第10話 夢の世界を救いましょう
多坂町を覆いつくしていた泥の一部が、間欠泉みたいに空高く舞い上がった。
跳びあがり、空乃と一緒に舞い上がる泥の中から現れた。
自分の姿は、いつの間にかマジカルフレッシュピンクの衣装に着替えている。ステッキを箒に変えて、箒の柄の後ろに空乃を乗せて、空を飛んだ。
状況を見た。
宙を浮いているネコが光の輪っかに締め付けられていて、マジカルチョコレートブラウンとマジカルシャトルーズイエローが泥に飲み込まれる寸前で地面に這いつくばっていて、自分を泥の中に引きずり込んだ魔女が黒いローブをはためかせて宙に浮かんでいる。
四つの視線がいったいなんだと二人に集まった。
「あら、ほんとに戻って来たのね。そっちのなりそこないちゃんも一緒に」
なりそこないという呼称にわずかながらにむかっとする。
「日葵ちゃん、もうやめてよ!」
日葵ちゃん?
「日葵ちゃんって、もしかしてあなたのお母さん?」
「そうだよ。そして町をこんなにしちゃったのも全部日葵ちゃんのせいなの」
親子にしてはまったく似ていない。世界を救う娘と、すべての世界を眠らせる原因である母親。泥の中から引っ張り上げてくれた娘と、泥の中に自分を叩き落とした母親。顔はわからないが言動には天地ほどの違いがある。
「じゃああなたのお母さんを倒せば全部解決ってこと?」
「え、いや、どうなんだろ?」
聞かれても困るのだが、しかし日葵をこのままにしていてはいけないと思う。彼女にこのまま好き勝手されては、たくさんの人の夢を壊すなり塗り替えるなりができなくなってしまう。
「やっと四人が揃ったね。遅いんだよ」
ネコが喋った。見た目からはよくわからなかったけど、どうやら結構おばあちゃんのネコらしい。
「おばあちゃん。ねえ私たちどうしたらいいの?」
「ん? あのネコあなたのおばあちゃんなの?」
「うん」
どんな家族だ。世界征服を企む母親と、宙に浮かんでいるネコのおばあちゃん。父親もきっとものすごい人物に違いない。
「四人のステッキを合わせて、グランドウィザードフォームと叫びな。四人の絆で新たな力を手にするんだよ! それでバカ娘に熱いお灸を据えてやりな。それで全部が終わりさ」
「グランドウィザードフォーム⁉」
「それで日葵ちゃんを倒せばいいんだね。わかった」
空乃がわかってしまったのなら仕方がない。実行あるのみだ。
「だけど、あなたのお母さんは、私たちがその、グランドウィザードフォーム? になるのをみすみす見逃さないと思うけど」
空乃に話しかけるが、空乃が話している途中にぱっと視線の向きを変えた。自分もつられて、空乃と一緒の方向に首を向けた。凜花と色奈の二人がこっちに向かって飛んでくるのが見えた。自分で制御した飛び方ではなくて、無造作にものすごい力で放り投げられたみたいだった。
自分が色奈を抱えるように受け止めて、空乃が凜花をおでこ同士がぶつかるように受け止めた。
色奈が腕の中で親指を立てて、
「ナイスキャッチ」
凜花が自分のおでこではなくて空乃のおでこを心配した様子で、
「ごめんなさい。今度私のおでこを削ってくるわ」
「なんで削るの⁉」
遠くにいる日葵がなぜかすぐ傍にいるような錯覚を覚える声で、
「なってみたらいいと思うの。グランドなんちゃらに。私も見たいし、あなたたちもなりたい。利害の一致でしょ?」
「なんでそんな、」
自分にとって不利なことをするのかがわからない。
空乃が赤くなったおでこをさすりながら言う。
「日葵ちゃんは好奇心の塊だから、自分が見たことないものは積極的に見ようとするんだよ。あとすごい自信家だから私たちがなにをしようと無駄だって思ってるんだと思う」
なんとも傲慢な話だ。しかしだからこそ彼女に一泡吹かせてやりたくもなるというものだ。
四人は、一本の箒の上で態勢を安定させるように密着した。凜花が、拳一つ分ぐらいの距離にいる空乃をちらりと見て、嬉しいような申し訳ないようななんとも言えない表情をしていた。
「じゃあステッキを」
空乃がステッキを掲げたのを見て、三人は頷き、自らのステッキを空乃のステッキに触れ合わせた。だけど空乃と凜花と色奈が「えっと、なんて言うんだっけ?」という顔をしていたから、
「グランドウィザードフォームでしょ」
「そうそれ、さすが果澄ちゃん」
私は、果澄じゃないけど。
四人の視線が、触れ合わせたステッキに集まった。そして、四人でグランドウィザードフォームと同時に叫んだ。四人のステッキの先から溢れんばかりの光の粒子が放出されて、光の粒子は躍るように周囲に満ちて、それはリボンのような装飾品や真珠のような輝きのヴェールに形を変えて四人の体を包み込んだ。衣装が変わる。それぞれのとんがり帽子に、それぞれの色の宝石の埋め込まれたリボンが彩られた。それぞれのフリフリの衣装に、白鳥の翼を想起させるヴェールが追加された。その他にもスカートの丈が長くなったり、衣装の色味が濃くなったり、レースの入った手袋には指輪と腕輪がはめられたりしている。髪の毛だって勝手に伸びて、人によってはツインテールになったりポニーテールになったりしている。
光の粒子が消え去った。荘厳な姿になった四人が姿を現した。透明の足場に立っている彼女たちを、世界征服を企む魔女がつまらなそうな顔をした見上げている。
「着替えただけ? 面白くない」
空乃がステッキの先を、実の母親である魔女に向けた。ステッキの先が光った、と思えば光速のビームが放たれた。ビームの機動はわずかに魔女を逸れ、コンクリートの地面を抉り、そのまま上方向に移動したビームが多坂町に面している海を割った。魔女の視線がだいぶ遅れてビームの軌跡をなぞった。表情は見えないけどきっと驚いているに違いなかった。
「いますぐ町を元通りにしないと、今度は当てるよ日葵ちゃん」
ネコが喋る。
「そうさい。あの子たちの光線にはあんたを夢から弾く力があるんだよ。それがグランドウィザードフォームの能力さ」
ネコの言葉などどこ吹く風。言われた当人は、頭を左右に二回振ってふふふと笑っている。
「当ててみたら?」
魔女は別に驚いてなどいなかったのかもしれない。その言葉には微塵の動揺も感じることはできなかった。魔女は虎の爪のような形の手で前髪をかき上げて、しっかりと自分の目で自分の娘をまっすぐに見つめた。その目ははやくビームを撃ってみろと挑発しているに違いなかった。
動揺したのは空乃のほうで、ビームを撃つかどうかすっかり悩んでしまって動きが止まっている。
だけど、色奈と凜花は空乃の心境などお構いなしにビームを撃った。
魔女の体に二つの穴が空いた。
凜花が「いや、当ててみたら、って言われたから撃ったし、別に悪いことじゃないわよね。そうよね! ね⁉」とまるで自分に言い聞かせるようにぶつぶつと呟いて、色奈が「これで世界は救われた」とこっちに向かってブイサインを見せてくる。
よく撃ったなと思う。
だけどこれで町は、そして世界は救われたのだ。自分はいっさい何もしていないけど、これですべてが終わったのだ。控えめなブイサインを作って、それを色奈に見せて、人を撃ってしまった罪悪感に苛まれている凜花をどうにかなだめようとして、
「あんたたち、まだ終わってないよ!」
ネコが叫んだ。「うわ、あれ」と空乃が魔女のいた場所に指をさした。
指の先に視線を送ると、魔女の二つの穴から栓の壊れ水道みたいに泥が溢れてきているのが見える。魔女の体は泥に覆いつくされて、足下の泥に溶けるように沈んでいく。
魔女が消えた。
かと思えば、町を覆いつくしている泥がいくつも盛り上がって、それがすべて魔女の姿になった。
「さっきのは偽物。どれが本物かわかる?」
何万人にもなった魔女が一斉に言葉を喋った。重なる言葉が鼓膜を通して脳を直接揺らすようだった。
町を埋め尽くすように出現した魔女の、ほとんどが偽物で、その内のどれかが本物。
真偽を見極めるには限りなく途方もない時間が要される。消費されていく時間で徐々に世界は眠りに支配されていく。
いっそのこと、このままでもいいのではないか。
自分が果澄ではなく、夢の世界の一部であるのなら、いっそのことすべてが眠りにつけば永遠に覚めることのない夢の中で生き続けることができる。自分本位だ。わかっている。空乃も凜花も色奈も当たり前に訪れる今日を求めているのに、自分はいつ閉ざされるかわからない今日をどこまでも享受しようとしている。だけどそれの何が悪いというのだろう。自分の存在が消えてしまうことがわかっているのに、進み続ければそこに断崖絶壁が待ち受けているのがわかっているのに、馬鹿みたいにそのまま走っていくやつなんてそんなものはいないに決まっている。
だから思う。
走り続けた先に、いったいなにがあるのかだと思う。
空乃がいる。凜花がいる。色奈がいる。笑顔になってくれた少女がいる。夢で出会ったたくさんの人がいる。本物の果澄だって、そこにはいる。
自分が手に入れることのない現実が、数えきれないくらいにたっくさんある。
生きたいけれど、それらを奪ってまで生きたくはない。これも自分に正直な気持ちだ。
だったらやることは決まっている。
今を精いっぱいに生きて、新しい未来を紡いでいこう。
空乃たちがたくさんの魔女を見ていったいどうしようかと悩んでいる。決まっている。突き進めばいい。
「私たちだけで無理なら、もっとたくさんの力を借りよう。この町には私たち以外にも力になってくれる子がいるはずだよ」
その言葉を聞いて、空乃がなにかを思いついたようだった。透明の足場を走り出し、まっすぐに海のほうへと向かって行く。なにをするのかわからなかったけど、その突き進む背中を追いかけずにはいられなかった。
そして二人して透明の足場から飛び降りた。
二人の落下を阻もうと泥の濁流が蛇のような動きで迫ってくる。後方からビームが飛んできて泥の蛇が空中で爆発四散する。後ろを見れば凜花と色奈が必死になって行く道を邪魔する泥を攻撃していた。だけど対処にも限界があって、竜巻のように螺旋を描いた泥がこっちを飲み込もうとしているのが見えた。
「マジカルプロテクションアッピア!」
半透明のピンク色の防壁を張って、泥の動きを止めようとするけど防壁の大きさが泥の大きさに見合っていない。防壁ごと飲み込もうとする泥を見て、自分の手は咄嗟に空乃の足を掴んで、自分の方に空乃の体を引き寄せた。
「果澄ちゃん?」
目を丸くした空乃がこちらの名前を呼んだ。私は果澄じゃないけど——まあ別にいい。
「大丈夫、そのまま進んで」
きっとその道は正しい道だから。
引き寄せた空乃の体を生みに向かって思いっきりぶん投げる。
視界が、すぐに泥に攫われて、空乃の姿が掻き消えた。これでいい。きっとどうにかしてくれる。そんなよくわからない確信があった。
そして数秒後、自分の視界は真っ青な夏の空に切り替わっていた。
空に映り込んでいるのは、数え切れない数の空を飛ぶペンギンたちだ。
ロケットみたいに速く飛ぶ彼らは、多坂町に蠢く泥をことごとく貫いていく。魔女の偽物たちも同じように貫かれていく。多坂町が徐々に元の姿を取り戻し始めている。
「いっけー!」
ペンギンの背中に乗った空乃がペンギンたちと一緒に空を飛んでいる。凜花と色奈も負けじと箒で空を飛び、泥をビームで次々と払っていく。こっちだって負けていられない。箒で空を飛び、ミサイルとかレールガンとかを撃ちまくった。
そして、あんなにもたくさんいた魔女がいつの間にかたったの一人になっている。
見つけた。
あれが本物だ。
「面白くない」
魔女がそう言って、なにもなかった空間にドアノブのついた木のドアを出す。ドアノブに手をかけ、そのままドアの向こうの宇宙みたいな空間に逃げようとしている。
逃がすものか。四人の魔法少女は飛んで、あるいは走って全力で魔女の元に近づいていく。ビームはぜんぶ泥に防がれる。魔女との数メートルがどうにも埋まらない。
——ここは夢だ。そして私は夢だ。
この世界は、魔女のものなんかじゃない。
この世界は、全部が私のものだ。
望めば形を変える世界であれば、魔女に仕返しをするぐらいは楽勝にできるはずだ。数メートルなんて簡単に届かせてみせる。
想像する。
もしも世界が逆さまになれば——
世界は変わる。
空が地面に、地面が空に。
空に向かって、多坂町に存在するすべてが落ちていく。
ドアに向かっていた魔女の足が、踏みしめるべきものを消失して重力落下していく。落ちていく自分に気づいて、魔女は空中に接着剤でへばりついたみたいに静止した。
「魔法使いにとっては、天も地も一緒よ?」
まだ足りない。
もしもすべてのペンギンがクジラになれば——
数えきれないペンギンの群れが、数えきれないほどのクジラの群れになった。
空間は圧迫され、必然的に四人の魔法少女が押し出されて魔女に近づいていく。
魔女の顔を見れば、余裕そうな顔をしている。魔女は顔の横に持ってきた指をパチンと鳴らし、なにもなかった空間に数万を超えるマスケット銃を出し、すべてのクジラに向けてその銃口を合わせて放電を伴う発砲をした。電磁加速した銃弾がクジラの体を貫いた。クジラの体が風船みたいな勢いで破裂する。
もしも町のすべての建物が大砲になれば——
多坂町にある、誰かの住んでいた家も授業を受けていた学校も汗を流した体育館もパフェを食べた喫茶店もおばあちゃんに見守られた駄菓子屋も、煙突みたいな大砲がその屋根から生えてきて、大音量を重ねて魔女に向かって砲弾を解き放った。マスケット銃の銃弾を弾きながら大質量の砲弾が魔女の逃げ場を殺すように魔女を包囲した。倒したと思った。
「ヴァルプルギス」
砲弾が一瞬で消失した。
渦を巻くブラックホールが、すべてを飲み込んでいた。それは砲弾だけではなくて、夢という空間そのものを飲み込んでいくようだった。
あれに飲み込まれたらまずいと直感する。夢が覚めてしまう前に自分の存在が消えてしまう。
だけどそうはならなかった。
魔女に飛来したのは、虹の拘束具と、花の檻と、雲の盾。魔女の動きは封じられ、ブラックホールの引力は雲の盾に阻まれている。
魔女は初めて焦った顔を見せる。
そこに追い打ちをかけるように空乃が言った。
「一応言っておくけど、お父さんは世界なんてもらっても喜ばないからね」
魔女は衝撃的な表情を空乃に向けた。
果澄が、それに構わずにステッキの先を光らせて、魔女に照準を合わせてビームを放った。
魔女の存在は夢の世界から弾き出された。
夢の世界は、こうして救われた。
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