48-3 私の自由と繕い
9月12日木曜日。夏の暑さが残る中、私はその日も5時半に起きた。
「茉祐?朝ごはんいらないの?」
「いらない」
最近やけに母がうざい。どうしてそこまで私に関わろうとするんだろう。ずっと無視してていいのに、過保護すぎるんだ。
母が机に置いておいた弁当をかばんに突っ込んだ。いつまでキャラ弁作る気なんだあの女は。
「もう、どうだっていいのに」
門限だって必要ないでしょ。もう高校生だというのに8時が門限は早すぎるだろう。スマホの使用時間も制限されている。
——どんな時でも、私に自由は与えられてなかった。
親といるのが嫌でいつもより早く家を出た。大西駅まで歩いたところで、親と同等に嫌な顔が突っ立っていた。
「あ、紗幸おはよー!」
窮屈、このキャラが一番やりにくい。私は一人でいるのが好きなのに、この女が付きまとうせいで学校生活にも不自由が生じる。
私を見つけた紗幸はいつもよりテンションが低かった。それどころか、私に抱き着いて泣き出し始めた。気持ちが悪いから早く離れてもらいたい。
「紗幸?なんで泣いてるの?」
紗幸を自分から離して近くのベンチに座らせた。世話が焼けるとかいうレベルじゃない。
「ごめんね茉祐。ちょっと悲しいことがあってさ」
「何かあったの?部活のきついメニューでも根を上げない紗幸が泣くなんて珍しいね」
この涙の正体は結局、わからないままだった。悲しみと絶望を含んだ涙、まあ、私には何の関係もないこと。
紗幸が泣いたせいでいつもより一本遅い電車に乗ることになった。無論、私のテンションはだだ下がりだった。
「あのさぁ、茉祐?今何か悩んでることとかってある?」
隣に座っていた紗幸がいきなり発言しだした。悩んでいること?お前が悩んでるんじゃないのかよ、面倒な女め。
「ないよ」
すると、紗幸は小首を傾げてこう言った。
「本当に?悩んでることがあったら、ちゃんと話した方がいと思うよ」
「紗幸、大丈夫だから。私、メンタル強いじゃん?悩みと言ったら部活の1年生が最近たるんでるくらいだもん!」
繕う、繕う、こいつの前で好意を振りまく馬鹿な女になりきるんだ。
学校からの最寄り駅で降りて、そのまま何の会話もなく教室へ向かった。いつも通りに授業をこなし、部活に全力で取り組んだ。でも、その全ての行動に紗幸の視線があった。
紗幸に誘われ、私たちは一緒に帰ることになった。本当は、愛海と帰りたかったのに。
「茉祐は夜、用事あるの?」
電車内で紗幸がいきなり聞いてきたとき、私は背筋が凍りそうになった。
昼休み、図書室でこっそり約束したはずの愛海とのお出かけをなんでこいつが知ってるんだ。盗み聞きされてた?まさか、考えすぎか。
「ん?どうして?」
「いや、電話したいなって思ったから」
「あぁ、大丈夫、用事ないから」
繕え、笑顔で隠せ。気持ち悪いから二度と私の視界の中に入らないでもらいたい。このままだと私のテンションが持たない。だから、愛海が話してたアイドルの話を、あたかも私が推してるかのように話した。
電車はようやく大西駅に到着し、私の絶望の終わりが見えた。正確には、家に帰っても親の面を拝むことになるのだが。
「明日も歴史教えてね!また明日!」
これで満足だろ。お前は気楽でいいよな、私の不自由も知らないんだもん。
紗幸と別れた後、さっさと家に帰った。愛海との約束が待ってることを唯一の希望にして。
「ちょっと茉祐?どこかに行くの?」
「友達と遊ぶから」
私は最後まで言い終える前に玄関の扉を閉め、大西駅へ走った。
一人で乗る電車はやっぱり気楽だった。誰の目も‥‥。
隣の車両にいつもとは違う服を着た紗幸を見て、私は戦慄した。
「なんで、いるの?」
私は気づかないふりをして颯爽と電車を降りた。
駅の柱に寄りかかっていた愛海を見つけて、とてつもない安堵を得た。
「ごめん、ちょっと遅れた!」
愛海と話しながら、私たちはショッピングモールの中にあるカフェに入った。
後をつけてきた紗幸は向かいにあるもう一つの店に入った。さすがに盗み聞きされることはないだろう。
「ねぇ、愛海!私もう無理かも。ママも紗幸も気持ち悪すぎる」
「ちょっと落ち着きなって」
愛海は私の口に強引にストローを突っ込ませた。
「茉祐がどんな気持ちで接してるのかは分からないけど、無理はしない方がいいよ。嫌なら嫌って、しっかり言った方がいい。無理に繕う方が体に毒だよ」
やっぱり、愛海は私をちゃんと見ててくれてる。あの女よりよっぽどいい女だ。
「そうだ茉祐、写真撮ろ!」
私は愛海の撮った写真を受け取り、インスタに投稿した。すぐにあの女の閲覧が付いたことに吐き気を覚えたけど。愛海と一緒にいると、そんな嫌な感情も吹き飛んだ。
その後、ゲーセンで少しだけ遊んで駅に向かって歩いた。
「嫌なら嫌って言うこと。ちゃんと話す時間を作った方がいいよ」
帰り際の愛海のアドバイスに感謝を伝え、駅に着いた。
「じゃぁ、愛海また明日!愛してるー!」
私はそう言って電車に乗った。あの女も隣の車両に乗り込んだ。
大西駅で降りて、帰り道で愛海からメールが来ていることに気が付いた。
『今日はありがと!また明日ね!無理はしないよーに』
私は愛海に電話をかけて礼を伝えた。次の瞬間、私の背筋に悪寒が走った。
後を付けていた紗幸との距離が一瞬にして縮まったんだ。
周りはあぜ道でここは一本道、逃げ場はどこにもない。もう言うしかないか。
「紗幸、全部バレてるから」
面と向かってみた紗幸の目、何かが喪失・欠落したかのような『からっぽ」の目だった。
「ねぇ紗幸、なんで紗幸は私についてきたの?最近ね、紗幸との接し方がわからなかったの。なんというか、距離感が掴みづらい感じ?それと、なんでうちの行動が読めたのさ、ショッピングモールへ行くって。電車で用事について聞いてきたけど、それは愛海と会うのって聞いてたのも同然だよ」
私は全力で紗幸を睨みつけた。今まで紗幸の前でこんな表情をしたことは内だろう。
「ねぇ、なんで?なんで分かったの?私は紗幸が怖いよ」
――まるで未来でも見たかのようにね。
「紗幸は私のことが好きかもしれない、でもね――、ごめんね紗幸。私は紗幸が怖いし、嫌い。あんまり、私と関わらないで貰えないかな。ストーカーに見えてしょうがないの。私の行動、細かく観察してるでしょ?少しは自由が欲しいよ」
全力で紗幸を拒絶したつもりだった。もしかしたら、私を束縛する親への嫌味も混じっていたかもしれない。
「自由にすればいいよ!私は、それでも、茉祐を愛してるから!」
なんでそうなる!話の通じない女が。
「それをやめろって言ってんの!」
喉の奥から本音が包み隠さず出てきた。人生で初めて怒号を飛ばしたかもしれない。
「茉祐、もう後つけたりしないからさ、ね?私を愛して、私はあなたを――」
そう言ってどんどん距離を詰めてくる紗幸。その瞳に生気は宿っていなかった。私の全てを我が物にせんという欲求に駆られた獣の目。
「もう、やめて。来るな!近寄るな!」
自然に目から涙が零れた。私を縛る全てのものへ対する嫌気、目の前に迫る紗幸への恐怖が感情となって顕現する。
「今までのこと、全部謝るから私を抱いて」
「無理だからッ!」
なんでこんなに拒絶してるのにこの女は。もしかして、言葉が通じてない?
「うちは自由が欲しいのッ!束縛なんていらない!紗幸は嫌い!全部いや、お前は何も分かってない。それでいて愛すとか言うな!」
――私に、永遠の自由をください。神様がいるなら、私の願いを今すぐ叶えてください。それが無理なら。
私の頬をつかみ、キスを迫る恐ろしい紗幸の顔が目の前にあった。
「さ、私と付き合お」
「———無理」
――それが無理なら、私は死を選ぶよ。
警告音を鳴らす踏切に身を投げた。電車のライトはすぐそこにあった。
全身に衝撃が走り、私の人体は砕け散った。
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