第三十二世界『画面越し』

32-1 新世界

 4限の終わりを告げるチャイムが鳴ると、校舎は一瞬にして騒々しさに包まれる。廊下には多くの生徒がたむろし、食堂は昼食を求める生徒で溢れかえる。

 この学校は一応進学校であり、学校生活では比較的縛りが少ない。

 迷は、自分で作った弁当を持って中庭にあるベンチに腰を掛けた。大樹を囲うようにしておかれたベンチは日陰になっているが、蒸し暑さは日影だろうと関係ない。

 クーラーが完備された学校で、この暑さの中外で昼食を摂る生徒はいないようだ。逆に、だからこそ、迷はこの場所を好んでいた。基本的に1人でいる方が楽な性格だからだ。

 迷がお弁当の風呂敷を解いた時だった、向かいにあるもう1つのベンチに目が留まった。同じように大樹の下で弁当を食べている生徒がいたからだ。

 普段ならそんなのは無視してさっさと昼食を摂るのだが、目の前の生徒を無視することが出来ない理由があった。

 

「おい、お前」

 

 いきなり声をかけたのが悪かったのか、女子生徒は肩を震わせて驚いた。顔を上げず、視線をこちらに合わせないところをみると、面倒ごとに巻き込まれたと感じているようだ。

 視線を合わせる気はないが、時たま私の表情を窺っているのは分かっている。この女子生徒は、常に他人に怯えているのだろう。


「お前、いじめられてるだろ」


 私の発言を経て、彼女はようやく私の目を見た。なんで分かったのか、という驚きの表情だった。


「そんなこと、ない」


 彼女はすぐに視線を外し、校舎の方へ走っていった。

 自分が威圧感のある人間だというのは自覚しているが、こうも逃げられてしまうとさすがに傷つくのだが。


 スカートから露出した肌に見える無数の痣。あれは人から蹴られた時にできる痣だ。頬につけていたガーゼも、殴られた痣を隠すため。いじめられていると思った決定打は、彼女が持っていた鞄だった。まだ1年生なのにお下がりとは容認しがたいほどの荒れ様。


「まぁ、私には関係ないことか」


 他人のことなど、心配するだけ時間の無駄だった。彼女の座っていたところに落ちていた一粒の錠剤を目にするまでは。

 彼女がいたベンチの足元に落ちていた、忌々しい見た目のカプセル錠剤。そこには『SG-944』という恐怖の呪文が印字されていた。

 それは、あの女が新しい世界線を作りかねないという可能性も秘めていた。


「まずい。すぐにあの生徒を見つけ出さないと」


 彼女の走り去っていったルートを追っても、彼女の姿は見当たらなかった。1年生のクラスを総当たりするにしても、8クラスもある。途方もない作業になるだろう。彼女の鞄には、ストラップなども付いておらず、彼女がどんな人間なのかを印象付けるものなど1つもなかった。

 ただ憶えているのは、お世辞にも整っているとはいえない髪と、鋭い目つき。背はそれほど高くない。

 とりあえず、1年のクラスを総当たりするしかなかった。廊下を駆け、一つ一つの教室を除くが、どこにもあの生徒はいなかった。


「残るは3階か」


 2階には1年のクラスが存在していない。残るは3階にある3クラスだ。

 汗を垂らして3階まで上がったが、そこにも彼女の姿見当たらなかった。

 念のため、図書館や職員室も当たったが、どこにも見当たらず、結局さっきのベンチへと戻ってきた。


「探し物ですかぁ、先輩」


 自分の心情とは正反対ののんびりした声が聞こえ、背後を振り返った。

 そこには、自分の顔ぐらいある大きなせんべいを頬張る1年の女子生徒がいた。


「探し物というよりは、探し人だ。お前、髪の毛もじゃもじゃで鋭い目つきで背の低い女って見たことないか」

「それ、悪口ですよねぇ」


 せんべい(仮称)は、引き気味の表情で首を横に振った。


「それだけじゃぁ分からないですよぉ。せめて名前が分かればいいんですけどぉ」

「それが分かってたら、私も困ってないんだよ」


 とりあえず、これ以上せんべいと話しても埒が明かないと見切りを切ることにした。


「それじゃ、忙しいから私は行くからな」

「先輩、ヒントはお薬にあるとおもいますよぉ」


 立ち去ろうとしたその時、ぼそっとせんべいが口にした。

 自分のクラスへ戻ろうと階段に足をかけた時だった。せんべいが言った「ヒントはお薬」。白衣のポケットに入っている『SG-944』の輪郭を指でなぞる。


 生徒が立ち入ることのできる場所で、唯一私が行っていなかったところ。


「——保健室か」


 保健室の扉をノックすると、スラッとした養護教諭が姿を現した。それと同時に、冷たいクーラーの風が、汗をかく私の体を這う。


「ここに、1年生の女子生徒は来てないか。落とし物を届けに来たんだ」

 

 事情を説明すると。養護教諭は保健室の中へ通してくれた。しかし、彼女は既に寝込んでいると伝えられた。彼女が寝ているであろうベッドはカーテンで閉ざされていた。


「落とし物があるなら、親御さんが迎えに来た時に私が渡しておくけれど」

「いや、直接渡したいんだ。彼女のクラスと名前を教えてくれ」


 1年7組。周藤すどうさら。7組ということは、芸術科の生徒だ。明日、1年7組を訪ねてみることにした。


 放課後、校門から出ようとした時だった。


「先輩、お昼ぶりですねぇ」


 声をかけられて視線を上げると、そこにはせんべいが立っていた。さっきと違い、今はおにぎりを食べていた。


「お前か、昼の時はありがとうな」

「いえいえぇ、お役に立てたならいいんですよぉ」


 おにぎりを頬張りながら、せんべいはにかーっと満面の笑みを浮かべる。

 背は150㎝ほど、口調からしておっとりとした性格に見えるが、意外と洞察力がある人間。というのが初見での評価だった。


「あの時は、なんであんなヒントを出したんだ」

「勘ですよぉ。あ、先輩、コンビニ寄っていいですかぁ、お腹がすいちゃいましたぁ」

「お前、さっきまでおにぎり食べてただろ」

「違うんですよぉ。あれはおやつです。これから買うのは、お夕飯前ご飯です」


 そんな時間のご飯は初めて聞いたが、私も飲み物を買おうとしていたので付き合うことにした。

 会計を済ませ、先に店を出ていたせんべい改めおにぎりと合流する。

 その手には、新しく購入したおにぎりが3つあった。


「お前、それが『お夕飯前ご飯』なのか」

「はい、そうです。今日はおせんべいも食べたので3つです!偉いですよねぇ」


 3つ持っていること自体驚きなのだが、いつもはもっと食べていると思うと驚きの大渋滞である。


「そんなに食べてるのに、瘦せ型だよな」

「よく言われますねぇ。私も不思議なんですよぉ」

 

 おにぎりはそう言いながら、鮭おにぎりを頬張った。


「時にお前、名前はなんていうんだ」

「1年5組の楠井華音くすいかのんです。よろしくお願いしますねぇ」

「楠井だと?」

「はい、楠井ですよぉ。父の姓で母の旧姓は、日比野ひびのですよぉ」


 6歳の頃にみた、五十嵐研究機関の研究員名簿が脳裏をよぎった。

 上から42列目、楠井真矢くすいまや。役職は薬品部金沢研究棟部長。


「お前の母親は、楠井真矢か」


 私の記憶に間違いはないはずだ。だってあの時は——。

 華音はおもむろに私の方を向き、おにぎりを持つ手とは反対の手で、私の左目を抑えた。


「映像記憶。五十嵐魔宵さんの娘ですよねぇ。よく知ってますよぉ。右目だけに意識を集中させて目に映るものをそのまま記憶できる、映像記憶能力の持ち主さん」

 

 鋭い眼光に、私の心中を全て覗かれているようでぞっとする。やはり華音は、恐ろしいほどの洞察力を持っているに違いない。


「覚えてくれましたかぁ、ボクの可愛い顔を」

「嫌でも覚えたさ」


 楠井華音は、私にとっての障壁になりかねない人物だ。用心しなければボロをだすことになるだろう。

 華音は、私の左目から手を放し、怪しげな笑みを浮かべてからおにぎりに視線を戻した。


「そんな怯えないくださいねぇ。何もしませんからぁ、と」


 隣を歩く華音が急に歩みを止めた。真夏の夕方の空気は独特の臭いを生み出し、空の色がだんだんと暗く染まっていく。

 ただ、それとは違う何かを察した。それは、華音も同じだったようで——。

 淡い青色だった空は赤と紫の『波動』に支配されていく。


「おやぁ、お薬、使われちゃったみたいですねぇ」

「——ッ」

「ヒントは1」


 華音が親指と人差し指と中指を立てたと同時に、姿を消した。直後、側頭葉を尋常ではない痛みが襲った。

 隣を歩いていた人間がいきなり消えるなんてこと、あり得てはならない。『波動』に呑まれて消えたということは——。


「薬を飲んで遡及した誰かが、過去で華音を消した」


 本来の人間なら、遡及が発動した時点で世界が改変されることで、記憶から、華音と過ごした日々、が抜け落ちるはずだ。本来、存在しないはずの人間となったのだから。

 私はイレギューラだが、『波動』の影響で頭痛に襲われた。

 白衣のポケットに手を突っ込み、『SG-944』を取り出した。と同時に、もう片方のポケットからピルケースを取り出した。

 遡及に反する薬、『SG-944α』が2錠入っていた。1日の内に全部解決して、私ともう一人の遡及者がこれを飲めば、世界線の変更か無かったことになる。


「——やってやるよ」


 私は『SG-944』を口に含み、コンビニで買った水を含んで飲み込んだ。

 足元がふらつき、視界が白い光に包まれて狭まっていく。



 基本、夜寝て次の日の朝には遡及した日付になっていることが多い。しかし今回は本当のイレギュラー。スマホの日付を見ると、きちんと遡及が確認できた。時刻は12時30分だった。

 私はベンチに座っており、向かいのベンチには誰も座っていない。


「さぁ、時間がない」

 

 遡及が起き、華音が殺されたのが17時45分ごろ。つまり、今日の17時までに華音と面識を作り、45分に同時に行動することが出来れば、華音を殺した犯人と鉢合わせになる。

 取りあえず、華音を探すことが最優先だった。

 こんなことになるのであれば、昨日の17時45分に何をしていたのか聞いておけばよかった。そんなことが予見できたら、こんな苦労はしないのだが。

 確か、彼女は1年5組と名乗っていた。しかし、1年5組の教室に華音の姿はなかった。

 あいつは食べることがとにかく好きだ。だから、取りあえず食堂に向かってみることにした。

 昼時の食堂は大盛況であり、多くの生徒でごった返していた。この人口密度の中から、華音を見つけ出すなどほぼ不可能に近いと思ったが——。

 その時、大量の人込みから、たった1人だけ発光しているかのような感じがした。楠井華音その人が。


『覚えてくれましたかぁ、ボクの可愛い顔を』


 あの時の華音の行動。あいつはこうなることを予測していたのだろうか。

 

「なぁ、華音」

「ん、どうしましたかぁ」

 

 今日はせんべいもおにぎりも持っていないが、どうやら口にガムを含んでいるらしい。

 人混みをかき分けて華音に声をかけ、例のベンチまで案内した。


「なぁ、私のことは分かるな?」

「かなり焦りの様子ですねぇ。もちろん分かりますとも、校則破りのチャンピオン、天下の五十嵐迷先輩ですねぇ」

 

 何度言われようとも心外だが、今はそれを気にしている余裕はない。


「なぁ、華音、今日一緒に帰れるか」

 

 私は華音の肩を掴み、そう問いかけた。華音はきょとんとした表情を浮かべたが、すぐに微笑んだ。


「帰れますよぉ。私も、先輩の過去が気になりますからねぇ」


 華音からぞっとするような鋭い視線を向けられる。


「じゃぁ、放課後、正門の所で待っててくれ」

「分かりましたぁ。あ、先輩もガム食べますかぁ」


 拒んでいるのも時間も惜しいので、礼を言って素早く受け取り、すぐに1年7組の教室に向かった。

 直近で『SG-944』を目にしたのは、1年7組の周藤さらの落とし物だ。だとすると、周藤さらが今回の服薬者である可能性が高い。

 しかし、案の定1年7組の教室に周藤さらの姿はなかった。そもそも、私は周藤更に詳しくない。どこにいるかなど分かるはずがなかった。

 ただ、彼女は少なからずいじめを受けている。迂闊にもクラスメイトに居場所を聞くのは逆効果になるだろう。


「——どこにいるんだよ」


 華音が残したヒントについても、まだ理解できていなかった。1という言葉と立てられた3本の指。もっと簡単なヒントならよかったのだが、あの短時間で華音が最短で出せたヒントなのだろう。

 図書室も保健室も回ったが、結局、彼女に出会うことは出来なかった。これでは、さっきと同じことをしているではないか。

 思考を巡らせたが、華音のヒントに関する閃きは一向に湧いてこない。ただ、周藤さらがいるかもしれない場所は、一つだけ当てがあった。


「でも、あそこは」


 美術室。この学校には第三美術室まであり、第一のみ1階、残りは3階にある。ただし、美術室は授業及び放課後以外は使用禁止になっている。特別な例を除いて昼休みに使用することは出来ないはずなのだ。

 それでも、行ってみる価値はあった。


 第一美術室は施錠されており、第二美術室は委員会で使用されていた。残るは第三美術室だけだった。

 第三美術室は、窓がすべてカーテンで閉ざされており、一見人気がないように見えた。しかし、ドアには数センチの隙間があり、施錠されていないことが分かる。

 そもそもここは3階。技術棟とも呼ばれており、芸術科や情報科などの専門学科の教室が多くある。そのため、授業以外での使用はほとんどなく、昼休みは人気が少ない。

 壁際で耳を澄ませていると、どすんという鈍い音が聞こえてきた。複数の机が倒れるような音が響く。

 きんきんと甲高い女の声が聞こえ、また何かが倒れる音が鳴る。どうやら、いじめは事実だったようだ。

 教室をのぞいてみると、倒れている生徒が1人と立っている生徒が3人。全員女子生徒だ。1人だけ、見知った生徒がいる。名前は思い出せないが、あの主犯とも見える女は——。

 いきなり殴り込みに行ってもいいのだが、あまり得策とは言えない。心苦しいが、虐めている奴らが教室から出るまでは待機した方がよさげだ。


「おい、何を見てるんだ」


 背後を取られた、と感じた時には遅かった。

 左脇腹に激痛が走り、体が言うことを利かなくなった。

 遠退いていく意識の中で、最後に視界に映ったのは、首に着けた緑色のリボンだった。

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