第227話・それいけわんこ!

 旅行などをできない、少し貧困にあえぐような現代人が忘れてしまった日本の原風景をクー子は最初に渡芽わために見せたかった。


 神が言う貧困とは、金銭とのご縁が少ないということではない。それによって起こる、他者への妬み嫉み、それが狂って自分すらも戒める状態である。そうなっては生きる以外に金を使えない。それがたどり着くのは娯楽の否定だ。娯楽の否定は貧困の果の結果だ。それを指して神は貧困という。貧乏とは全く異なるのである。


 とはいえ、神々の済んでいる幽世かくりよもその一種ではある。だが、古すぎるし、庶民的ではない。よって、目的地に行く前に、一度稲野とうのふるさと村に立ち寄ることにした。

 むかしむかしの、山村の暮らし。ふいと神が現れても気にならないような風景である。


「お待ちしておりました! 一帯の守神まぶりのかみを賜っております、ハチ信子守神のぶのねのもりかみでございます!」


 代々にわたって幾柱もの家守神族を生み出す家系。それは豊かであるし、神にとってとてもありがたい家系だ。よって神の一員として、役職を与えられることが多い。


 昔の人々は仕事が嫌という人が今よりもずっと少なかった。失敗に寛容で、成功に目ざとい人が多かったのである。励まされながら成長し、成長すれば褒められる。仕事の中に楽しさを見い出せる機会が多かったのである。


 変えたのは、機械だ。ミスをしないのが当然の、単純作業を最高効率で行う労働力。しかも、言葉によるメンテナンスを必要としない。いつしか、言葉で労働者をメンテナンスすることも壊すことも出来るという概念を、人類全体が忘れていった。

 神が、科学を捨てようと考えた原因の一つはこれである。


「大口神族?」


 渡芽わためは訊ねる。ハチは、わんこだったのである。


「いえいえ、家守やもりでございます!」


 木陰に隠れて神々の密談。まだまだ、人化が不可能な神は人間を驚かせてしまう。八栄やはえの時代は黎明期だ。

 このハチという神、人語の発話用に持つ声はうっとりとするようなバリトンボイスである。可愛いわんこな顔して、声はオスの色気がムンムンなのだ。


 飼い主の声がベースとなって家守の声が決まる。よって、飼い主だった当時の八戸藩藩主もバリトンボイスだったということになる。


「じゃあ、よろしくね!」


 ハチは今日の案内役であり、ついでに幽世かくりよを持つ家守の中でも主神に近い存在である。


「賜りました。どうぞ、おとりください」


 声のせいで、ダンスのお誘いのようになるが、リードを差し出しているのである。

 犬系家守は人間界に最も違和感なく溶け込める。首輪などつけておけば、どこかの飼い犬として認識されるのだ。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 クー子たちはふるさと村の無料部分に入場した。何人か観光客も居れば、職員であるまぶりっと衆も居る。


「ハチー! おめさん飼い主さんほんにいだんかお前さん、飼い主さんが本当にいたんだな!?」


 首輪こそつけているもののの、単独行動をするハチは、不思議な看板犬扱いである。ふらっと現れては愛嬌を振りまくため、噂が流れている。

 写真はSNSにも載っていて、ハチに会いに来る観光客すらいるのだ。

 ただ、誰も思わないだろう。ふるさと村の守り神であるだなんて。


「わふわふ!」


 なにせ、本人が普通のわんこのふりをしているのだ。


「おぉー! そうかそうか! おでんせようこそ、歓迎しますよ!」


 まぶりっと衆の男は、そう言いながらクー子に目を移す。

 神と人との交流が再開してから、日本では着物ブームが起こっている。よって、クー子たちのように着物で歩いている若者は多いのだ。余計に神が溶け込みやすい環境である。


 逆に高天ヶ原たかまがはらでは、洋服ブームがあったりするのだが、急激なブームで供給が追いついていない。クー子達はまだ、セーラー服くらいしか持っていないのだ。


「ありがとうございます!」


 ハチのおかげで、クー子達は歓迎された。


「わん! わん!」


 などと愛嬌を振りまくハチであるが、さっきまでバリトンボイスで喋っていた。そのため、渡芽わためはハチにジトっとした目線を送っている。

 あまりに態度が違いやせんか……と。


 もう、これは犬系神族の定番なのではないかと渡芽わためは思う。

 そんな折である。巨大な白い狼が現れたのだ。


「ひっ!」


 さすがのまぶりっと衆もこれには腰を抜かした。

 クー子は一瞬焦った。正体はわかるのだ。


「あ! 来ちゃったの!? ごめんね、お留守番寂しいもんね!」


 クー子は急いで機転を利かせた。山眠比売やまたべのひめなのである。人化してくればいいものを、本性では人間に刺激が強いのである。

 ただ、良い点は、山眠比売が首輪をつけてきてくれたこと。リードを咥えてクー子に差し出していた。


「あの……この子もうちの子で……。一緒にいいですか?」


 クー子の身の丈ほどもある体高を持った、巨大白狼である。人間など、どう見ても一呑みである。


「え……えと……はい」


 まぶりっと衆は理性が発する恐怖と、本能が発する不思議な安心感に負けた。相手は神だ。何故だか目の前にいて安心してしまうのである。

 こうして、クー子達はふるさと村を見て回ることになった。この間、渡芽わためはずっとチベスナ顔であった。

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