第226話・未津月

 式が終わり、クー子の約束は思っていたのとはまた違う形で果たされることになった。学校の関係でだいぶ伸ばされてしまったが、約束なのである。

 ただ、渡芽わためは学校に行けるのもその約束の延長線と思っていて、もう履行された気になっていた。


「みゃーこ……来ない?」


 渡芽わためは、ほんの僅かな別れを惜しむ。いつでも帰って来れるのだ。神には距離が関係ない。


「今回だけは遠慮致します。どうぞ、お二人で!」


 式は昨日のこと。みゃーこは遠慮したのである。とはいえ、ほかの行事には参加することが多い。至って普通の毎日だ。


「私も、みゃーこといっしょにこの社の留守をしております。どうぞ新婚旅行を!」


 参加しない理由は全て蛍丸が代弁する。と言っても、近いところから順に、クー子と渡芽わためは神々の社を回るだけだ。

 永和崇徳すとく事変のときに約束した“全てが終わったらいろいろなところへ行こう”。そんな約束は、ハネムーンとして履行されることになったのである。


「もう! もう!」


 事実としてそうなのであるが、クー子はそんな認識は無意識下にしかない。意識的な感情は全て、神とコマの延長だ。まだ、渡芽わためは庇護の対象であり、無垢な子供から大人へと成長していく道程にあると思っている。


「わかった……。でも、起年旧正月祭おくるとしきゅうしょうがつさいはいっしょ!」


 今年から、クー子は主神として本格的に儀礼にも参加し始める。コマである渡芽わためが学校へ通っていたから免除されていたのだ。

 日本は神ですら農耕をする、農業大国。起年旧正月祭おくるとしきゅうしょうがつさいは、遥か太古の春秋年の年季に基づき、神も畑起こしをする祭りである。宇迦之御魂の代表的な仕事である。


「はい! もちろんでございます!」


 そして、従一位はそれに必ず参加する。ただ、稲荷が学校に入学する前例ができたので、美野里狐みのりこがそろそろ入学だ。玉藻前たまものまえが免除になる可能性が高いのだ。


「狐の嫁入りが降るといいなぁ……」


 クー子は言った。狐の嫁入りとは、豊穣神にとってはただの天気雨ではない。

 晴れなのに、太陽が燦々と照りつけるのに、雨もいっしょに降る。作物にとって都合の良すぎる天気である。

 豊穣の神である稲荷が、大孁おおひるめに誰か輿入れさせるかと考えるほどに都合がいいのだ。実際に輿入れされたことはないが、そんな冗談が由来である。


「そう言えば、未婚でございましたね……かくなる上は、この満野狐みやこが……」

「みゃーこ、確かに今が狙いどきです!」


 蛍丸も冗談めかして後押しする。

 同性同士の結婚が許されるようになったのは、岩戸隠れのだいぶ後である。その時代のほとんどを天照大神あまてらすおおみかみは根の国で過ごしているのだ。

 天照大神あまてらすおおみかみも割と百合女神である。そもそもである、別天の神々は性別を自由に切り替えることができてしまう。あの天御中主あめのみなかぬしもなろうと思えば女神になれるのだ。


 そして、ネアンデルタール人が生まれるよりずっと前。生命の基本形は雌性であったし、ずっと伊邪那美いざなみという母とショタな兄である迦具土カグツチの二名とばかり関わっていた。雄性というもの自体への理解が激浅のせいで百合女神なのである。


「今だと、その発言本気に取られちゃうかもよ?」


 クー子は本当にみゃーこが天照大神あまてらすおおみかみに懸想しているのであれば否定するつもりはない。後押しするつもりすらある。

 ただ……、そんなに接点があるはずもないのだ。それに、神々の結婚はお見合いと恋愛の併用。優秀なマッチング神が二柱も居る。その二人が黙っている以上、みゃーこに結婚は神基準でまだ早いのだ。

 そもそも玉藻前たまものまえがまだ早いと言われているのだから当たり前だ。


「それは、困りますね! 口をつぐんでおきます」


 冗談が元で、縁談や恋愛が歪んでは元も子もないのである。


「ふふふ、そうだね! 私も秘密にしておく! クルムもね!」

「ん!」


 こうして、なんてことのない出発前の雑談は終わった。


「では、新婚旅行の成功を祈りまして!」


 みゃーこは懐から火打石を取り出して、カンカンと火花を散らした。

 音は音切り、火は火切り。二つのお祓いを一挙に出来るお得なやり方である。


「ありがと!」

「んー!」


 こうして二人は、ちょっとコンビニ……くらいの感覚の新婚旅行へ旅立つのだ。

 そう、行き先は本当に目と鼻の先である。だから、何も火切りまでする必要はない。

 火切りは門出に対してという意味が多いのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る