第234話・欠けた司

「じゃ、じゃあ! テルちゃん?」


 クー子はどのように呼べばいいのかと伺いを立てるように言う。


「うん! じゃあ、いろいろ見せてもらうね! クルムちゃん、お手手!」


 天照大神は満足そうに頷くと、渡芽わために自分の両手を掴むように言った。


「ん!」


 渡芽わためはそれを掴む。このあとの流れは、渡芽わためももうなんとなくわかっていて、かつてクー子にしてもらったことだ。


大孁おおひるめの命の主、道先のすけぞ。何処通らん、その心。何処へ往かん、その道よ」


 命そのものを育てる原初の信仰対象の一つ、太陽。その光が命にもたらす恵みそのものが、渡芽わための中をさっと駆け抜ける。


 それは、恍惚とするほどに心地よい感覚だったのだ。大孁おおひるめの道は命の全ての陰陽おんみょうの陽を司る道だ。


 命とは、水と太陽の結晶である。水の建速たけはや、太陽の大孁おおひるめ。どちらか一方だけを考えていては疲れてしまう。よって、間に立つ月夜が必要なのだ。これが三貴子みはしらのうのみこが調和を司る世界の理だ。


「ほぅ……」


 渡芽わためはあまりの心地よさに、思わず吐息が漏れる。終わってしまえば、少し残念に思うばかり。


「あ! 私の知らない道!」


 神々の道は、まだ欠けていたのだ。その中でも、荒ぶる心にも寄り添って理解を続けたが故、天照大神あまてらすおおみかみは今の姿になった。


 だが、渡芽わためには、その荒ぶる過程を。心の有り様を考え抜くという道が芽生えていたのだ。クー子がかつて言った言葉“理由があるかもしれない”が、渡芽わための心に留め置かれていた。そして、それを渡芽わためは道として見つけたのだ。


 天照大神あまてらすおおみかみが見つけられなかったのは、なまじ伊邪那岐いざなぎの子だったからである。身内の悪いところは、過剰に責めてしまう。それは何も人だけではないのだ。そして、理解をやめてしまったからその道だけが見つからなかった。


「ん?」


 自分の中にそんな道があると、渡芽わためには自覚がない。道とはそういうものである。その何がすごいのかなど、自覚し得ない。それは、渡芽わためにとって当然の思考回路なのだ。


 存在は全て、善く在ろうと産まれる。善のほぼ全てはその時の存在の総意によって決まる。揺るがないのは調和だけ。


 だが、生きる上で善く在ろうとすることの困難に出会ったり、あるいは善性を否定されたりもする。その否定の言葉こそが“綺麗事”である。


 神の仕事とは、その綺麗事をぬかす事に始まって、それを実現可能に落とし込んで教えるに終わる。この道こそが、神の仕事を象徴する道なのだ。ようやっと、それが見つかった。


 綺麗事は、言うに安く、行うに難し。だからこそ、生命を超越した神々が行うのだ。


「クルム、あなたに司を任せることになると思う。大変なお仕事だけど、司の先達たちが支えるから気楽にね!」


 司、それは神の仕事の中でも難しい仕事だ。天照大神あまてらすおおみかみ日司ひのつかさがうまくいかねば、飢饉ききんが起きる。星司ほしのつかさがうまくいかねば、旅人は迷う。国司くにつかさがいなければ、泰平たいへいの世はならない。


 天照大神あまてらすおおみかみは確信した。司は足りなかったのだ。その揺り戻しが、今来ているのだと。それが埋まる八栄えの世なのだと。


「ん!」


 渡芽わためは勇ましく返事をする。


「私も、できるだけ助けるね! でもなぁ、追い抜かれちゃったなぁ……」


 司の役割を持つと、正一位を超えた権威を持つ。もはや誰も渡芽わためをコマと思わない時代が目前だ。超越神階の主神として、君臨することになる。

 クー子はすっかり追い抜かれて、頼る側になる時はもう目前。子が自らを超える姿は、親にとって感慨深いもの。クー子は瞑目し、それを感じた。


「クー子……」


 子としては、旅立ちだ。だが、渡芽わためとクー子は婚姻をした。夫婦としての旅が始まったのである。離れぬぞと、目で告げて、渡芽わためはクー子を愛する。


「うんうん! さすが、高天ヶ原たかまがはらの仲人たち!」


 それを見て天照大神あまてらすおおみかみは、だからこそ婚姻なのだと再確認した。

 神々のお見合い婚は必ずうまくいく。うまくいかねば名が廃る。しかも今回は天御中主あめのみなかぬしも参加しているのだ。絶対に最も近い布陣である。


「ん! 幸せ!」


 渡芽わためはもう幸せである。あとは待てばいいだけ。


「うぅ……」


 赤面するクー子にはもう、外堀は残っていない。諦めるしかないのだ。

 と言っても、神々が定めた婚姻である。将来的には今の羞恥など圧倒的に凌駕する幸福が待っているのだ。


「あはは……クルムちゃんたいへんだね」


 無自覚なクー子の攻略をしなくてはならないのばかりは、渡芽わためが大変である。それを天照大神あまてらすおおみかみは励ました。


「ん……。でも、時間、いっぱい!」


 だから、特段焦ることも頑張ることも必要ない渡芽わためである。

 クー子ももう、婚姻の恩恵は受けている。だからこそ、羞恥などという取るに足らない感情に目を向けることができているのだ。


「皆様ー! ご飯でございます! 天照大神あまてらすおおみかみ様もよろしければどうぞ!」


 天照大神あまてらすおおみかみのからかいから解放されたみゃーこは、蛍丸を手伝っていた。よって食事に呼びに来た。


「テルちゃんです!」


 ふんすと威張って、天照大神あまてらすおおみかみは言う。この親しみやすさも大和の神々の特徴なのだ。

 言いながらも、天照大神あまてらすおおみかみはみゃーこを抱き上げて、食卓へ向かう。


「わわわ!? 満野狐みやこに結婚はまだ早いです!」

「クルムちゃんが結婚してるのに?」


 そんな風に、みゃーこをからかいながら。

 クー子の社にはよく、大輪の百合が咲くのである。しかも八重咲きであろう。


――――――

先日は体調不良のため更新をお休みしてしまいました。申し訳ございませんでした。

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