第225話・達観の理

 渡芽わためはクー子の膝の上。こちらが、大黒柱として立場を持っていると誰が思うだろうか。


「クルム、美味しい?」


 なんだかんだとあまり変わらない雰囲気である。渡芽わためはクー子に甘え、クー子が甘やかす。


「こちらも美味しいですよ!」


 そこにみゃーこが横合いから渡芽わためを甘やかして……。


「見ていて癒されますねぇ……」

「だなぁ……」


 そのもふもふ狐溜まりを、我関せずと蛍丸と陽がほっこりとした笑顔で傍観する。


「はーるー! そんなに見て羨ましいのかい!? 羨ましいんだね! 羨ましいと言え!」


 そんな定番も拡張された部分があり、陽は葛の葉くずのはにひょいと持ち上げられて膝に座らされた。


「……だったら、その姿はやめてくれよ……母様」


 人間が生涯を閉じるまでなど、この葛の葉くずのはにとってはすぐ明日のような出来事。もう、陽が自分のコマのようなつもりでいる。神とコマの関係はそもそもが親子に近くて、千年ほど前に親子だった感情も混ざってしまう。


 とはいえ、陽もそれ自体が嫌ではないのだ。嫌だと言う部分を上げるのであれば葛の葉くずのはの姿。かつての母がロリロリしいのが釈然としない。


「……こんこん!」


 葛の葉くずのはが声を発すると、それは背の高い美女へと変貌した。

 神の姿は気分次第。ちょっと気が向けば、狐妖怪の伝承にあるような妖艶な美女にもなれる。


「これで満足かい? ほーれほれ! 男の子だったんだもんねー!」

「んー。なんかこれはこれで釈然としない」


 釈然としない理由は、陽自身、イマイチよくわからなかった。だとしても、逃げ出したいほど嫌というわけでもなければ、悪しからずという感情もある。


 陽は言語化不能な深層心理にて、甘えることも大事であると受け入れているのだ。前世の母が存分に甘やかしてくれるのなら、甘んじるのも悪くない。そんな風に思っているのである。ついでに、その感触が柔らかいのであるが、親子ゆえに本能は全く反応しない。


「よぉ! 正式に下賜されてみてどうだ?」


 蛍丸と言えば、神族としては建速に分類される。建速素戔嗚たけはやすさのおと言えば、天照大神あまてらすおおみかみの弟であり、今回クー子とも関わりが一層深くなった神である。


「とても心地のいい場所ですよ! 一柱の神として在れる。ただ一振りの刀であったというのを忘れそうになるのが、難点ですね」


 そう、蛍丸は最近たまに刀だったことをド忘れする。眠るときにクー子に言われて思い出す日も間々ある。忘れることが出来る幸福を、認めてもらう喜びを蛍丸は享受しているのだ。


「あんまり、かまってやれなくて悪かった」


 素戔嗚すさのおはそう言って、頭を下げるのだった。


「ふふっ、特別扱いなどできようはずもないことはわかってますよ。私たちはあなたの側に居るときは、物でした。神になってしまったので、もう戻ることはできませんが、それでも感謝しています。クー子様と出会えて幸福です。出会わせてくれてありがとうございます」


 そんな素戔嗚すさのおに、蛍丸はまっすぐ殴りつけるかのように強烈な感謝の言葉と、深い敬礼を返した。


 蛍丸は素戔嗚すさのおを欠片も悪くは思っていない。敬愛しているのだ。僅かに目覚めた自我が物を逸脱しかねない。かと言って、それがいきなり神になることもできない。


 どっちつかずの付喪神たちに、自分というものを認識させるための時間をくれた。それはまるで、長い瞑想のようで、動いてもいないのに自分探しの旅だった。


「おっ……そうか……」


 それは素戔嗚すさのおが想像していたよりずっと先まで達観した返事だった。達観している神は、人々より多くを見て自分の利益を経験から抽出できる。だから、多くのことに感謝ができるのである。


 感謝するか、閉口するか、報復するか。その基準自体は、常人とあまり変わらない。利益の発見力に長けているだけである。


「ええ、ですので感謝しておりますよ。素戔嗚尊すさのおのみこと様……」


 蛍丸は笑う。まるで菩薩のように。

 赤心とはそういうものだ。決して我慢して笑うことになど無い。神であれど理不尽には声を上げる。それでこそ、魂を歪めずにいられるのだ。


「あいつ、本当に清々しいやつだ……」


 そんな神々である、褒め言葉などいつだって飛び交う。


「ええ、あなたの孫のようなものでございましょう?」


 そして、巡り巡って帰ってくることもしばしば。今のクー子がある流れを作った先神たちである。ならばこそ、褒め言葉は送り返された。


「俺は心配だ。いつか追い越されるんじゃないかって」

「追い越されても、きっと敬愛を受けるままかと思います。それに足る事を、あなたはしてきました」


 子孫たち、歳下の世代たちから受ける言葉は、自分の世代の帰結である。恩寵おんちょうを与えれば、敬愛を返される。理不尽を与えれば、恨み節を返される。その心の一片に至るまで、その子がそれまでに関わった人々によって作られたものだ。なにせ最初はまっさらなのだから。


 だからといって、変わろうとしないのは過ちではあるが。変わろうと思えないのも、その帰結の一つではある。


 宴は進む。ただ楽しいままで、たけなわとなる時まで。穏やかな時もあれば、激しく盛り上がる場所もある。神々はどこまでも自由だ。

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