第4話 お菓子の国
なんて話をされても果澄には正直なところよくわからない。
魔法使いは知っているけど、彼らはすでに衰退しており、彼らのできることなんてちょっと空を飛んで見せるぐらいで、世界中の人間を眠りにつかせるなんてスケールの大きなことをやってみせるようなとんでもない人物であるというイメージがない。
「それでいま協力者を募ってるの。三つの枠の内の一つをあなたにお願いしたいんだけど、どうかな。今ならマジカルフレッシュピンクとマジカルチョコレートブラウンとマジカルシャトルーズイエローを選べるんだけど、」
だけど彼女も言っていた。
これは夢なのだ。
夢ならばどうする。
くだらないと一笑に付して見てみぬふりをするか、夢だからとふっきれて彼女に手を貸すか。
考え方を変えてみよう。
どっちが楽しそう?
迷いはなかった。
「それじゃあ、マジカルフレッシュピンクで」
だけど思う。
マジカルフレッシュピンクっていったいなんだろう。
▽▽▽
夢の世界では思ったことが現実になる。夢の世界だから現実になるという言い方はちょっと違うかもしれないけど、とにかく空乃と同じようなコスチュームを着れば大抵のことができるようになる。
場所は住宅街の一角の家の庭で、そこには四歳ぐらいの女の子がいる。女の子は芝生に敷かれたビニールシートに座っている。小さなテーブルが女の子の前にあって、その対面にはわたあめみたいなマスコットキャラクターがいた。宙を躍るティーポットやティーカップを使って、彼女たちはおままごとをしているようだった。
その光景を前にした果澄は、深呼吸を一つ挟んでから魔法のステッキを掲げて、そのまま炎を出したいと念じて、マジカルフレイムアッピアと唱えて——女の子の対面にいたマスコットキャラクターをものすごい勢いで燃やす。
わたあめのキャラクターがやけに甲高い断末魔を上げる。炎の熱の余波で、おままごとに使っていたティーポットとティーカップが音を立てて割れた。芝生も燃え、家も焼失し、あらゆるものが炎に包まれていく。
目の前の悲劇を、傍にいた四歳ぐらいの女の子が啞然と目にしている。
果澄は胸が苦しくなったけど、人の夢の核を壊すことが現実の世界を救うための方法らしく、核を見極めるためにはステッキの先のハート形の宝石を覗きこみ赤いもやもやしたオーラを見つける必要がある。今回はわたあめのキャラクターにもやもやなオーラがまとわりついてたから、果澄は火炎放射器のようにキャラクターを燃やしたまでである。
目の前の悲劇は、世界を救うためにはしょうがないことなのである。
「しょうがないんだよね?」
隣の空乃に話しかけるがなぜか空乃は一歩引いている。なんでそんなに酷いことができるのみたいな顔をしている。
壊すっていうのはもしかしたらこういうことではないのかもしれない。
「まあ、合ってるんだけどまさか女の子の目の前で燃やすとは思わなかったな。もしかして果澄ちゃんって鬼畜?」
「鬼畜って。いや、鬼畜ではないと思うけど、でも、夢を壊せっていったのはあなたでしょ?」
「そうなんだけど、別にも方法があるんだよ。それも聞かずにいきなり炎を出して、しかもあんなにひどいことをするんだもん。ちょっとびっくりしちゃった」
「じゃあどうしたらよかったの?」
唖然とした表情から今にも泣きだしそうな表情になった女の子に空乃は顔を向ける。空乃はそれから女の子を安心させるような笑顔を作って、
「見てて」
果澄は空乃を見た。たくさんの涙を目に溜めた女の子だって、空乃の見ててという言葉につられて空乃を見た。
二人の視線を受けた空乃は見せびらかすようにステッキを頭上高くかかげた。そして、ステッキの先からピンク色のクリームを大量に空に放った。ピンク色のクリームは頭上を埋めつくし、やがてそれは重力に従って落ちてきて、周囲に燃え上がる炎の群れごと辺り一面をピンク色に染め上げた。空乃はそれからもステッキの先からピンク色のクリームを放ち続けている。
果澄には、空乃がなにをしようとしているのかがわからない。
炎を消すだけならこんなに派手なことをしなくたっていいじゃないかと思う。だけど傍にいる女の子の顔を見ればわかる。女の子は、これからなにかが起こることを期待している。さっきまで涙が流れようとしていたことなんてすっかり忘れているみたいだった。
周囲を見れば、辺りはピンク色に包まれている。さらに目を凝らせばピンクの平面に形を成したクリームが見受けられる。
「次だよ」
空乃が、ピンク色のクリームの放出をやめた。そしてステッキの先から次に出したものは、イチゴとかリンゴとかバナナとかのたくさんの果物と、クッキーとかゼリーとかぺろぺろキャンディ―とかのたくさんのお菓子だった。それらが流星のように流れる。次々に辺りを着飾っていく。
「お菓子の国だ」
女の子が呟いた。
果澄の目の前の光景は、まさに女の子が呟いた通りのものだと思う。
甘い匂いを漂わせるお菓子の家たち、わたがしを吹き出しながら走るビスケットの車、キャンディに三色が灯る信号機、でっかいリンゴの中身をくりぬいて作られたバス停、フルーツが島になっている広大なクリームの海、見上げても頂上を見ることのできない何層にも重なったケーキ。
女の子は目を輝かせ、しかしなにかを思い出したのかすぐに顔を俯かせて、
「ワアちゃんがいたらな」
果澄が燃やしたマスコットキャラクターの名前だろうか。とんでもない罪悪感が果澄の胸をちくりと刺し、自分になにかできることはないかと考えた。空乃のお菓子の国だけではまだ女の子を笑顔にするには一歩及ばない。彼女のためにできることはなんだ。思い出してみる。マスコットキャラクターはわたがしみたいな形をしていた。果澄の目の前を横切っていたビスケットの車は、マフラーから大量のわたがしを排出している。あれだ——果澄は自分のステッキを振りかざし、宙を漂うわたがしを一か所に集めた。
「ちょっと待ってて。うん。よし——マジカルキャラクターアッピア!」
果澄の腕が回らないぐらいの大きさのわたがしに向かってステッキを振りかざす。呪文を唱え、わたがしの内側がもぞもぞと胎動するように動き始める。——きっと、彼女の涙を消し飛ばすには自分のしたことを帳消しにするだけでは足りない。果澄が奪ってしまった彼女のお友達を甦らせるだけでは不十分だ。だから、果澄のたどり着いた答えは至極単純明快だった。
女の子の失ったお友達が一人なら、お友達を一人じゃなくてたくさんに増やしてしまえばいいのだ。
わたがしがその形をゆがめた。たくさんの何かが母のお腹を蹴るようにぼこぼこと形が変わる。形の変化に耐えられずにわたがしはついに花火のように弾けた。
その破片の一つ一つに手足が生えて顔が作られ、それらはやがて果澄の燃やしてしまったマスコットキャラクターの形になった。マスコットキャラクターたちは一斉に女の子の元へと飛んでいく。女の子はわたがしのマスコットキャラクターに囲まれ、そのまま雲に包まれるように空に浮かんだ。
女の子が笑う。ふわふわな感触を確かめ、周囲のキャラクターたちをぎゅっと抱きしめた。
女の子の笑顔を見ると、果澄もなんだか頬が緩んでしまう。
空乃がこっちに向かって、まるでスキップするみたいに近づいてくる。
空乃はそのまま手のひらでイチゴを跳ねさせながらくるりと一回転し、腰に後ろ手を回して、やっと動きを止めて果澄に向き合った。
「これがもう一つの方法だよ。その人が見ている夢よりも、もっと夢中になるものを作っちゃえば夢の核が勝手に壊れちゃうの。ただ壊すのってなんだか悲しいからどうしたらいいのかなって考えて、それで何度か試した中で、これが、みんなが一番幸せになる方法かなって思ったの。もちろん悲しい夢だったらそのまま壊しちゃえばいいんだけどね」
不思議な子だと思う。
一つの町の、さらには世界のピンチなのに彼女は目の前の人の幸せを考えている。おばあちゃんから言われたこととは別に、自分でなにかを考えて最善の道を選んだ。
果澄にはそんなことができるだろうか。
果澄の人生は、親の言いなりの人生だ。
それは当たり前のことだと思う。子供の時代を経て大人は大人になっていく。つまりは経験豊富であり、将来に必要なことの取捨選択が、果澄なんかよりもよっぽど優れているということである。だから塾にも通うし、ピアノも習うし、学校の生徒会長にだってなってみせる。
だってそれは将来に必要なことだから。果澄がなにかを選ぶにしたって、将来の役に立つかどうかは不透明なのだ。
小学四年生の頃に新しくクラスメイトになった女の子と仲良くなった。彼女は名前を千草と言って、彼女は周りからちーちゃんと呼ばれていたので果澄もそれに乗っかってちーちゃんと呼んでいた。ちーちゃんはテストの点がいいわけでもなく、運動がすごく得意ということもない普通の子だったけど、彼女には彼女にしかできない特技があった。
折り紙だ。
パックンチョはもちろん、手裏剣だって作れる。鶴なんて当たり前のようにアレンジを加え、たくさんの種類の花を折れるし、どうやって折っているのか見ても全然わからない立体的な動物なんかも折ることができた。
果澄はそれに触発されて折り紙にはまった。色々とちーちゃんに教えてもらった。とても不格好な果澄の作品も、それなりに練習をしたらちゃんとした形になってなんだか嬉しかった。
それを見ていたクラスの女子たちにも折り紙ブームが伝播し、全員が試行錯誤してきれいな作品を作り上げていき、虹よりもたくさんの色を持つそれらは、黒板の横に両面テープでくっつけられた。壁に彩られた折り紙たちを見て、クラスの男子たちも折り紙に興味を持ち始めた。
クラスのみんなが折り紙にはまったのだ。
すごく楽しかったことを覚えている。
自分の作品を見せ合い、自分のほうが上手く折れたのだと自慢しあっていた。
誰にも負けたくなかったし、もちろん誰かに勝つためには努力が必要だ。果澄は放課後の塾をさぼって、折り紙の特訓を開始した。公園の木製のテーブルの上で友達と一緒になってたくさんの折り紙を折っていた。
そこにお母さんがやってきた。
友達とさっきまで笑い合っていたことがまるで嘘のように空気が凍って、お母さんは、凍った空気とは真逆に果澄に向かって烈火がごとき怒鳴り声を上げた。なにを言われたのかは憶えていないけど果澄はこの時に嗚咽が止まらないぐらいに泣いたことは憶えている。周りの友達がどんな表情をしていたのかもわからないまま、お母さんに腕を引っ張られて果澄は無理やりに家まで帰らされた。
家の中でももちろん説教が続いた。
しかし、さっきまでとは打って変わった諭すような口調の説教だ。塾を通うためにはお金がかかっている、塾に行かなければそのお金はドブに捨てられたも同然だ、いい学校に行くためには勉強が必要だ、どれだけ勉強をしているのかで将来の選択肢の幅は広がる、これはすべてあなたのために言っている、あなたに期待しているからこそ厳しくするのだ、——だから、ちゃんとできるわね?
首を縦に振らなければならない力がお母さんの言葉にはあった。
そして頷くことで、果澄の中でそれが正しいことなのだと喉元をすんなりと通り過ぎていった気がした。
世の中にはシステムがある。
学校というルートがあって、学力というステータスによって良い学校に行くことができ、就職というゴールはそれらの積み重ねによって導かれていくのである。人生は一度きり。道を踏み外したらやり直しなんてきかず、先達の知恵をことごとく利用して正しい道を一歩一歩踏みしめていかなければならない。それが上手な世渡りのシステムというやつで、寄り道ばかりしていたらいつかはきっと軌道修正ができないほどに道を大きく踏み外してしまうかもしれない。
次の日から、果澄はちーちゃんと遊ぶことを止めた。
あんなにも熱中していた折り紙も、外側から眺めてみればどうしてあんなにも熱中していたのかがわからなくなる。紙を折ることのいったいなにが楽しかったのだろうか。
そうだ。
きっと大人になってしまえば子供の頃のすべての出来事がそのように思えてくるに違いない。
だから楽しいなんていらない。
そう思っていたのに。
空乃が言った。
「それにしてもすごいね。ワアちゃんをあんなに増やしちゃうなんて。私じゃ思いつかなかったよ」
褒められて悪い気はしない。
「私だって、お菓子の国を作るなんて思いつかなかった。っていうよりワアちゃんって人気なキャラクターなの? 全然知らなかったけど」
「日曜の朝のアニメのキャラクターだよ。すっごく可愛いから果澄ちゃんも一回見てたら?」
「いや、私は——」
そんなものを見ている暇はないと言おうとして、やっぱりやめた。
「今度見てみようかな」
空乃が子供みたいに笑って、
「うん!」
そして頭上高く、たくさんのマスコットキャラクターに包まれた女の子が、
「お姉ちゃんたち、ありがとー」
果澄の言動一つで、こんなにも喜んでくれる人たちがいるのならまだ自分も捨てたものではない。
ここは夢だ。
だったら普段ではできないような、色んなことをやってみたい。夢だからそう思えるのだろうか、現実の自分もこんな世界を望んでいたのかもしれない。
なんにしてもだ。
マジカルフレッシュピンクを選んだ自分は、きっと間違っていなかった。勉強のことなんて全部忘れてやりたいことをただやってみる。
「さあ果澄ちゃん、次の世界にいこ」
空乃の伸ばした手を見つめ、自分の頭のとんがり帽子を片手で抑え、そしてもう片方の手で空乃の手を掴んだ。
目の前に虹色の渦——夢の通り道が生まれる。
それに向かって一歩を踏み出す。胸の奥が歩くごとに躍り立つ。
心からこんなにも笑っている自分を感じるのは、ずいぶんと久しぶりな気がする。
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