第5話
話が終わった後、また病院の先生の顔が映し出され、「えーっとね、真島さん。ということで、数日間ここに留まることになりますので、とりあえずご両親とモニター越しにはなりますけれどもぉ、顔合わせを、えーっとしてもらえればなとおもいます」と、言われ、両親が出てきた。
その後両親とは和気あいあいとした会話をして、「まぁ、頑張れ」と父親に言われ、母親には「寂しくはなるけれども、帰ってきたら美味しいものを食べましょ」と言われ、そのままモニターはテレビの映像が流れ始めた。
いろいろなことが急に起きて、若干混乱はしているけれども、ある程度人間というのは一回少しでも納得してしまえば、なんとかなってしまうものだ。さっき、言われた通り自分が持ってきてほしいものをその後看護師が持ってきてくれた票に書き込み、看護師が持ってきた柔らかそうなベットの上で、とりあえず眠ることにした。
その後数日後、僕は矯正センターへと移送された。
話にあった通り、矯正センターは特に何も問題なく毎日、自身の力を制御するための訓練のようなものをしたり、体力測定をしてそれが終われば後は自由時間のような形で、食べ物や飲み物に関しても自由に取ることが出来た。勉強に関しても、映像にはなるが高校一年生と同じ内容を勉強できるスペースが有り、高校の勉強は何不自由なく行うことが出来た。
また、資格などに関しても矯正センターで受けることが出来、日常生活には不必要であろうな資格を暇があれば取るということを続けていた。もちろん、受験費に関しても無料になっている。
それでも暇があれば、無人映画館に行き、最新の映画を見たりして過ごしていた。
矯正センターには自分以外にも年齢性別がバラバラではあるが沢山の人が居て、悲観している人もいれば、今の生活を楽しんでいる人たちも居た。
一年の終盤の頃から、狂人病感染者としての心構えの講義なども始まり、それらも普通にこなしていき、思っていたよりも早く期間の許可が出た。
許可が出た後のスケジュールは非常に早く、最終日に出所式というものがあり、そこではセンター長の言葉であったり、いろんな行政機関の人間の挨拶みたいなものがあり、それが終わった後、身分証を渡され「これがあなたの新しい身分証です」と言われた。そこには、準戸籍としっかりと書かれていた。
また、僕自身高校進学はもう決めており、矯正センターの職員とモニター越しではあるが、相談を行い、地元にある特例高校の進学を決定した。
ただ、やはり狂人病になった日に言われたあの言葉思い出す。かながわけん、今で言うところの湘南県とか横浜府に行けばなんとかなる……一体これはどうゆうことなんだろうか?
「俺の人生どうなるんだろうなぁ……」
兎にも角にも、出所した後は実家にも戻り、母親が約束通り出前を取ってくれ、美味しいものを食べ、その後は特例高校転入の手続きを進めた。
その後僕は特例高校に転入し、ある程度普通の高校生活を送れた。また、成績も良かったため地元の国立の特例大学に進学をすることが出来、しっかりと卒業することが出来た。
しかし、大学3年からは就職活動で、自分の置かれてる現状というものを嫌というほど理解できた。
受ける企業受ける企業すべて書類選考で落ち、狂人病患者はそもそも受付していない企業なども存在していた。地元の中小企業だってだめだった。
ただ、狂人病患者だからこそ受かる企業というものもあった。それは、暴走狂人鎮圧事業系の
企業だった。いわゆる正義の味方が所属している企業だ。
ここには、狂人病患者であったとしても企業に就職したと特定の研修と訓練、そして資格を取得すれば対狂人鎮圧師としての国家資格を取得することが出来、晴れて正義の味方として、社会で暴走や犯罪を起こす狂人病患者を鎮圧することが出来るのだ。また、特例の武装集団に関しても行政機関からの要請があれば鎮圧に加わることが出来るのだ。まさに、狂人病患者にとっては夢であり誇りのある職なのだ。
しかし、それゆえに倍率が高く、志望していても、どんなに企業を選ぶことなく応募し続けたとしても、落ちてしまうことはある。
僕の場合も何十社応募したかわからないが、めぼしいものはすべて応募したが、書類選考はとおても面接で落とされたり、技能試験で落とされることがあった。
それでも、ようやく僕は職を手に入れることができたのだ。
ただ、大手ではなく地元で運営を行っている、会社であった。
株式会社ヒーローステインズ。新卒で入り正社員で入った。給与は初任給が手取りで19万ぐらいで、福利厚生もよく非常に待遇も良かった。
これで、僕の人生も安定した。そう思っていた。
しかし、社会はそんなに甘くなかった。
「おい、新卒」
「はい!」
「お前さ、うちの会社が拾わなかったら野垂れ死んでたんだから、感謝しろよ?」
「はい! ありがとうございます!」
「分かったら、さっさと先輩方のガードしてこいや!」
僕がついた仕事。それは、ヒーローとして活躍している先輩のガード役だった。ガード役というのは、簡単に言えば攻撃受けた際に盾としてヒーローを守る存在ではあるが、この会社でのガード役というのは、簡単に行ってしまえば体のいいパシリだった。
そして、パシリだけには留まらず、執拗なまでのいじめやいじりを受けることも多々あった。
それでも、僕は我慢した我慢した、我慢し続けた…………。
ただ、それでも、僕の心は我慢できなかった。
就職して3ヶ月後、僕は退職をした。無理だったよ、もう、ね。
退職をしてからは、実家の自分の部屋に入り浸り、ニートと化していた。失業保険は対象外だったが、狂人病患者自立支援金の給付をとりあえず受け、ニートをしていてもある程度の収入は得られていた。
ただニートをしていてもやることはなく、別に仕事をしたくなかったわけではなかったので、チラチラと仕事を探すことを始めた。最初は鎮圧系の仕事を探していて、見つからなかったので飲食などの仕事、それも地元で出来る仕事を探していた。
ただ、やっぱり地元だけでは仕事は少なかった。
そこで、僕は思い出したあのときの言葉を。
「かながわけんで、仕事を探してみるか」
かながわけん。湘南県や横浜府あたりで仕事を探してみると、鎮圧系や飲食以外にも様々な仕事の求人があれよあれよと出てきた。キック値も高いほうがむしろ歓迎とされている企業などもあり、僕はどんどんと応募することにした。
最終的には3社に絞り、その中でも待遇が良かった一社に望みをかけ、横浜府まで最終面接を受けに行くことにしたのだ。
そして、そこから僕の人生は180度変わることになる。人生というよりかは、人生観が変わることになったのだ。
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