第228話・スローライフ

 ふるさと村は無料部分だっていろいろある。大きな古民家である、曲がり屋に入れたり、縁側でくつろいだっていい。


 当然畳張りで、いちいち靴を脱ぐ必要があるのだが、脱いだり履いたりが多い中世日本文化とクー子たちの装束は相性がいい。すぐ脱げるように、そしてすぐ履けるように、そのために草履や下駄は鼻緒に足を引っ掛けるだけなのである。


 クー子は一本歯の下駄を、渡芽わためは小町下駄を履いている。慣れると一本歯の下駄は運動靴のようなものである。疲れずに走れるようにするための設計だ。


 逆に小町下駄は、つま先が削られており、一本歯に慣れる練習として使える。基本的に成コマになると小町を卒業し一本歯を履く。だが、その前でも一本歯を履くのは禁止されていないし、渡芽わためだって走るときは一本歯である。

 下駄は意外なほど優れているのだ。


「昔の人はね、この吊ってある鍋で、料理してたんだよ!」


 そんな料理をしたことも、クー子は当然ある。もっと古いやり方だって経験済みだ。


「お鍋!」


 渡芽わためは、クー子の幽世かくりよに来てからは、食の喜びを知った。

 自分たちの食卓の中央にこれがある風景も、それはまたそれで長閑のどかに思える。親しい人達と食卓を囲む、それは喜びなのだ。心を裕福にする第一歩である。


「後で、ちーちゃんといっしょに囲もうね!」


 もしも親しくなかったとしても、楽しければ良い。クー子は柱千葉之守神はしらちばのもりかみとの食事が、少なくとも不快ではないと保証できる。今日は彼女の家への訪問だ。


 本当はもっと近いところにも神がいるが、もっと近くにいる神々はクー子にとって、駆稲荷にとって特別だ。だから、最初が柱千葉之守神はしらちばのもりかみのところになったのだ。


 それにそもそも彼女の幽世かくりよは、若干旅館扱いされているのだ。いろいろな家守が泊まりにくるせいで、他の神族まで訪れるようになってしまった。だから、すごく都合が良い場所である。


「ん!」


 渡芽わためも少し楽しみになった。

 柱千葉之守神はしらちばのもりかみといっしょに鍋を囲めるのは、宿泊する神の少ない時である。大孁おおひるめが結婚し、駆稲荷としてはたくさんの時間をもらっている。だが、他の神々はとても忙しいのだ。皇室が結婚した時の、宮内庁のようなものである。よって、千葉旅館は超閑散期かんさんきが確約されているのだ。

 別に稼業でないことから罪悪感がないのも良い点である。


「景色もいいよね!」


 クー子の勧めで、下駄は手に持ってここまで来た。


「ん!」


 曲がり屋から見る空は、社の空とよく似ている。広くて、ひょんなことから飛び立つこともできそうだ。


「わふ! わふ!」


 流石に犬を連れて、曲がり屋に入るわけにもいかない。畳に泥をつけてしまう。

 よって、山眠比売やまたべのひめのリードを携えているのはまぶりっと衆の男だった。そんなところに再会したのであるが……。


「ほーれほれ! こごが!? こごがいいのが?」


 山眠比売やまたべのひめの腹を男はわしゃわしゃと撫で回していた。


「ん……」


 またしてもチベスナになってしまう渡芽わため。それでいいのか主神と思ったのである。


「ハッ! ハッ! ハッ!」


 だが、山眠比売やまたべのひめは完全に犬のふりをするのを楽しんでいる。


「めんこいやづめ!」


 男は主神と知らず、ただの巨大わんことして接している。

 山眠比売やまたべのひめなのだが、人間の扱いは心得ている。ちょっと顔舐めて、ちょっと腹見せてやれば、犬好きな人間はメロメロになることを知っている。大口神族、あるいは犬カフェを開けるのかもしれない。


 となると、競合は柱千葉之守神はしらちばのもりかみである。彼女がその気になりそういったカフェを開いた場合、家守たちが協力するだろう。それもまた、神と人との交流を推進する一助になるかもしれない。


「ヒメちゃん……た……楽しんでるんだね?」


 クー子は焦っていた。姉のように接していた神のあられもない姿なのである。


「わん! わん!」


 クー子の声に耳をピクりと反応させると、山眠比売やまたべのひめはクー子一気に近づき鼻を高く掲げる。

 山眠比売やまたべのひめはクー子にとって先輩。挨拶を返さないのは失礼であり。ついでに、挨拶をすれば無害アピールが出来る。


 だから、クー子は黙って鼻をくっつけて返した。

 次に山眠比売やまたべのひめ渡芽わために。渡芽わためもそれに返した。

 これは、イヌ科女神ではイチャイチャに含んではいけない。伝統的で当たり前の挨拶である。


賢ぐでめんこぐで賢くて可愛くていい子だなはんいい子ですね! ヒメぢゃんって言うんだがヒメちゃんって言うんですか?」


 男もだいぶ、山眠比売やまたべのひめにほだされていた。そのヒメが比売ひめとはまさか夢にも思わないだろう。


「あ、はい! そうなんですよ! ヒメちゃんと、ハチくんです!」


 山眠比売やまたべのひめが外で待つならハチもいっしょである。ハチも名前を呼ばれて、男に向かって鼻を掲げた。


「お、よろしぐな!」


 男は、クー子たちがやるのを見て、イヌ科の挨拶を学んだ。だから、見よう見まねで同じようにしたのである。


「わん!」


 人間が合わせて返してくれるものだから、ハチは嬉しくて男の顔を舐めた。


「わっぷ! くすぐってえよ!」


 ハチもハチで家守、人懐っこい元飼い犬系神族なのだ。

 なんだかのんびりとしていて、それでいてゆっくりと流れる時間が心地いい。スローライフを体現したような時間が流れていく。


「あ! ハチだ!」


 ハチは首輪をつけている。その首輪には名前の書いてある金属プレートが付いていて、名前が周知されたのだ。


 観光客の子供たちに呼ばれて、ハチは走り出す。子供と遊びに行ったのである。

 田舎の人はおおらかで、試しに交流してみたら受け入れてくれて今がある。田舎の良さに昔の良さ、そんなものを凝縮したふるさと村なのであった……。

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