40-4 痕跡と次の世界と

 翌日、教室に菊地亘也の姿はなかった。

 花瓶の置かれた隣の机を見ながら、琴裡は落胆した。迷は、亘也が死ぬことを知っていたというのに。それを見限って、あんな女を泳がせた。あんな女のために、1人の協力者の命が奪われた。

 なお、その当事者の五十嵐迷と諸悪の根源の錦田愛海は休みだった。

「一体、何をしてるっていうの?」



 琴裡が教室で落胆している最中、迷は旧五十嵐研究機関薬品製造ラインB号棟にいた。

 B号棟は爆破が起きた時のままで放置されている。爆散した薬品の害を考慮して、厳重な立ち入り禁止体制を貫いている。

 迷は、B号棟の周りに張られた規制線を搔い潜り、チェーンで鎖をされた正面玄関をよじ登って突破した。

「やっぱり、いつ見ても無残ね」

 足元に散らばっている薬品カプセル。そのままで放置されている食堂の食器や家具。薬品の影響で変異した奇形植物。フロントガラスが無くなり、薬品の散乱する輸送の軽トラ。

 爆心地となった薬品製造施設は跡形もなく消え去った。ただし、建物があったところに大きなクレーターを残していったぐらいだろう。

 製造施設の爆風はB号棟と呼ばれたこの区域全体に及び、多くの建物と人を飲み込んだ。

 本当に跡形もなく消えたため、警察も捜査のしようがなかった。よって、これは事故として処分された。

 爆心地から離れたところにある遺体が運ばれることもなく、まさに時間が止まっていた。

「――あ」

 爆心地から2キロほどのところにある貯水タンクの中に、薄汚れたワンピースが落ちていた。かつて、研究施設に幽閉されていた私が着ていた服。

「まだ、残ってたんだ」

 私はそれを数分見つめた後、目的の建物内へと侵入した。過去は自動ドアだった扉を蹴飛ばして割って。

 階段はところどころ崩落していて、ちょっとしたクライミングの技術が必要だった。

 二階に上ったところで、朽ちた案内板が『B号棟 実験観察保管舎』と記していた。

 A号棟へ続く渡り廊下は完全に崩落しており、昼の温かい風が吹き抜けていた。

「こっちか」

 各部屋を示すプレートは全て爆発でへし折られていた。しかし、迷の目的としていた部屋のプレートは、扉の下に落ちていた。

「『研究対象:ヒト・イガラシ メイ』」

 扉は既に開いており、中には白い壁に無数の訳の分からぬ文字が刻まれていた。

 あの日盗み見た『監査ログ』の内容通りだった。

 部屋の中には、錆びた手枷とそれを握る人骨があった。

「誰の遺体なんだ?」

 迷が屈んでその人骨に触れようとした瞬間、後頭部に冷たい何かを感じた。丸く冷たく重たい、拳銃が当てられている。

「錦田愛海、そこまでして私を妨害したいの?」

「えぇ、このままじゃ困る。亘也を殺す気はなかったけど、あなたが殺したのよ」

 愛海は銃の引き金に人差し指を当て、ゆっくりと力を込めた。

「こんな真昼間にここで撃った、銃声を聞いた市民が押し掛けるわよ?」

「いいわ、あなたを殺せるなら」

 迷は隙を見つけた。愛海の脇腹を突き、怯んだ一瞬の隙に落ちていたスケッチブックを手に取って、ひたすらに逃げた。

「――紛い者が小賢しい」

 愛海は銃口を天井に向けて、撃った。



 私――錦田愛海は、B号棟の地下シェルターに向かった。

 無論、そこには老いた元大葉製薬社長の大葉大栄が管に繋がれていた。

 大栄は私を見るなり目を丸くして、何かを呟いていた。口に装着された酸素マスクのせいで何を言っているのかはよく分からないが。

「あなたも可哀そうにね。昔は大金遊びをしてたんでしょうけど、今では枷に囚われて」

 大栄に近づくと、大栄は私のポニーテールを触ってきた。不思議と、嫌な気持はしなかった。お爺ちゃんに甘やかされている感じ。私にとっては、懐かしくもなんともなかったが。

「――待っててね大栄。私、必ずやって見せるから」

 あの虚構を倒して、私はもう一度正史に戻す。

「大丈夫、事実は私しか知らない。亘也だっていつか取り戻す。だって――」

 私は縛っていたヘアゴムを取って、髪を下した。

 そして、大栄のベットの奥にあった鍵のかかった扉を解錠した。

 その部屋にあるのは、いろんな色に光るパイプ。

「この世界パイプのカギを、探さなきゃ」

 赤く光る最も左にあるパイプにだけ、チェーンが掛けられている。チェーンはパイプを覆うように絡み付けられており、その先にある無数のパイプが一堂に合わさっている結束地帯まで続いている。

「――世界を、第ゼロ世界を見つける糸口を」

 


 一方その頃、愛海の自宅のインターホンを押す少女がいた。

 蛍光色のラインが入ったパーカーに白いショートパンツを穿いた少女は、インターフォンの返事が来ないことに呆れ果てていた。

「自分から呼んでおいて待たせるなんて」

 少女はスマホで愛海に電話を掛けるが、電波の届かないところにいるとかで繋がらなかった。

「あの馬鹿女はどこに行ったんでしょうかね....」

 彼女の放浪癖は昔からだが、人に迷惑をかけるほどではなかったはず。そう、彼女は退化している。

「ふぁ?」

 欠伸をしようとしたその時だった。視線の奥に見える霞みがかった山肌が、赤と紫の入り混じる光に侵食されていく。

 それは次第にこちらへ向かってくる。

「――時空改変。また誰かが飲んだの?」

 少女は足元まで迫ってきた光の波動を飛び越えた。これで、もうこの世界は第四十一世界となった。

「誰が飲んだっていうの?愛海とも繋がらないし」

 パーカーの少女は地団駄を踏みながら、錦田愛海の帰りを待っていた。

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