第四十世界『愛を報いて、前向いて』

40-1 反抗期と唐揚げと

 俺――菊地亘也きくちこうやは今日も夜遊びを満喫していた。

 家にいてもどうせつまらない。なら、こうやって同級生の馬鹿どもと一緒にスリル味わいながら遊んでるほうがよっぽど楽しい。

 なにより、こいつらといると俺は一人じゃねぇって感じられる。それが一番落ち着いた。

「亘也、お前の番だぞ」

 ここは住宅地の外れにある急坂である。坂の先には踏切があり、踏切の警告音が鳴ると同時に坂を下り、撥ねられないようにスケボーで踏切を通り抜ける遊びだ。

「わりぃ、電話かかってきた」

 スマホの画面には母の連絡先が表示されている。一度はキャンセルしようと思ったが、既に4度もキャンセルしているため、さすがに出ることにした。

「なんだよ、今いいとこなんだから邪魔すんな」

『さっきから電話かけてるでしょ?どうして出てくれないの』

 電話を取ればピーピーと、親の五月蠅い声が鼓膜を突く。

「だから今出てんだろ、さっさと要件言えよ」

 友人らは今も電車に撥ねられるぎりぎりで線路を横切っている。俺も早く混じりたい。あの渡り切った後の爽快感は何とも言えない快感だ。

『夕飯、食べるの食べないの?』

「食うわけねぇだろ。ダチと食うからいいよ」

『お金は持ってるんで.....』

 まだ何かほざいていたが、俺は電話を切った。そして、マナーモードにしてポケットに突っ込んだ。

「おい、次俺の番な!」

 ダチは俺をすぐに受け入れてくれる。あんな親とは違って。

 

 ダチと一緒に飯を食って、そのまま俺らは各々の家に帰宅した。

 玄関を開けると、なぜか明かりが灯っていた。普段、親は寝ている時間のはずだ。

「ったく、説教する気か?だる」

 俺は一階のリビングには降りず、そのまま自室に籠った。

 やがて、親が階段を上ってくる音が聞こえて、俺の部屋の扉をノックした。

「んだよ、さっさと寝かせろよ」

「早く開けなさい。お話があります」

「お前の話とかどうでもいいから。早く寝ちまえよ」

 親は何度か扉をノックしたが、5分もしたら諦めて寝室に向かっていった。

 まったく、俺は親不孝なんかじゃない。これは正当な『成長』だ。親と距離を置いてほしい期間。それを分からない馬鹿親はこれだから困る。

 明日も学校がある。どうせ明日もダチと夜まで遊んで帰るだけだ。それが、俺の日常で一番生き生きとしてる時だから。


 翌朝、俺は朝飯を食べるために1日ぶりにリビングに向かった。親は台所で洗い物をしていた。

 親父の仏壇に火のない線香をぶっ刺した。

「ねぇ、今日も学校なんでしょ?お弁当作ったから持っていきなさい」

 カウンターの上には、訳の分からんデザインの風呂敷に包まれた弁当があった。

「いらねぇよ、学食あるし」

 周りのダチはみんな学食だ。それなのに、俺だけ弁当だと浮いてしまう。馬鹿にされて煽られるのは御免だ。

 俺は何も入っていないリュックを背負って、玄関へ向かった。

「ちょっと、朝ごはんぐらい食べていきなさいよ」

 親が慌てて階段を上ってくるが、俺はそれを超える勢いで靴を履き終えた。

「弁当もいらねぇ、朝飯は適当にコンビニで買う!これでいいだろ」

 俺は家の扉を音を立てて閉め、自転車を漕いだ。

 

 嵐が去ったような静けさに玄関が抱擁される。

「行ってらっしゃいって、言えなかったわね」

 私は育て方を間違えたのだろうか。もしもあきらさんが生きていたら、この子はもっとマシな子に育ったのだろうか。

 もちろん、彼が思春期で親と距離を置きたい時期にあることだって知っている。

 でも、ここでいい加減に育てたら、あの子はいつまでも人に迷惑だけをかける害悪になるに違いない。でも、そんな風に決めつけることが彼への束縛になっていないか怖くて、もしくは自分が脅されるのが怖くて、結局見放しているだけになっている。

 リビングに降りて、昌さんの仏壇に目をやると、彼が刺したと思われるお線香があった。忘れっぽくて、雑な行動が多い彼だけど、昌さんへのお線香だけは毎日欠かさずあげていた。

 彼の分と、私もお線香に火をつけて、手を合わせた。どうか、彼が今日も事故にや怪我をせずに平和な一日を送れますように、と。


 午前中の授業を御座なりに受けて、時間はいつの間にかお昼時に差し掛かっていた。

「亘也、食堂行こうぜ」

 いつも一緒に飯を食っている、島岡大智しまおかだいちが声をかけてきた。

「おう」

 俺は大智と同じ唐揚げ弁当を注文し、空いていた席に腰を下ろした。

 プラスチックの蓋を開けると、香ばしい唐揚げの匂いが鼻を刺激する。そう言えば、母の好物は唐揚げだったっけ。いつのことだろうか、俺が「ママの唐揚げが世界一美味い」とか言ってたのは。頭の中に嫌な顔が浮かんできて、飯が不味くなった気がした。

 割り箸がきれいに割れずにそのまま舌打ちする。

「割り箸ごときでキレてんじゃねぇよ」

 大智は笑い交じりでそう言って、俺の嫌いなたくあんを食ってくれた。

「にしても、お前の親は弁当作ってくれねぇのか?」

「いや、それはお前にも言えることだろ」

 大智は顔をしかめてから答えた。

「うちの親は朝早くから仕事なんだよ。夕飯は作ってくれるけど、朝飯とかは作ってくれない」

 大智は唐揚げを頬張りながらそう言った。そんな彼が少しだけ羨ましいと思った。親の束縛を受けなさそうで、さぞかし良い家庭なんだろうな、と。

「ま、うちもそんなもんだ」

 何故ダチとこんな会話をしなければならないのかげんなりしながら、脂っこい唐揚げを口に押し込んだ。

「ま、お前んところは父親亡くなったって聞いたし、母のほうも大変なんだろうな」

 大智なりにフォローを入れてくれたらしい。が、親は専業主婦だから暇をしているに違いない。

 5限の始まりを告げる予鈴が鳴って、俺らは教室に戻ることにした。



 今日のお弁当の中身は、彼の好きな唐揚げだった。せっかくだし、夕飯にでも食べさせてあげたい。私は今でも覚えてる。彼が、「ママの唐揚げが世界一美味い」と言ってくれたことを。だから、いつも唐揚げを作るときには力を入れていた。それなのに今日は――。

「そうだ、牛乳切れたんだっけ」

 冷蔵庫を見ながらそう呟き、買い物に出ることにした。午後から買い物は気が滅入るが、仕方がない。

 時計を見ると、いつの間にか4時を過ぎていた。

 彼は今日も夜遅くまで遊んで帰ってくるのだろうか。彼が素直に帰ってくることを、私が帰ってくる頃にはこのお弁当が空になっていることを願って。

 テーブルの上に、「唐揚げ弁当」と書いた置手紙を残しておいた。



 6限が終わり、生徒は帰る時間になった。

「おい亘也、今日もあれやろうぜ」

 大智が言う「あれ」は、昨日やったあの遊びだろう。だが、俺の心の中には親の顔が疼いていた。

 一度、俺が何日も門限遅れて帰った時に激怒されて、その日の夕飯を抜かれたことがあった。あの時の唐揚げを食ってる親父の顔は実に幸せそうだった。

 まぁ、この年になれば普通にコンビニで弁当ぐらい帰るが。

「どうしよっかなー」

 遊びたい誘惑、今日ぐらい門限通りに帰ろうという善心。

 心の中で激しいせめぎ合いを繰り広げる中、ポケットに入っていたスマホが震えた。

「わりぃ、電話だ」

 スマホに表示されているのは母の連絡先だった。またか、と思ったが、この時間にかけてくるのはおかしいと思って素直に出てみた。

「――もしもし」

 スマホから聞こえたのは、中年の女性の声ではなく、若い男性の声だった。

「あの、どちら様で?」

「あぁ、菊地亘也さんでよろしいですか?私、大西警察署の来須くるすと申します」

 警察?クルス?俺らが踏切で馬鹿遊びしてることを母が通報したのだろうか。いや、母は俺がそんなことをしているのを知らないはず。

「はい、俺が菊地亘也ですけど」

「了解しました。落ち着いて聞いてくださいね」

 クルスと名乗った男の声が少し震えているのを違和感に感じて、俺も唾を飲んだ。

「――亘也さんのお母様、菊地記世子きくちきよこさんが交通事故に遭われまして、病院に搬送されました」

 猫背だった背筋に雷が落ちたかのような衝撃を受けた。

「その病院はどこにあるんです?」

 声が上ずって変な声が出たが、動揺のせいでそんなことに気を配っている余裕さえなかった。

 ダチは心配げにこちらを見つめている。それすらも今はどうでもよかった。

「北大市立病院です」

 俺は一瞬でスマホのっ電源を切って、走りながら言った。

「今日はキャンセルだ!」

 ダチ共は訳分らんと言った様子だが、説明は後日でいい。ただ、今は北大市立病院に急がねば。

「なんで、なんで、なんでだァ!」

 撥ねた奴への怒り、母とまともな会話もしてこなかった俺自身への怒り、それら全てが心を搔き乱す。

 高校から北大市立病院は歩いて10分ほどの距離にある。走れば5分だが、気が動転して転びまくり、20分はかかっただろう。

 病院に入るや否や、受付に飛びついた。

「菊地記世子の病室はどこですか?」

 女性の受付嬢は、「その方なら...今、手術室です」と、受け答えた。

 口だけの案内でどうにか手術室の扉の前にたどり着いた。

 ドアの上に点灯する赤いランプが、消えた。

 近くのベンチに座っていた警察官、来須もドアの前へやってきた。

 そして、中から執刀医と思しき男が姿を現した。

「菊地記世子さんですが、出血箇所が多く....」

 執刀医はこめかみから垂れる汗を拭い、静かに答えた。

「お亡くなりになられました。死因は、出血性ショックです」

 来須は眉間に皺を寄せ、俺はその場に崩れ落ちた


 ――もう、あの唐揚げは食えない。

 ――もう、あの五月蠅いお節介を受けることはない。

 ――もう、飯の心配をされることはない。

 どれだけ嘆いても、母が生き返ることはないと気づいて、さらに込み上げる思いは収まらなくなった。


――嗚呼、もう一度あの唐揚げを食いたいのに。


 病院の窓から差し込む月明かりが、憎たらしかった。

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