40-3 報復劇と終末論と

 涼宮琴裡の遺体を前に、俺と五十嵐迷は立ちすくんでいた。

「誰がこんなことを」

 やがて、教師がこのことに気が付いて、俺と迷は次々と集まる教師陣の波に押し流された。

 学校は急遽休校となった。だが、これで話が『涼宮琴裡の殺人事件』で終わるはずがなかった。

「五十嵐迷、お前、誰が琴裡を殺したのか知ってんだろ」

 迷は数分間俺の顔を見つめた後に、ため息をつきながら頷いた。その白い髪を風で靡かせながら、彼女は事件の真相について話し始めた。

「涼宮琴裡を殺したのは、錦田愛海だ。無論、菊地亘也も無関係ではない」

「俺が?俺は琴裡の殺人に関与なんてしてな....」

 迷が白衣のポケットから取り出したのはピルケース。更にその中から取り出したのは、見覚えのある青いカプセル錠剤だった。

「それ....魔法の薬」

「魔法?戯けたことを。これは世界に異変をもたらす種だぞ」

 迷は今までになく恐ろしい顔で、俺に薬を見せつけた。カプセルにはうっすらと『SG-944』と印字されている。

「これは、飲んだ者を1日過去に戻すことができる薬だ。ただし、この薬を飲んで戻れる世界は、この世界とは違う。『とってもよく似た別世界』だ。ここが1の世界だとして、君が遷移した世界は2の世界。だから、服用者の数だけ別世界が作られる。それは良いこととは言えない。この世界は常に一つでなければならない。この世の理に反することは許されないんだよ」

 『とってもよく似た別世界』。ならば、あの日死んだ母がこの世界で死ななかったのも別世界だから起こった事象だったのか――。

「でも、俺は将来を使って元の世界線に戻ってきたはずだ」

「あぁ、君が何も世界に干渉せずに将来していれば、ここが第四十世界になることはなかったさ。でも、君は何かしらの干渉を加えてしまった」

 ――やっぱり、母への関わり方を変えたせいで、この世界は『別世界』として継続されてしまったのか。

「迷、薬をくれ。『SG-944』と将来できる薬を」

「何をする気だ?これ以上の世界への干渉は私が許さない」

 迷が白衣の左ポケットから取り出したのは、黒光りする拳銃だった。

「――琴裡を、取り戻す」

「――は?」

 母親の死は、かつての世界の理だった。それを壊してしまったのは俺自身だ。元々、琴裡の死はかつての世界の記録には無いはずだ。

「再干渉する。俺の母が死に、琴裡の生きた世界へ」

「――何を馬鹿なことを。そんなことをしても、この世界は第四十世界になるに変わりはない」

「あぁ、だとしても、俺は自分が世界を変えたことで琴裡が死んだことが申し訳ないんだ。それを償う」

「その代償として、君の母を殺すのかい?」

 俺は迷の言葉に頷いた。母の死は俺の親不孝がもたらしたもの。俺の身勝手な薬の服用によって殺された琴裡が報われない。

 迷は少し考えてから、俺に3錠の遡及薬と3錠の将来薬を渡した。

「世界をもう一度変えたうえで、なんでお前がこの薬を持ってるのか問いただすからな」

「私には、なんで君がそこまで琴裡に執着するのかがわからないよ」

 ――俺は電車に乗って、迷と別れた。


 翌日を迎えることはなく、世界は再度水曜日へと遡った。

 母親の行動を再度無視するのは心を締め付けるが、それが、俺がこれまで母にかけてきた親不孝の重みなのだろうと自己完結した。

 母の「行ってらっしゃい」を無視し、俺は学校をサボる選択を選んだ。

 何しろ、なんで母が死んだのかが気になったからだ。

 

 昼過ぎ、母は暗い顔をしながら家を出た。エコバックを持っていることから、近くのスーパーに買い物に行くのだろう。

 母は終始俯きながら歩いていた。俺に「行ってらっしゃい」を言えなかった自分を責めているのだろう。母は俯いたまま、赤信号の交差点に突っ込んだ。もちろん、スーパーの前は商業街で、車通りが激しい。母はそのまま、急ブレーキを踏んだトラックに撥ねられて地面を転がった。

「やっぱり、根本的な原因は俺か」

 分かっていても心に来るものはあった。目の前にある残酷な惨状を素直に受け入れることはできなかった。

「――次は学校か」

 職員には体調不良で、病院に検査を受けに行ってたと嘘をついて校門を通った。

 大智たちには心配されたが、それを無視して琴裡の席に向かった。相変わらず読書家の琴裡は昼休み終了の間際まで本を読んでいた。

「――生きてたか」

「――ってことは、私は一度死んだようですね」

 一度死んだ琴裡は、すべてを悟ったかのような目で俺を見つめていた。

「――まさか、本当にこんな無駄なことをするなんてな」

 もう一人、すべてを知った五十嵐迷は白衣のポケットに手を突っ込んでそういった。無論、滅多に喋らない迷が発言したことで、クラスの一部では驚きの声が聞こえたが。

 


そう、ようやくこれで一件落着なのだ。母は死に、琴裡は生きている。これがこの世界の理で、変えてはならない現実だ。

 ここから変わらなくちゃならないのは、紛れもなく俺自身である。母を死なせた間接的な原因は俺にある。だからこそ、夜遊びなんてやめて―――。


「お前らの謎について追わせてもらうぞ」

「余計なお世話」

 俺の提案を、五十嵐迷は即座に断った。

「ってか、なんでお前は水曜日のお前なのに俺が――」

「言わずもがなです。こちらに服用者データは出ています。まさか、服用者が菊地記世子さんじゃないのは驚きですが」

 琴裡曰く、俺の母は親父を生き返らせるために例の薬を多額で購入した。

 もちろん、親父が死んだのは一昨年だから、薬袋に入っていた1錠ごときでは足りない。

「君は本当に私たちと協力関係を結ぶんだな?どんな脅威が待ち受けていたとしても」

「あぁ、今回の件でお前らには迷惑をかけたからな」

 迷は呆れたといった様子でパソコンを弄る琴裡を見た。

「いいと思いますよ。この薬の怖さは十分に分かったと思いますし」

 琴裡はそう言って、『第三十世界についての調』というレポートをまとめ上げた。

「改めて、私は五十嵐迷。この薬を作った五十嵐魔宵の娘だ」

「私は五十嵐研究機関の情報部『だった』涼宮琴芽すずみやことめの娘の涼宮琴裡です」

 その後に聞いた話によると、二人の親は五十嵐研究機関という巨大組織に所属していたらしい。しかし、数年前の薬品製造ライン爆破事件で、迷は死んだことになった。それ以来、魔宵は人が変わったように薬の製造に固執するようになったらしい。

 ちなみに、琴裡の母親もその爆破に巻き込まれて死亡したという。さらに、彼女の遺体は骨の粉の一部しか採取されておらず、さらにそれが爆心地から見つかったことから、彼女が犯人として捜査が進められたという。

「君が敵に回したのは、この世で最も恐ろしいマッドサイエンティストだ」

 迷は続けて「命は大事にしろよ」拳を俺の胸に叩きつけ、念を込めて忠告された。

「さて、今日は解散だ。将来薬『SG-944α』を飲み忘れるなよ」

 夕日が差し込む放課後の教室。その場にいた3人全員が気が付いていた。教室工法のドアから会話を盗み聞きする錦田愛海の存在を。

「さて、帰りましょうか」

 琴裡はノートパソコンを閉じて、カバンの中に入れた。迷も何も入ってないリュックを背負い、俺も帰り支度を始める。――不自然さが無いように。

 帰路につき、スマホの電源を入れると大量の通知が表示された。

「――あ」

 母親の死を受けての警察からの電話、急に遊びに来なくなった俺を心配する大智らのLINEなど、表示内容は様々だった。

 北大駅へ続く暗い一本道、俺の後をつける人物が一人。ゆっくりと音をたてないようにポケットから『ソレ』を取り出し、俺に『ソレ』の照準を合わせる。引き金に人差し指を掛け、それを引いた。体を穿つような振動と、大きな発砲音が鳴り響いた。

 しかし、『ソレ』から放たれた弾が、俺に当たることはなかった。

「俺のカバンが常に空だと思ったか?」

「――どういう意味?」

 振り返った俺と目が合った人物は、錦田愛海だった。

「あなたに将来されては困るの。今すぐ死んでくれないかな」

 錦田愛海のクラスの地位は低い。常に一人で、誰とも話さない。一部の一軍女子から嫌悪の対象にされている。

 ――1年中白衣を着ている迷がなぜ、一軍女子から好かれているのかは謎だが。

「お前も五十嵐研究機関の関係者か?薬の正体を知ってるってことはそういうことだろ」

「――いいえ。あんな殺戮機関の人間じゃないわ」

「そうか。でも、俺は将来して元の時空に戻らなきゃならない」

 融通の利かない俺の行動を見て、錦田愛海は舌打ちをした。教室で迷と別れる直前、迷は「あの子を怒らせれば、君の勝ち」と囁いた。

「いいわ。話が通じないなら、死んでもらうだけ――」

 愛海はもう一度拳銃の引き金を引いたが、発砲音が鳴ることも、弾丸が放たれることもなかった。

「ジャムったな」

「なんで、あなたにこんなことが予測できるのよッ!」

 錦田愛海は何度も引き金を引くが、ジャムった銃から弾丸が飛び出ることはなかった。

「諦めろ、五十嵐研究機関への報復なんて無理だろうに」

「何も知らない男が何をッ」

 まったく何も知らない訳ではない。錦田愛海の目的は、五十嵐迷が行うすべての行動に対しての妨害だ。迷曰く、愛海の両親も五十嵐研究機関の薬品開発部で働いており、例の爆発事件で死亡している。

「あの女に何もかも壊されたッ!これが―――」

 愛海は銃を変えてリロードし、俺の脳天を撃ち抜いた。その反動リコイルによって愛海の体は吹き飛ばされる。

「――これが、私の報復」

 亘也の返り血を浴びた愛海は、満面の笑みを浮かべていた。

 ――青みがかった夕刻に、錦田愛海だけが幸を得た。

 一番星は、そんな愛海を見下ろしていた。



Name:菊地亘也 Dosing[944:4 944α:1] Date[死亡|]

 私――涼宮琴裡は、目じりに僅かな涙を浮かべながら、記録を閉じた。

「迷ちゃん、意地悪でしょ。これは。亘也君が報われない」

「運命だ。命運だ。わかるか?錦田愛海を殺す為には、あいつを泳がす他ない」

 五十嵐迷は白衣を脱ぎ、下着のままシャワーの蛇口を捻った。

 体に纏わりついた全ての厄を洗い落とすかのように、彼女にしては珍しい、爽やかな顔をしていた。

「だからって、亘也君を殺す必要はないじゃん。なんで、あんなこと…」

「いくら泣こうが喚こうが、菊地亘也の命は戻らない」

 私はそんな言葉を叩きつけられて、ソファーに倒れこんだ。

 テーブルの上に置かれた蠟燭の火は、今にも消えてしまいそうだった。

「私、少し期待してたのに。亘也君なら、この地獄を打開してくれるんじゃないかって」

「馬鹿を言うな」

 迷はシャワーの蛇口を締めて、シャワールームから出てきた。そのまま私の倒れこむソファーまで歩いてきた。カーペットを濡らしながら。

 そして、私に接近して顔を近づけた。

「この混沌を打開するのは他ならぬ私だ。それを努々忘れるな」

 迷は私の顎をくいと上げ、そのまま唇が交わった。

「いいか、錦田愛海を殺すのも、研究機関を堕とすのも私だ。君は、その支援をすればいい。君の想い人は、菊地亘也じゃないだろう」

「ん。そうだね、服用者に一喜一憂してる暇はない。このキスに免じて、亘也君の死は許すことにする」

 


 シャワーを浴びた私――五十嵐迷は、琴裡を改心させることに成功した。

 刹那関わった男に想いを寄せる必要なんてない。この世は琴裡が考える以上に簡単にできている。

 薄暗い廊下を歩き、白衣の裾を正す。廃病院の一室、『手術中』のランプが点灯する部屋の扉をノックした。

「さて、話をしようか。大葉大栄さん」

 ベットに横たわるのは禿頭の老人。体中に延命用の管が繋がれている。

「私、気が付いちゃったんだ。あの事件の、真犯人」

 小さな丸机に置かれたグラスにワインを入れて、迷は老人の目を睨んだ。

九山刄金くやまはがねだろ?」

 図星をついたか、大栄の瞳孔は見る見るうちに大きくなっていった。

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