだな、とか考えてしまい、涙が止まらなかった。


 こんな暗い結末はポジティブ太一に相応しくない。俺は袖で涙を拭い取り、溌剌とこう言った。


「みんな本当にありがとうな! 今日まで付き合ってくれたファンには申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、みんながいたから俺は今日まで頑張れたんだ。残念な結果になったけど、この100日間は充実した日々だった。悔しい気持ちもあるけど、やり切った気持ちもある。この配信が終わったらSNSのアカウントを全部消して、明日からは一般人として生きていくつもりです。もしどこかで会うことがあっても、そっとしてくれると助かります」


 志半ばに引退したYouTuberは俺だけではない。栄光の影には挫折がある。努力が報われなかったのは無念でならないが、ファンのみんなと今日まで盛り上がれたことを思えば、今は悲しくても、良い思い出だった、と振り返ることができる日がいつか来るはずだ。


『太一さんが引退するのは寂しいですけど、悩んだ末に決めたことなら尊重します』

『太一くんマジ寂しいっすよ……』

『まさかYouTuberの配信で泣かされるとは思わなかった』

『お前くらい行動力があったらどこでもやっていけるよ』

『引退してもポジティブは忘れるなよ!』


 熱心に応援してくれたファンから寄せられたコメントに俺は泣き笑いで応じた。


 こんなに素敵な奴らが俺を支えてくれていたんだ。


 この出会いに恵まれただけでも、YouTuberをやっていた意味はあった。


「みんな今まで本当にありがとう! じゃあな! 明日もレッツポジティブ!」


 そう締め括ってから、俺は配信終了ボタンを押した。


「……終わったんだな……これで、全部……」


 俺は背もたれに体を預けた。まるで魂が抜けたような気分だ。


 部屋に籠っていても気持ちが沈む一方だ。俺は一階のリビングに降りた。ソファーは相変わらず梓が占領しているが、何故かテレビを点けずにスマホを見ながら涙ぐんでいた。


 梓は潤んだ目で俺を見ると、目尻から溢れた涙をハンカチで拭った。


「今まで文句ばっかり言ってごめん……お兄ちゃんの引退配信見てたんだ」


「何だ、お前も見てたのか。御覧の通りポジティブ太一は今日で店仕舞いだ。これからは心を入れ替えて一般人・戸張太一(とばりたいち)として生きていくよ。いっそのこと出家でもしてそれを動画にしようかな? ああ、もう引退したんだっけ……」


 乾いた笑いが出た。今日までの100日間はひたすら活動に励んでいた。活動に必要な機材は自分の小遣いで買ってきた。動画編集の勉強にも励んできた。四六時中動画のことばかり考えてきたが、明日からはもうそんなことはしなくていいのだ。


 虚無感が押し寄せてきた。俺はこれから何をすればいいんだろうか。


 ああ、そうか、勉強か。高校生だもんな。来年で三年生になる。同級生の大半は進学に向けて準備を進めている。俺もぼちぼち卒業後の身の振りを視野に入れて行動しなければならないが、高校を卒業した先の人生を思い描くことができなかった。


 あれだけ頑張ってきたYouTuber活動を引退したばかりだ。まだ先のことを考えられるような余裕はなかった。


「明日からネガティブ太一として活動したら? 私応援するよ」


「嫌だよ、そんな辛気臭い名前でやるのは。どんな活動をすればいいんだよ」


 ポジティブ太一は体を張って笑いを取りにいくスタイルだったが、ネガティブ太一の場合はどうすればいいのだろうか。1日に何回も病みツイをしたり、アンチのコメントを取り上げて「どうしてこんな酷いこと言うの!?」と泣き喚いたり、これまでにあった辛い出来事を動画で語って同情を誘えばいいのだろうか。誰がそんな気が滅入る動画を観るんだ。可愛い女の子だったら需要あるのかもしれないけど。


「俺はもう引退したんだ。これからは今までできなかったお兄ちゃんらしいことをたくさんしてやるからな。久しぶりに一緒に風呂にでも入るか?」


「キモイ死ねそれはマジで無理」


 梓は虫を見るような目で俺を見た。


 ほんの数秒前まで泣いてたのに切り替え早すぎだろ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る