第4話 メタモルフォーゼ
今までの話を聞いて、空乃は案外いい幽霊じゃんという感想を持った。口うるさそうではあるけれど邪険にするようなものではない気がする。それに会話が成り立つのなら、互いの丁度いい落とし所を見つけられそうなものである。
「時雨沢さんはその幽霊さんをどうしたいの?」
「祓ってもらいたいのよ。四六時中こうもやかましいとさすがに気が滅入るっていうか、そのせいで最近は体の調子も悪く感じるし」
テーブルの上で、ほっぺたをぷにっとさせた日葵がこともなげに言う。
「幽霊に憑かれているもの、最初はよくても、段々とそっちに近づくから体調ぐらい悪くなるよ」
日葵の言葉の意味を捉えきれずに空乃は、
「そっちってなに? 近づくって?」
「そりゃ幽霊のいる世界に決まってるよ? そっかあ、結界には幽霊が入ってきたのね。だから変な感じがしたんだ。へえ」
「え、待って、幽霊のいる世界ってあの世ってこと?」
「うん? あの世なんて存在しないわ。そんなことを信じてるなんて空乃ちゃんもまだ子供ね」
ふふ、と日葵が笑う。
そして続ける。
「幽霊は精神世界の住人でしょ? それなのに声だけとはいえ、こっちの世界に干渉してきてるってことはね、凜花ちゃんの存在を一部分だけ借りてるってことなの。そうやって凜花ちゃんの存在がこっちの世界とあっちの世界で混在しちゃえば、体の調子が悪くなったり意識が朦朧としちゃったり、まあ極端な話で寿命が縮んでしまうの。大変ね」
さらっととんでもないことを言っている気がする。
空乃がなにかを言うよりも早く、凜花がどこをみているのかわからない瞳で、
「私って死ぬの?」
空乃は無責任に大丈夫とも言えない。
「ど、どうなの日葵ちゃん?」
「すぐには死なないわ。それに悪い幽霊じゃないみたいだし、寿命が縮むって言ってもそれもほんの数年じゃないかしら? それに幽霊とお話なんてとっても楽しそう。そのままでもいいと思うわ。私はそう思う」
ちゃんとした位置に顔を戻して日葵は微笑みながらそんなことを言う。
だけど寿命が縮むといって黙っていられるわけもない。空乃が凜花の立場なら絶対にそう思うはずだ。ショックにも思うはずだ。そう思って凜花の方を見てみると凜花は「へえ、まあ私にふさわしい末路じゃない」なんてことを言っている。たぶん、虚勢だろう。後ろ向きなことはよく言うけど今回はさすがに声が震えている。目も泳いでいる。
「幽霊を祓う方法はないの日葵ちゃん?」
「えーこのままでもいいと思うけど。それに幽霊に関しては魔法使いの分野ではないのよね。知り合いのイタコにちょっと聞きかじったぐらいの知識だし」
「その知識を教えて」
空乃は前のめりになって日葵に顔を突き合わせる。
日葵は、顔を左右に何回か揺らした。
「うーん、いいけど。えっとね、幽霊って生前の思い入れのあるものに憑りつくの。それは場所だったり人だったり。そしてやっぱりなにか無念を抱えてるの。その無念が幽霊をこっちの世界に繋ぎとめていて、うんと、なんだったかしら。つまり、幽霊の無念を晴らしてあげちゃえば幽霊は勝手にいなくなっちゃうのよ」
「なるほど、人助けだね」
「まあ、そういうこと? だから、幽霊が誰かっていうのを知るのがいいと思うわ。凜花ちゃんに関わりのある人だと思うから、簡単にわかるはずよ」
日葵にしてはやけに明瞭に解決策を用意してくれた。だからこその嫌な予感があった。
嫌な予感はたぶん的中する、空乃は日葵の目に輝きが満ちていくことを見逃さなかった。
凜花もなにかが起こることを察したのか、身震い一つした。
「だからそれを知る前に、凜花ちゃんを研究したいの。ねえ? 情報はタダじゃないよ? もしかしたら幽霊を使って世界征服が実現できるかもしれないもの。せっかくの機会だし。だから私の部屋へどうぞ、凜——」
目の輝きを宙に残していきなり日葵は立ち上がった。さっきまでのだらけていた態度が嘘みたいな俊敏さだった。凜花は、自分が無理やり捕えられて実験体にされるのではないのかと目をつむった。ぐっと拳を作って歯を食いしばって、来たるべき衝撃に備えている。しかし衝撃は来ない。それもそのはずで、日葵は猛ダッシュでリビングから出ていっただけなのだ。体の力を抜いてゆっくりと目を開けて、凜花はそれから拍子抜けしたような顔をした。
「あ、あなたのお母さんどこ行ったの?」
空乃は慣れたような調子で、
「お父さんが帰ってきたんだと思う。日葵ちゃんが家の結界がどうとかって言ってたでしょ? それってお父さんが帰ってくるのを事前に知るためのものなんだ。だから今のうちに家を出ちゃおうか。このまま家にいたら日葵ちゃんになにをされるかわからないし」
はあ、と明らかに理解できていないけど相づちを打つ凜花。
空乃は、そんな彼女の手を取り立ち上がらせる。
手が触れ合ったことによる狼狽で、この時に凜花が顔を真っ赤にしていることを空乃は知らない。突然の接触は、凜花に声を出す暇も与えなかったのだ。
日葵が開けっ放しにしているドアを出る。そのまま廊下に出て、さらに玄関を出ようとしたところで、
「ただいま」
スーツ姿の男性が入ってくる。
「あ、おかえりお父さん」
空乃の父——星一は空乃の姿を見ると柔和な笑顔を作った。見るからに人の好さそうな顔をしている。かけている黒ぶち眼鏡を、ヤクザのしていそうないかついサングラスに変えてみたって、その柔和な雰囲気からサングラスの奥から優しさがあふれ出してしまうような感じだ。彼は空乃の隣の凜花に気づくと、「空乃のお友達かな」と丁寧に頭を下げて「空乃がお世話になっています」とこれまた丁寧に挨拶をした。
大人からこんな対応をされたことのない凜花は、おろおろと目を泳がせることしかできていない。もちろん返事などできない。それを意にも介していない星一は優しく凜花に笑いかけ、「もう帰るところかな? お構いもしないで申し訳ない。だけど僕も忘れ物を取りにきただけでね。それを取ったらまたすぐに会社に戻らないといけないんだ」
「だから帰ってくるのが早かったんだ」
「うん。でも晩ごはんには間に合うように帰ってくるから。お母さんはいるかい?」
「たぶんもうすぐ来るよ」
空乃が言うと、たしかに廊下から足音が聞こえてくる。近づいてくる。足音の主はもちろんのように日葵で、しかしその姿は一分前とはまるで別人である。顔を隠すぐらいに長い髪はちゃんと綺麗にセットされているし、着ていたジャージは避暑地のお嬢様のような清楚なワンピースになっているし、猫の妖怪かと思うほどの猫背はまっすぐとは言えないまでもかなり矯正されている。
空乃はこの変貌っぷりになれているが、凜花は近づいてくる人物が誰だかわからずに挨拶をしようかしまいかを悩んでいるようだった。
「おかえりなさい星一さん。今日は帰りが早いようだけど、なにか忘れ物ですか? それとも私に会いたくて早めに帰ってくれたとか……やだ、私ったら自意識過剰かしら。キャっ」
星一は日葵の消え行く最後の方の台詞を聞き取れていないようで、
「忘れ物をしちゃってね。またすぐ会社のほうに戻るよ」
日葵は明らかにがっかりした様子だ。
星一はそんな様子の日葵を疑問に思いながら、革靴を脱いで家にあがった。そして日葵のほうに近づいていく。日葵のおでこに手を触れさせる。そのまま自分のおでこにも手を触れさせる。
「具合が悪いのかと思ったけど気のせいだったみたいだね。熱はないみたいだ」
星一は空乃からは見えないけどほっとするような笑顔を作ったはずだ。
その瞬間に日葵の顔から蒸気が上がったように見える。顔は真っ赤になって、背筋は定規みたいにまっすぐになって、そのままの姿勢でスローモーションみたいに背中から倒れていく。それを星一が地面すれすれのところで両手で支え、ど、どうしたんだい日葵さんと狼狽するような声をあげている。
え、あ、あれがあなたのお母さん?
なんてことを言っている凜花を横目にして、空乃は靴を履き、凜花に向かって手をこまねきながら玄関を出る。
「いつものことだから気にしないで」
若干後ろを気にしながらも、凜花は空乃に続いて玄関を出た。
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