第2話 ペンギンがいっぱい
空乃の住む多坂町は、その名の通りにとても坂が多い。
円を描きながら、空へと昇っていくウェディングケーキみたいな坂が町の中心にある。それがちょっと略されてケーキ坂なんて呼ばれたりしていて、空乃が飛んだのはケーキ坂の四分の三ぐらい登ったところだ。そこまで登ってしまえば町の全貌が見渡せるし、起伏の激しい住宅街や、多坂町に面している海を見下ろすことができる。
坂が多いだけではなくて海があるのも多坂町の特徴で、海では、動物愛護が、漁業よりも盛んに行われていることも大きな特徴だろう。
ありのままの自然な姿を町のPRにしたいのだとかなんとか。
そして今、ペンギンたちに連れられて空乃がやってきたのはありのままの自然な姿の海辺。
ケーキ坂から海までのマラソンを走り切って、息を切らして空乃が目にしたものは、
めちゃくちゃな数のペンギンだった。
「うわあ」
軽く引いてしまうぐらいの数がいる。
もはや、真っ黒い点がいっぱいあるようにしか見えない。
ここまで空乃を連れてきた三羽のペンギンは、ペンギンの集団に、器用に羽の先っぽを向けている。あれをどうにかしてほしいというのがペンギンたちの望みなのか、自分たちもペンギンのくせにここから撤退させてほしいというのだろうか。改めてちょっとだけ考えてみる。あれだけペンギンたちがいて、それが困ってしまうという発想は人間ならではのものだと思う。ここからの撤退はたぶん望んではいない。だったら彼らの望みはいったいなんだろう。
空乃は目を凝らす。
よく見れば、集まっているペンギンたちは二種類あった。
空乃に助けを求めてきたペンギンたちのような、白黒のペンギン。
目のところに黄色いひげのようなものがある、白黒黄のペンギン。
彼らは種類ごとに固まっていて、そして面合わせのように二分されている。辺り一帯にはペンギンたちの鳴き声が散乱されている。
ジョウイージョウイージョウイージョウイージョウイージョウイー
まさか攘夷?
面合わせに二分されているのはたぶん対立をしているから、だろうか。
そこから紐解かれるペンギンのタスケテーの意味は、空乃にこの対立を鎮めてほしいということ。
空乃は、そんなの無理じゃんと首を振る。
踵を返してこの場を去ろうとした。が、三羽のペンギンに服をくちばしで掴まれた。逃がす気なんてさらさらないようで、これ以上は服が伸びてしまうから抵抗するのはやめた。嫌々といった風に空乃はもう一度、ペンギンだらけの海辺を見つめる。
キタヨーキタヨーキタヨー
ここまで空乃を連れてきた三羽のペンギンがそんなことを言うと、海辺の視線が驚くべき統率力でいっせいにこちらに集まった。思わずたじろぐ。ジョウイージョウイーという鳴き声が急に止んだ。嵐の前の静けさとは、目の前の光景を表した言葉だと思う。
視線から少しでも逃れるようにしてしゃがんだ空乃は、
「ねえ、いったい私はなにをすればいいの?」
内緒話みたいな小さな声はもちろん三羽のペンギンに対してで、しかしまともな返答は期待するだけ無駄だった。
タスケテータスケテータスケテー
だからなにを助ければいいのだと声を大にして言いたいが、簡単な単語でしかこのペンギンたちは喋れないらしい。やっぱり、先ほどの推測通りに彼らの対立をどうにかして鎮めないないといけないのだと思う。そんなことが可能なのかと素朴な疑問が湧き出る。そもそもどうして私なのかと空乃は思う。人間に頼るべき事案なら、もっと空乃よりも適任がいるはずである。
でっかいため息がでた。
逃げるに逃げられない状況にあるのは確定的に明らかで、それにペンギンたちには命を助けられた恩もある。鶴の恩返しを思い出して、鳥だって命を助けられたら恩を返すのに、人間である空乃がまさか恩を返さないわけにもいかないと思った。
気合を入れるとともに立ち上がった。太陽熱をため込んだ砂浜の上を歩く。砂浜からの熱が、靴と靴下を貫いて、空乃の足を刺してくるようだった。
空乃の後ろを三羽のペンギンがついてきて、大勢のペンギンがそんな行進をしげしげと眺めている。それから、どこからともなくメシアーメシアーという声が上がってくる。さながら王の凱旋だった。なんともいえない気持ちになった空乃は、とにかく歩みを止めずに二種類のペンギンのちょうど中間に立った。
「えーっと」
メシアーメシアーという声が、空乃が口を開けた途端に消えた。
一瞬戸惑い、それでもとにかく状況を知るためにはまず会話が必要だった。
喋った。
「ねえ、どうしてあなたたちは喧嘩しているの? 同じペンギン同士仲良くすればいいじゃない。ここはみんなの海辺なんだから、みんなで仲良く暮らしましょう。ね」
ペンギンたちは少しざわつく。空乃にはわからないペンギン語とかで空乃の先ほどの発言の審議をしているのかもしれない。それはわずかな時間のだったはずだけど、その間、空乃の思考は通常の三倍ぐらい加速していた。空乃を囲んでいるのは可愛らしいとはいえ野生動物で、機嫌を損ねたらいっせいに襲いかかってきてもおかしくない。そんなことになったら空乃に勝ち目なんてあるわけもない。だってこれだけの数だ。死体をさらして鳥についばませる鳥葬がもしかしたら現代によみがえるかもしれない。
鳥肌が立った。
冷や汗だって出てきた。
審議を終えたペンギンたちが思い思いに言葉を話し始めた。
うるさい。耳が痛い。雑音にしか聞こえない。ジャマー、クルナー、ジョウイー、ショウキョー、キライー、バカー、テンチュウー。まるで怒っているかのようなボリュームだけど、怒りの矛先は別種のペンギンたちに向けられている。
ちょっとだけほっとして、言葉にはちゃんと気をつけるようにしようと思った。
でもさすがにうるさすぎる。
「ストップストップ!」
両陣営に対して手のひらを突きつけた。突きつけた手のひらをゆっくり上下に動かして、ヒートアップしていくペンギンたちを落ち着かせる。これでは話し合いどころではないし、大量のペンギンに挟まれた今の状況もあまりよくないと考えた。やがて、静かになったペンギンたちに向けて、空乃は提案した。なんてことのない提案である。白黒ペンギンと白黒黄ペンギンたちの中にいるはずの、リーダーに出てきてほしいと言った。国にしたってそうだ、国の一番偉い人たちが未来の方針を決めていくのだ。だからリーダーでもボスでも親方でもとにかく上の意思を聞かないことにはなにも始まらない。
空乃の前に、二羽のペンギンが歩み寄ってきた。
白黒ペンギン陣営からはずんぐりむっくりとしている大柄なペンギンが、白黒黄ペンギン陣営からは目元のひげがものすごく長くて逆立っているペンギンが、人波——ペンギン波をかきわけてやってきた。なるほど、見た目からしてリーダーという感じがする。可視化された貫禄が、燃え滾るオーラのように見える気もする。
「それじゃあまずは私たちで話し合いましょ。えっとね、そこの岩陰とかで。あ、一応私を連れてきてくれたこの子たちも同席させてあげて、ちょっとでも知っている子たちがいれば私も安心するし」
それに対して、白黒黄ペンギンのリーダーが、コッチモーコッチモーとくちばしを突き出して抗議した。
「こっちも?」
言ってから気づく。
「ああそうか、白黒のペンギンさんが四羽もいたら、そっちだけ多くてずるいって感じちゃうよね。じゃあ黄色いひげのペンギンさんからも三羽連れてきていいよ。あ、それも一応私が選ぼうかな。そうしたほうが公平だよね。うーんとね、」
あごに指を当てた空乃は、白黒黄ペンギンの中から無作為に三羽を指さして選んだ。気のせいかもしれないけど、選ばれた三羽はかしこまったような雰囲気で、その歩みはぎこちなくてまるでペンギン型のロボットのようにも見える。目の前のペンギンたちは本当はロボットなんじゃないかと思ってしまう。こんな状況はたしかに現実感がないし、だったらいっそ人間が裏にいて、ロボットを使った思考実験をしているほうが現実味が——いや、どっちもあんまり現実的じゃないなあと頭の隅に思って、そうやってぼおっとしている空乃に向かって集まったペンギンたちはマダーマダーと羽を上下しながら急かしてくる。
深読みなんていらないのだ。
今はとにかく、目の前の珍事を解決しなければならない。
「わかったよ、じゃあ改めて、私の選んだ八羽のペンギンさんたちはあっちの岩陰のほうに行こうか。それまで、一時休戦して他のペンギンさんたちもおとなしくしているということで。よーし、レッツゴー」
さっきまで不安とか動揺とか、そういったものがあったけど、空乃は今では非日常の熱に浮かされて、吹っ切れたように右腕を空に突き出している。ペンギンたちにいっさい害意が見られないということもあったし、歩いている空乃によちよちついてくるペンギンがなんだかとても愛らしいということもあったし、空を飛べるのではないかという謎の精神ポテンシャルの余熱があったのかもしれない。
楽しいとさえ思えてしまった。
靴跡の刻まれた砂浜、穴ぼこだらけの岩の群れ、どこかでカモメの鳴き声が聞こえて、岩肌に打ちつけられた波がマラカスのような音を立て、透明のキャンバスかと思ってしまう宙に真っ白いしぶきが残る。ちょうど円形の岩を見つけると、それをテーブルに見立ててペンギンに囲わせたら立派な会議場の出来上がりだった。白黒ペンギンと白黒黄ペンギンは対面するようにお尻をぺたんと砂につけ、それを見下ろすように立っている空乃がいる。
空乃は咳ばらいを一つ、
おほん。
「それでは第一回、ペンギン会議を始めます」
言ってみたいだけだった。
とにかくペンギン会議は開かれた。
二回目の開催予定は、たぶんない。
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