供養塔で雨宿りしていたら、甘酸っぱいジュースを貰った話 from the perspective of world line
広河長綺
第1話
《西暦2122年8月14日最良世界線》
激しい夕立が、石碑を洗っていた。
ここ供養塔の周囲には、数年前に終結した怪獣戦争の犠牲者の名が刻まれた石碑がある。
さっきから降り続く夏の雨が、名前の形をした溝の中に溜まったゴミを押し流していく。
夕立が降り始めて、10分ほど経つ。
下校途中で傘をカバンに入れ忘れていた私は、制服がビショビショになるのが嫌なので、とっさに供養塔の下に駆け込み、ボーっと雨が止むのをまっていた。
が、さすがにヒマだ。石碑を眺めるのも退屈すぎる。
少し歩き回ることにした。
ここ供養塔は円柱状で5メートルほどの高さに屋根がついている。つまり緩やかにカーブした塔の壁にそって歩けば、屋根の下を歩いて塔の反対側に行けるということだ。
そっちに行けば、別の景色を見れるだろう。
だから私はゆっくり歩き始めた。
塔の壁にそって、一歩ずつ。
13歩歩いた時。
供養塔の下で雨宿りしていたのは、私以外にもいたのだと判明した。
しかも顔見知りだ。
私が気づいたのと同時に彼女も、こちらに気づいた。
「あっ、香織ちゃん!」
無邪気に私の名前を呼び、駆け寄ってくる。
コミュ障の私は、彼女がクラスメートの石山たまきだと思い出しているのに、何とリアクションしてよいかわからず、「あ、うん」と不明瞭な声を発することしかできない。
「やったー。1人で雨宿りしてて、ヒマだったんだぁ」
屈託なく大きく笑うので、石山さんの腰の下まである長い髪が揺れる。
長い後ろ髪とは対照的に前髪はヘアピンで全部横に避けてあり、広いおでこが完全に露わになっている。
毎朝髪を内側に巻いてセットして、少しでも顔を隠そうとしている私とは大違いだ。
いや、そんなこと考えている場合じゃない。
沈黙が長すぎてキモい感じになってしまっている。
何か話さないと。
「えっと、部活帰り?」
私はやっとのことで、どもりながら声をかける。
「うん」石山さんは、苦笑いしながらうなずいた。「放課後の自主練して帰ってたら夕立が降ってきちゃって」
「この夕立、結構激しいよね」
「それでこの塔の下で、このオレンジジュース飲んで一休みしてたんだけど…。飲む?」
石山さんはナチュラルに、口をつけたペットボトルを私に差し出してきた。
「え!」
石山さんが口をつけたものを!?
こんな青春みたいなシチュエーション、どうしたら?
差し出されたペットボトルを受け取ろうとして、ようやく、照れて伏し目がちだった視線をあげることができた。
そして私はその瞬間に初めて石山さんの顔をしっかり見ることができたので、石山さんの頬に水滴が垂れていることに気づいたのだった。
今もザーザー降り続いている夕立の雨粒だろうか?いや、違う。その水滴は目から顎まで、水の筋をつくっていた。
これは、涙だ。
石山さんは、泣いていた。
《西暦2122年8月14日最良世界線に隣接した世界線》
超酸性雨の夕立が降ってきた。
私は慌てて傘をさしたが、私の部下はまだ経験が浅い。
「ヤバい!」「夕立だ」「傘さす!」の思考に1秒もかかってしまう。
当然、間に合わない。
私の部下たちは超強酸性の雨粒を浴びてしまい、体のタンパク質が加水分解され、全身が溶けていった。
動きが遅い者は死ぬ。
戦場の冷酷な掟。
だが、私だってまだ安全じゃない。耐酸傘ですら、酸性の雨でゆっくりと溶け始めていた。
恐らく怪獣側の改良によるものだろう。
この酸性雨は翼竜怪獣ガドンの唾液による空爆なのだが、ガドンも人間の耐酸傘に対抗して唾液を強くしたらしい。
傘が溶けきる前に、建物の下に入らなければ。
周囲を必死に見回すと、見張り塔が目に入った。高さは5メートルほどで、展望台の真下なら超酸性雨もしのげそうだ。
本当ならもっと立派な建物で夕立をしのぎたかったが、周囲には他に建物はなく、贅沢はいっていられない。
私は溶けていく傘を手に、見張り塔の下に駆け込んだ。
「おー!」
慌てて駆け込み、肩で息をしている私の名を呼ぶ声。
息を整え顔をあげると、雨宿りの先客の笑顔があった。
長い髪、明るい雰囲気、広いおでこ。
「あ、石山さん。あなたもこのエリアに来てたんだ?」
私の挨拶が嬉しかったらしく、「これ、一緒に飲もうよ」と軍人用筋肉増強ステロイド剤を差し出し、テンション高くはしゃぐ石山さん。
普段なら私も陰キャなりの精一杯の愛想笑いを返し、一緒にステロイドドリンクを飲んだだろう。
しかし、今の私は上手く対応できない。
石山さんの両目の周囲には数十センチほどの巨大な肉の塊が生えていて、そこからは涙らしきものが流れていたから。
「石山さん、顔のそれ、何ですか?大丈夫なんですか?」
私は思わず、質問した。
《西暦2122年8月14日最良世界線》
石山さんの両目からは涙が流れていた。
え、どうしたんですか?それ?
と、聞くことができたなら、どんなに楽だっただろう。
コミュ障の私には、ハードルが高すぎる。
だから、必死に頭を回転させて、どういうことか考えるしかない。
「あ、じゃあ頂きます」というあたりさわりのない言葉をかけつつ、ジュースを飲みながら(おそらく、石山さんは雨宿りで一人になれたタイミングで、我慢していた涙を流していたのではないか)という推測にいきついた。
石山さんが泣く理由。
私には見当もつかないが、石山さんだって女子高生だ。悩みだってあるだろう。
そう考えると問題は「なぜ泣いていたか」ではない。
「私が邪魔なのではないか」という点なのだ。
私がこんな風にウジウジ考えている間、石山さんは「はやくやまないかなぁー」とか言って笑っているが、それだって私に対する気遣いかもしれない。
心のなかでは(せっかく1人で泣いていたのに)と忌々しく思っているかもしれない。
石山さんの苦痛になっているなんて、私にとって最大の苦痛だ。
私にとって石山さんは特別な存在だったから。
あくびしたり。顔にかかった髪を耳にかけたり。
普段のちょっとした仕草を教室で見かけるだけで、私の鼓動は速くなり、顔は火照ってしまう。
…たぶん私は恋に落ちているのだろう。
もちろん石山さんにボーイフレンドがいることは知っている。叶わない恋なのは承知の上だ。
だからせめて石山さんの邪魔にはならないと強く決心した。
だからこそ、今、どうしたらいいかわからない。
私が石山さんへの恋心で身動きが取れずに困っていると、石山さんの目にさらなる異変がおこった。
大量の涙が唐突に流れ始めたのだ。
顎から大粒の雫が落下するレベルで、涙が流れていく。
ある意味で幸運だった。ここまで大量だと、石山さんもシラを切ることはできない。
「あ、ビックリさせちゃってゴメンね!これは涙じゃなくて分泌液なんだ」と石山さんが説明してくれた。
《西暦2122年8月14日最良世界線に隣接した世界線》
「あ、ビックリさせちゃってゴメンね!これは涙じゃなくて分泌液なんだ」と石山さんが説明してくれた。
そう喋る間にも、石山さんの顔の上で肉塊はグチョグチョ蠢き、液体を噴出させ続ける。
いや、分泌液って言われても…。
戸惑って絶句する私に、石山さんは丁寧に「つまり、私は顔に怪獣の細胞を移植したんだ。隊長1メートル程の超小型の怪獣は隠れていたりするでしょ?ほかの怪獣に反応する怪獣細胞分泌腺を見つけて、人間の涙腺に移植するっていう軍のプログラムなんだ」と説明してくれた。
怪獣との戦争に勝つために、人類軍はそこまでするのか、と驚いた。
いや、よく考えれば、別に当たり前か。かわいい石山さんの顔と人類の命、どっちを大事にするかと言えば、答えは明らかだ。
「それで、その手術は成功してるの?」と私はきいてみた。
驚くことに「手術は失敗だったよ」というのが、答えだった。
「怪獣が近くに居てもいなくても、涙が出ちゃうんだー。役に立たないよね、はは」と冗談めかして笑う石山さんの態度には性格の良さがにじみ出ていて、私は言葉を失う。
つまり結果的に石山さんは、何の意味もなく顔をぐちゃぐちゃにされただけ、ということになるのに。
そんな、あんまりすぎる運命を呪わないなんて。
なんて心が綺麗なんだろう。
感心しながら、私は口を開き唾液をかけて、石山さんの体のタンパク質を加水分解して殺害した。
ゴメン。私にも怪獣軍のメンバーとしての使命があるの。
と心の中で謝罪しながら。
《西暦2122年8月14日最良世界線》
「分泌液?」
意味が解らずオウム返しで聞き返す私に、石山さんは
「私は顔に怪獣の細胞を移植したんだ。隊長1メートル程の超小型の怪獣は隠れていたりするでしょ?ほかの怪獣に反応する怪獣細胞分泌腺を見つけて、人間の涙腺に移植するっていう軍のプログラムなんだ。そして手術は成功した。だからこの目は、怪獣に反応して涙を流すようになったの。これのおかげで人間軍は怪獣に勝てたらしいよ」
と丁寧に説明してくれた。ポケットから銃を取り出し、私に向けながら。
「つまり、香織ちゃん、あなたは人間のフリをした超小型怪獣なんでしょ?」
「わ、私は」
「黙れ」石山さんは私の言葉を遮った。「怪獣軍の残党が」
銃を私に向ける石山さんの目には、さっきまでの優しさは一かけらもない。
その視線に圧倒されて顔を背けた私の視界に、供養塔周囲にある慰霊碑が飛び込んできた。
あ、どんな言い訳も無意味だ、と悟る。怪獣はこれだけの人間を殺してしまったのだから。
本当は、伝えたい言葉があった。
人間の中に紛れ込むうちに、いつしか人間が好きになったこと。
石山さんに抱いている好意は本物だということ。
人間の勝利で怪獣戦争が終わった時、人間として暮らしていこうと決めたこと。
でも、私一人の感情なんて、なんの価値もない。
だから私は黙って射殺されることにした。
目を閉じて、銃弾が飛んでくるのを待つ私の耳に、ザーという激しい雨音が届く。
夕立は、もうしばらく、降り続きそうだった。
供養塔で雨宿りしていたら、甘酸っぱいジュースを貰った話 from the perspective of world line 広河長綺 @hirokawanagaki
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