第一世界『外れた枷』

■-1 ある少女の死

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『■1:異常性』


 私は物心ついた時から、部屋という枷に拘束されていた。

 その部屋には、遊ぶ道具も親もいない、白い壁があるだけの無機質な空間だった。そこに佇む白いワンピースを着た私はこの部屋の規律を乱す物質だった。

 毎日3回、白い扉から黒い服の男の人が食事を運んできてくれる。話しかけても何も返してくれない。食器は誰も見ていないのに、私が食べ終わったタイミングで回収された。

 私は4年間、この無機質な部屋に幽閉されることになる。幼い私の手首には冷たい鉄の手枷が付いている。部屋の隅々まで行き来できるけど、いつも黒服が来る扉からは出ることができない。

「——私は、いつになったらここから出られるのかな」

 私が無機質な部屋に入れられてから2年が経過した。2年経過のちょうどその日、黒服が初めて私と喋ってくれた。

「黒服さん、この痛いのを外してくれない?」

「不可能」

 黒服は喋ってくれたものの、全く会話が通じる様子ではなかった。結局、その日も私の手枷が外れることはなかった。

 翌日、また黒服が来てくれた。黒服は私にHBの鉛筆をくれた。私がここに来て初めての、食事以外の物を与えられた日だった。

 私は脳内に無限に湧き出る『創造』を文字にして壁に書き連ねた。白かった部屋は、みるみるうちに私の文字でいっぱいになっていった。

 その日はやけに『扉の外』が騒がしかった。悲鳴が聞こえたり、何かの警告音が鳴り響いていた。でも、私の部屋に誰かが来ることはなかった。

 悲鳴が落ち着いて、耳を裂くような警告音も止んだ。それと同時に、黒服が扉を開けてやってきた。

「メイ様、枷を、外します」

 この時、私は初めて私の名前を知った。黒服は私の手枷にカードを通し、枷は重たい音を立てて床に落ちた。

「逃げてください、メイ様。もうここは、安全じゃない」

 黒服の言う通り、『扉の外』からは爆発音が鳴り響いていた。

 私は急いでそこから逃げようと試みた。扉を目指して一目散に走ったところで、立ち止まった。

 無機質な部屋と同じ、白い廊下。明かりを取り入れるためのガラスが散乱していた。

「黒服はいかないの?」

 振り返って初めて気が付いたが、黒服の背中には大きなガラス片が突き刺さっていた。廊下には彼の血痕が道のようになっていた。

「メイ様、逃げてください。私は、役目を果たした!」

「黒服さん。また遊ぼうね」

 私はその場を後にした。まだ、黒服に言い残したことがあったのに。「ありがとう」を伝えられずに、走った先で私は爆発に巻き込まれた。



「——酷い有様だ」

 爆発が起こった現場を見つめる老人、大葉製薬の社長、大葉大栄おおばだいえいである。社長室からの光景は恐ろしいものだった。煌めく夕日より赤く点滅する警告灯、爆発のせいで辺りに散った薬品の破片がもたらす植物の枯死。

「これもすべて、あなた様の戦略なんですね」

 大葉の秘書、九山の言葉に大葉が言葉を返すことはなかった。



 心配と焦燥に魂を支配されながら、私はガラスの散った廊下を走っていた。

 五十嵐研究機関薬品製造ラインB号棟で起こった爆発事故は、辺りに大きな被害をもたらした。

 でも、今はそんな大事はどうでもよかった。メイの生死が最優先だったから。

 A号棟からB号棟への渡り廊下は完全に崩落していた。B号棟の敷地に建っていた鉄塔が倒壊し、渡り廊下を叩き潰したらしい。

 崩れた渡り廊下の下を除くと、瓦礫の隙間に白いワンピースが見えた。

 ――私が娘に贈った最初で最後のプレゼント。

 私は溢れ出る感情をどうにか抑えて、保管室に辿り着いた。そこにあったのは、尚影なおかげの遺体だけだった。

「死んでるか」

 尚影の死を改めて確認し、壁に書かれたおびただしいほどの字を見て、私は戦慄した。

 我が子に文字を教えたつもりはない。それどころか、この文字は――。

「——この世界のどこにも、存在しない文字だ」

 日本語でもなければ統治県の言語でもない。私たちの文明力で理解できる文字ではなかったのだ。

「——SG-944」

 床に書かれた英語と数字。私たちの力で解読できる唯一の文字だった。

 さらに部屋を見ていると、2年前に与えたスケッチブックが落ちているのを見つけ、中を見てみた。

「わたしとくろふく」

 幼稚な字で書かれたその下に、迷と尚影と思しき絵があった。

 一見何の変哲もない絵、だが、このスケッチブックを全てめくるとこれが異質なものだと判明した。

「——同じだけど、少し違う絵?」

 書かれているのは毎回、迷と尚影だけど、上に書いてある文字が違う。

「きょうは、青をみた」、「あしたのいろ、くろい」、「きのうとはちがうわたし」、「かわらないくろふく」5ページ目以降は全く解読不能な文字だった。

 スケッチブックの最後のページに書かれていたのが、迷が書いた謎文字の真相だった。

『ここに書いてあるのは全部、私の頭の中のこと。SG-944って魔法の薬があったらなって思うの。私は、いろんな世界を見ることができる。もしママが見てたら、作ってほしいな』



――いろんな世界を見れる、魔法の薬。



 SG-944。脳内ニューロンと連動し、行きたいと強く願う気持ちがあればどんな世界にも行くことができる薬。迷の遺した魔法の薬。

 ただ、タイムパラドックス問題を解決できないのが製品化できない悩みの種だった。

 ある世界へ遡及した場合、それまでいた同一人物はどうなるのかという問題。それが、この薬の唯一の欠陥だった。

「私は意地でも、この薬を製品化させるからな。迷」

 五十嵐魔宵いがらしまよいはこの決意により、大葉製薬の大葉大栄を横領で失脚させ、大葉製薬の社長に登りつめる。しかし、これは表沙汰の行為であり、裏では五十嵐研究機関の拡大を狙ってのことだった。

 これが、後に世界線の歪みをもたらす『SG-944』の開発秘話である。



 無駄な発明をいつまでもし続ける馬鹿な人物。

 渡り廊下から転落した五十嵐迷いがらしめいは、B号棟の貯水タンクに落ちた。命は助かったが、爆破した薬品の影響で髪の色は抜け落ちていた。

「白い髪、その金の首飾りの紋章は研究機関のもの?」

「黙ってくれない?私はママを止めなきゃいけないの」

 

――五十嵐迷と錦田愛海は、夕日に染められた校庭で拳銃を向け合いながら互いを睨みつけていた。






 

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