第238話・赤心

宇迦うか様はここ六年、クー子殿と連携し、二つの神族で一丸となって準備を進めたと私は感じている!」


 猛々しい武人の声が木霊する。それは、建御雷たけみかづちの声である。

 この高天会議たかまかいぎ目下めしたの神であろうと議論として空気が引き締まっている間は敬称を用いて呼ばれる。お互いに尊敬しあうということを、忘れないように。そのために、言葉というわかりやすい部分で互いに注意し合うのだ。

 この、お互いを尊敬しあうというのは、議論が白熱した時でも上手く会議を回す潤滑剤になるのだ。


「それに関しては私も同意です。現段階において、人が混乱を起こさないかは専門家として瓊瓊杵尊ににぎのみこと様に意見を求めたく思います」


 天孫として数回に渡り天皇として政務に携わった瓊瓊杵尊ににぎのみことは、今高天会議たかまかいぎにおける人間社会の専門家である。だから、木花咲耶毘売このはなさくやひめは彼に意見を求めた。

 妻であるからこそ、それを咄嗟に思い出せるのだ。贔屓になってしまう部分は、他の神でバランスをとれば良い話である。


「私はすぐにどうとは申せません。クー子殿の放送活動の一部で良いので、見せていただきたい。それから、我々と関わってくださる人々にお伺いも立てましょう。今人である彼らこそ、最も偉大な専門家です」


 瓊瓊杵ににぎはグウの音が出ないほどに至極真っ当な事を言っている。だがしかし、それはクー子の公開処刑になってしまうのだ。

 この空気がピリリと締まった会議の場で、ポンコツオンパレードの放送アーカイブを晒されてしまう。ただでさえやらかしているのに、さらに追い打ちだ。

 とはいえ、真っ当すぎて反論ができない。クー子はダラダラと冷や汗を流すことしかできなかったのだ。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 上映会は終わり、空気はすっかり弛緩していた。クー子のポンコツが、彼女をみる人々の行儀の良さが、これはあまり深刻になって議論することではないと告げていたのだ。


「いやぁ……こりゃ楽しい! 人の子の妙なる言葉回し、まことあっぱれだ!」


 建御雷たけみかづちは雷鳴のように笑った。クー子に神バレを警戒させ続ける人間たちのコメントこそ、神々にとっては可笑しくて仕方がない。


「ふふっ、これは大丈夫でしょう! 一応お伺いの手紙は返信法を添えて神社に送りましたが……。これは……」


 混乱が多少起こったとしても、その混乱も含めて人々が楽しんでくれそうな予感がする瓊瓊杵ににぎ


「ですね!」


 木花咲耶毘売このはなさくやひめ瓊瓊杵ににぎに同調したあと、口元を抑えてクスクスと笑う。


「うぅ……穴があったら入りたい……。むしろ閉じこもりたい……」


 クー子はその公開処刑にすっかり意気消沈してしまった。


「岩戸開く?」


 それをからかう天照大神あまてらすおおみかみ。こんなとこで、人間でも知っている有名な神話のワンシーンを出されても困るというものだ。


「誇りなさいな。とても楽しく拝見しましたよ!」


 基本的に別天ことあまつの神は、高天ヶ原たかまかいぎにいたとしても会議の主導権は天照大神あまてらすおおみかみらに譲る。そのために高神産巣日たかみむすびは黙っていたのである。基本的に女神の姿で居る神だ。なにせ、思兼の産みの親である。


「では、高天会議たかまかいぎとしては放送する方向で進めます! 次の議題に移りましょう!」


 神々はすっかり和やか、ドンチャン綺麗事モードに回帰した。


「「「賛成ー!!」」」


 皆、食事を再開する。酒こそ飲まないものの、宴会の雰囲気である。


「恥ずかしい……」


 ただ、クー子だけは顔を真っ赤にするばかり。

 しかし無情にも会議は進んでいく。高天ヶ原たかまがはらの会議は踊りながら進むのだ。


「本日出席してくれている、渡芽わためちゃん……。駆稲荷大孁渡芽包巫毘売かけいなりのおおひるめのわためくるみこのひめ殿が、新たな道を発見しました。これを受けて、父……伊邪那岐命いざなぎのみことの道を見たところ、発見された道が彼の道であると判明しました。よって、彼女に新たな司を任せ、また……」


 天照大神あまてらすおおみかみが議題を説明する途中、伊邪那岐いざなぎはズイと進み出た。


「私から……。彼女に、道先を伏してお頼み致します。許されぬ事をしたとは重々承知、されど、更生の機会を与えてもらいたく」


 伊邪那岐いざなぎは、見ていて痛々しく思うほどに深く深く頭を下げる。彼らはこの高天ヶ原たかまがはらの祖である。だから、神々には心苦しい光景だった。

 だが、それを許せるのは渡芽わためとクー子の二人の合意のみ。だから神々だからこそ、何も言えない。


「クー子……いい?」


 渡芽わためは一緒に被害を被ったクー子に伺いを立てる。


「あなたが信じる道を行くべきだよ。私はクルムが許すなら、伊邪那岐いざなぎ様を許します」


 クー子はあらかじめ、そう決めていた。渡芽わためは偉大な神なのだ。そしてクー子自身が被った被害はすでに取り戻されている。名誉も回復され、もはや咎める権利を手放して良いと思っている。だからこその、言葉だった。


「ん!」


 渡芽わためはクー子に言うと、平伏する伊邪那岐いざなぎの前まで歩いて出る。


「あなたは苦しんだ……。好きな人と会えない……苦しい! でも……八つ当たり……悲しい!」


 渡芽わためは言う。それは良い親が子にかけるような、感情に根ざしたものだった。たどたどしいのは言葉だけである。


「もっともです。心からお詫びします」


 伊邪那岐いざなぎは目をつぶり裁きを待った。


「わかったなら……みそぎ!」


 渡芽わためはそう言いながら、ペチンと伊邪那岐いざなぎの頭を叩いた。

 神の体罰は、禊である。音と衝撃により、自らを咎める心を祓い、次に進めという合図を送るのだ。


「はい!」


 よって、それは許された合図になる。


「心と向き合う、立派な説諭せつゆでした」


 高神産巣日たかみむすびは、その道がどんな道なのか、その説諭せつゆの感触で分かった。説諭せつゆとは、要するに説教だ。説教と違うのは、一方的でないこと。理解できるように、言葉を尽くして諭す点だ。


「彼女が見つけた道を、赤心あかごころの道と命名し、彼女を赤心司あかごころのつかさとして任命致します」


 天照大神あまてらすおおみかみは宣言する。赤心あかごころとは、惟神かんながらの道の悟りのようなもの。自らの本当の心を指す言葉である。

 存外に難しいもので、自らの醜さにもしっかりと目を向けなくてはいけない。この最後の道を見つけづらくしていたのは、善く在ろうという心だ。善く在りたいがために、心はそれ自体の醜悪さから目を背けてしまうのだ。誰だって善人が好きである。


 醜悪さに惑い、もがき苦しみながら進んだ、渡芽わための道だ。ただ心のあるままに進み、自らの本当に善性に気づいて初めて開ける難しい道なのだ。だが、だからこそ誰しもが通れる可能性を持ち、全ての調和に地続きなのである。

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