第3話 第一回ペンギン会議
空乃の立場は、話し合いを取り仕切る役だ。
だけど、人間に対しても、空乃はそんな重要な役をしたことはない。こういう場合はまず議題を決めるんだっけ、いやいや自由に話し合わせて度々に軌道修正していくほうがいいのかな、まあでもとにかく喋りたいことを喋らせたほうが溜まっている鬱憤も晴れるかもしれない、そうしたら後々の会話がとってもスムーズに進むかもしれない、そんな風に考えていざ自由に話し合わせてみれば、もうしっちゃかめっちゃかな有様だった。なんだか汚い言葉が飛び交って、すぐにでも暴力行為が行われそうな勢いだ。
空乃は、ペンギンたちの間に割って入るように、
「はい、フリートークはもうおしまい。次はちゃんと私が進行をしていきます。そうだなあ、まずはあなたたちが争うことになった経緯を聞かないと駄目だよね。うん。そうじゃないとどっちが良い子なのか悪い子なのかわからないもん」
うんうんと、自分の言葉に空乃は頷く。
「そもそもあなたたちって、この辺りにずっといたの? この辺りの海って人が遊ぶようにはできていないから私はあんまり来たことないし、確かにペンギンがいるっていうのは聞いたことあるし見たこともあるけど、ちゃんと種類とかって意識したことはないかも。どっちもこの辺りにいたのか、片方が後からやってきたのかって大事だと思うな」
ペンギンのリーダーたちは、二羽が、同時に単語をまき散らすことでいまいち聞き取りづらい。
「ちょ、ちょっとまって。片方から話してほしいな。まずは白黒ペンギンの、そう、ちょっと大柄でずんぐりむっくりっぽいから『ずんちゃん』って呼ぶことにするね。まずはずんちゃんから話してみて。はいどうぞ」
指をそろえて開けた手を、腕をのばしてずんちゃんに向けた。ずんちゃんは向けられた手に驚いたのか、それともずんちゃんと呼ばれたことに驚いたのか、頭を左右に振ってからちょっとだけ視線を泳がせてわずかな間を作って、空乃を見つめる。体に似合わないぐらいにつぶらな瞳、そのアンバランスが少し笑える。
でもどうして驚いたんだろう、その思考の隙間にずんちゃんは話す。
他のペンギンよりも腹に響くような声だった。
キター
アイツラー
トッター
オアシスー
「オアシス? ええっと、後からやってきたのは黄色いひげのペンギンさんたちってこと? それで、オアシス? を取られたってことかな。あってる?」
アッテルー
なるほど、そうなれば白黒ペンギンのなわばりを、白黒黄ペンギンたちが荒らしにやってきたのか。そうなれば客観的視点で、悪いのは白黒黄ペンギンたちだと言えるだろう。だけどオアシスとはなんだろうという疑問はある。それに白黒黄ペンギンの言い分を聞く必要もある。答えを出すには、まだ早計であるということは否めない。
指をそろえた手の先を——
「黄色いひげのリーダーさんは、目元がつんつんしているように見えるから『つんちゃん』って呼ぶことにするね。つんちゃんの言い分をどうぞ」
——つんちゃんに向けた。
ずんちゃん同様、つんちゃんはなんだか驚いたようだった。目元のひげがぴくぴくと動いた。空乃の発言を頭の中で精査しているようにも感じられる、そんな間が空き、それから気を取り直したように、何事もなかったようにどしりとした構えを見せる。
名前で呼ばれる経験がないからこそ彼らは驚いたのかなと推察する。
彼らにとって、それがいいことなのかはわからない。
他のペンギンたちよりも、少ししゃがれた声でつんちゃんは話す。
セカイー
ジャクニクキョウショクー
ウバウー
タダシイー
動物の世界の掟としては、当たり前のように弱肉強食があるべき正しい姿である。ペンギンにしたってそれは同じことで、どちらが最初にこの場所にいたのか、どちらが先に手を出したなんてことは殊更にどうでもよくて。だったらなにが大事なのかといえばそれは奪われたやつがすべて悪いのだ。この世界では奪われたやつこそが悪で、奪ったやつこそが真にみられるべき正義である。
そんなことをつんちゃんは言っているのだと思う。
これは確かに正しいと思う。
空乃の視点で言ってしまえば奪うほうが悪いに決まっているけど、これは、ペンギンたちの問題だから自然界のルールを適用することが真だろう。そう考えると、オアシスとやらを奪われてしまった白黒ペンギンたちが悪いことになる。だけどどうだろう、本当にオアシスは奪われてしまったのだろうか、奪われたのならあんな風にやいのやいのと騒がしく砂浜で言い争っているだろうか、そもそもオアシスとはなんだろう。なわばりのことだろうか、ペンギンたちの単語のチョイスが独特なので十全にわからないことは多い。
ずんちゃんがなにかを言いたげに震えている。
受けた屈辱を、つんちゃんの発言を通して、まざまざと思い出しているのかもしれない。
爆発寸前。
空乃の目にはそう見えた。
止めなければいけない、そんな使命感のようなものが沸き上がる。
「つんちゃんの言うことなんだけど、言いたいことはわかるよ。欲しいものを奪いとることは別に悪いことなんかじゃないって。私がペンギンだったらそう思うもん。だけどそれは、まだ成功してないんじゃないかな。こうやって争っているってことはまだどっちのものにもなっていない。違う?」
つんちゃんは狼狽するように背を引いた。
それを見たずんちゃんは、噴火寸前の震えを解いた。ずんちゃんは円形の岩にテーブルに手を置くように羽を置いた。これだけの日差しなら焼き肉ができるぐらいに岩も熱くなっているはずで、案の定、ずんちゃんはバネがはじけたように頭上高くに羽を掲げた。そのまま羽を冷ますように羽を動かす。そのまま飛んでいってすごい勢いで空乃の頭を飛び越す。
太っているけど飛べるんだなあという空乃の感想と、それをあざ笑うかのようなつんちゃん陣営のキーキーとした鳴き声。
鎮火したはずのずんちゃんの怒りは、再燃した。
太陽になりたいんじゃないかというぐらいのさらなる飛翔、ずんちゃんのその姿は自分の無様に恥ずかしくなって逃げようとしたんじゃないかとも思える。が、そのようなタマで白黒ペンギンたちの頭を張れるわけもない。しまったと思うが時すでに遅しで、十分な高さをものにして、ずんちゃんはミサイルのようにまっすぐに落ちてくる。
狙いはもちろん、腹を抱えて笑っているつんちゃんだ。
つんちゃんは気づいてない。
つんちゃんが、それに気づいたのは、飛んできたずんちゃんが勢いよく自分の頭をかすめたからだ。
鳴き声はたちまちかき消える。
つんちゃん陣営は、時が止まったみたいに静止した。
砂の飛び散っていく音がする。砂浜に穴ぼこができている。のっそりとした動作でずんちゃんが穴ぼこから這いでてくる。つんちゃん陣営はしばらくしてからそれを振り返り見て、砂まみれなその姿を笑うことはせず——ここで空乃は気づく。
短くなっている。
つんちゃんの目元のひげが、ちょっとだけ短くなっているのだ。
つんちゃんも気づく。さきほどまでの、気圧された様子も消える。自慢のひげが短くなっているのは明らかに目の前のやつのせいに決まっているとの結論に至ったのか、つんちゃんの顔に漫画に表現される人が怒った時のマークが浮かんだように見える。つんちゃんの足に力が込められるのが見え、羽にも力が込められて、星になるような勢いで空へと飛ぼうとした、のだと思うしそれに対抗してずんちゃんも同じような動作をしていた、からこそ空乃は自分でも驚くぐらいの反応速度で動いた。
つんちゃんにがっちりとしがみついた。
戸惑うつんちゃんに対して、
「暴力禁止!」
つんちゃんはもちろんのように飛べない。自分よりも重いものを乗せては、さすがに空を飛ぶことはできないらしい。重い……、乙女的にはあまり嬉しい言葉ではない。
「ずんちゃん、あなたもだよ。飛んだらだめ」
ここで頭をよぎったのは、ずんちゃんと私はいったいどちらのほうが重いんだろうということ。当たり前のように空乃のほうが重いという結論に至るまでそう長い時間はかからない。
思考を改める。
ずんちゃんを見やれば、空乃の言葉通りに飛ぶことなく地に足をつけている。今にも飛ぼうという姿勢で、なんだかぷるぷるとしてはいるけど。
ペンギンたちは争ってはいるけど、空乃の言葉には素直に従ってくれる。争いをやめろと強く言えば、ペンギンたちはもしかしたら争いをやめるかもしれない。だけどそんなものは、子供が親の前でだけ良い子を演じるようなものだろうし、空乃が目を離した途端に、彼らはいつもの調子でピーチクパーチクと喧嘩を始めるに決まっている。
必要なことはなんだろう。
つんちゃんのひげを撫でながら、みんなが仲良くするのが一番だろうと考える。つまりは仲直りだ。彼らの言葉が罵倒の言葉じゃなくて友情を謳うようになればそれがいい。できるだろうか。まずやるべきことは、即刻的な、争いの原因の排除。ひげを撫でられているつんちゃんがくすぐったそうに身じろぎをする。無意識な自分の行動を制した空乃は、これまでの会話から一番の問題になっている場所に行こうと決める。
つまり、
「私をオアシスにまで連れていって」
行くことでなにかが変わるかもしれないし、行ったとしてもなにも変わらないかもしれない。
だけどこんな炎天下だ。暑かったら思考はまとまらない。イライラだってするだろう。じっとしているだけでもストレスは溜まるし、ちょっと移動するだけでもだいぶ気持ちが変わるかもしれない。つまりは、ちょっとした気分転換をかねている。
ペンギンたちの反応は、戸惑ったように、それぞれのリーダーの顔色をうかがっている。
二羽のリーダーは、考えるような素振りで互いを見つめている。だけど喧嘩をしている子供のように視線をそらした。子供のいさかいを仲裁する小学校教師のような気分に空乃はなった。
容易く仲直りなんてとてもできないと感じられる。だけど、ここまで来たのならきちんと問題を解決したい。
「私をオアシスまで連れて行きなさい」
言い方を変えた。
二羽のリーダーがちらりと視線を合わせる。観念したように肩を落とす。とぼとぼとした足取りでたまに後ろを振り向きながら進み始める。自分たちのリーダーについていく手下ペンギンと、さらにその後ろについていく空乃。無理を言っちゃったのかなと少し思う。空乃の前にはペンギンたちの可愛らしい足跡があって、砂浜の中には真っ白い貝殻を見つけた。これぐらい言わないとだめだと思った。仲直りのためには、オアシスのことを知らないといけない。
気を強くもつ。
歩くほどに増えていく岩肌、最初にペンギンたちが争っていた砂浜とは真逆に遠ざかっていく。波で灰色になる砂浜も見えなくなっていって、岩肌に叩きつけられる波の音が増えてきて、足元にはいつの間にか砂浜なんてなくなっていて目の前には高くそびえ立っている岩盤があった。行き止まりだと思った空乃は思わずその歩みを止めるけど、ペンギンたちは岩盤の突き出した部分を上手く使ってひょこひょこと上に登っていく。オアシスに連れて行きなさいと命令した身で、まさかロッククライミングができないからやっぱり中止とも言えない。
岩盤に手をかける。
熱くてすぐに手を離した。
どうしようかと一秒ぐらい悩んだ。
ぱっとしたひらめきで、スカートのポケットからハンカチを取り出した。手のひらを覆えば、これで片手は大丈夫だ。
だけどもう片方はどうしようかと二秒ぐらい悩む。
ぱっとしたひらめきで、Tシャツの裏側に、腰のほうから手を突っ込んだ。お腹のほうからTシャツの布を持ってきて、それで手のひらを覆うという算段だ。
問題があった。
これではお腹が丸見えだ。
左を見る。どこまでも広がっていく海原には船の一つも見当たらず。
右を見る。砂浜の奥にある道路には自動車の一つも見当たらず——自転車が通った。自転車に乗っているのは空乃の高校の制服をきた女の子で、どうして岩に手をかけてお腹を見せている女の子があんなところにいるんだろうという顔をしている。実際に見えたわけではないけど絶対にそんな顔をしていると思った。岩壁から手を離して、すぐさまお腹を隠して、自転車が自分の視界から消えてしまうのを待った。
いなくなった。
改めて左右確認。
海の上にはカモメが飛んでいる。道路の上には40と書いている交通標識がある。人影はないことを今度こそ確認してから、空乃は片手にはハンカチを、もう片手にはお腹のほうからもってきたTシャツをかぶって、ロッククライミングを開始する。
登った。
待ってくれていたペンギンたちは空乃の姿を確認するやいなや移動を始める。明日は筋肉痛になるかもしれないと思いながら彼らの後をついていく。窪みだらけの足場になんとかこけないようにと気をつけて、湿り気によってわずかに濡れているということにも気をつけて、慎重に歩みを進めていけば足元の岩場に吸い込まれるようにペンギンたちが消えていく。
「え、どこいったの」
驚きの声を上げながらペンギンたちの消えたところを確認する。
そこには、ぽっかりとした穴があった。
燐光するような青い光が漏れ出ている。ペンギンたちの声がコッチーコッチーと言っているのが聞こえてくる。
どうやら、ペンギンたちはこの穴に入っていったらしい。
だったら空乃も行くしかない。
声に導かれるように足から穴に入っていき、探るようにつま先を伸ばしていけばまったく地面に当たらなくて不安になって、そこからは思い切りの良さが体を支えている握力を無にした。
わずかな浮遊感、足の裏から駆けあがってくる衝撃、すぐさま膝を曲げることで衝撃を緩和して、しかし尻もちをつくことは避けられなくて思わずきゃっという声が出る。
お尻の痛みに目をつむった。
肌に、夏とは思えない冷気が刺さった。
お尻をさすりながらゆっくりと目を開けた。
そこは洞窟のようだった。
天井には、いくつもの岩が氷柱みたいにぶらさがっている。そこらの岩肌は、自己主張でもするかのように仄かに青く光っている。海から流れ込んでいるのか、池のようにたまっている水たまりがあった。
青い光を反射して、水たまりは空よりも海よりも青く見える。夏という季節には恐ろしいぐらいに心地いい冷気は、ここで一生を暮らしてもいいと思えるほどだった。
——オアシス。
なるほど、ペンギンたちがオアシスと呼ぶ場所は、ここに違いない。
しかしどうにも場所が狭い。いや、そこそこの広さはあるけれど、砂浜にいたペンギンたちを収めるにはスペースが足りない。これだけの心地よさを誇るこの場所は、ペンギンたちが争うには十分な魅力があることがわかった。
だから新しい問題だ。
二種類のペンギンに、どうしたらこの場所を平等に使わせてあげられるのか。
ちょっと考えてみる。
「んー」
さらに考えてみる。
「むむむー」
それにしてもこの場所に来た時、なんだか違和感のようなものがあった気がする。
「いや、既視感かな?」
なんて一人で呟いて、いくつか思いついた案をとりあえず実行してみようと思った。
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