第223話・神婚さん

 現代世界で天皇陛下に一番似ているのはローマ法王である。だが、創作に目を向けると、ファンタジー世界の聖女にほど近いのだ。

 毎日国民のために祈り、時折皇居や神社から出てきて、穏やかな笑顔で挨拶をして回る。相違点は国事行為と公務を求められることだろう。だが、権力自体はほとんど保持していない。天皇陛下とは、日本国の文化そのものである。


「こっちおいで!」

「いや、こっちこっち!」


 そんな国家の象徴が、ここではあまり権威がない。なにせ、ここは古事記の世界がそのまま地続きなのである。要するに、文化の出発点だらけである。


「固くならなくていい。皆、気のいい方々だ」


 瓊瓊杵尊ににぎのみことは初代天孫にして、皇室の創設者として、天皇を気遣い横を手を引いた。


「好きな食べ物とかってある?」


 咲耶毘売さくやひめは、まるで孫が初めて家に来た祖母のようである。食べ物攻撃は、おばあちゃんの基本だ。


「陛下、神々はあなたを歓迎しております。お気持ちはお察しいたしますが、どうか力を抜いてください」


 細石彦さざれひこはその準備に少し手を貸した。中には、薬師如来やくしにょらいが作った薬膳料理があったりと、宴席に並ぶ料理は雑多である。まるで現代日本の縮図を、時代背景だけピンポイントに昔に戻して食卓に並べたかのようだ。


かたじけない……心から、かたじけない……」

 一国の象徴は涙を流した。そこは、皇室の魂が生まれた場所。彼らの皇室のいずれ帰るべき産土うぶすなである。

 懐かしく、そしてありがたいと思ってしまうのは仕方がない。魂が懐古しているのだ。


「おぉ! すめらぎ! 来てくれるたぁ、清々しいやつじゃねぇか!」


 結婚式場には当然、素戔嗚も居た。その破天荒な物言いは、多少なりとも緊張を吹き飛ばすことができる。


「スサ! いきなりずかずか言ったら、びっくりするでしょ!」


 そんなところに当然、天照大神あまてらすおおみかみは飛んできて、素戔嗚すさのおをたしなめるのである。


「清々しい……スサ……素戔嗚尊すさのおのみこと様!?」


 誰だって驚く、天皇でも驚く。


「ててて……おう! 建速素戔嗚たけはやすさのおだ! こっちは姉貴の、天照大神あまてらすおおみかみ!」


 だが、天皇のその驚きは次第に収まり。ふつふつと懐かしさが沸き上がってくる。


「あぁ……なんだか、お変わりないのだと、そんな気が致します」


 肉体には一欠片すらも残っていない記憶が告げるのだ。こんなものであると。

 それはどこか、和気あいあいとしていて、見ているだけで和むのだ。

 なごみをもって尊しとせよ。ずっと昔に、日本を高天ヶ原たかまがはら化してしまおうと努めたような気がするし、それは他人のようなきもする。ただ、厩戸王うまやどおうは間違いなく皇神族すめらしんぞくの魂である。


「そりゃそうだよ! 今更変わるのって難しい! ほら、そんなことよりいっしょにご飯食べよ! 宇迦うかちゃんもいるよ!」


 天照大神あまてらすおおみかみ宇迦之御魂うかのみたまの事を言っているのだと、天皇は気付いた。

 元々高天ヶ原たかまがはらにいたのだ。少しでも立ち入れば、順応できてしまう。それは、実家から長く離れて、久々に帰って戸惑うようなもの。

 いろいろなものを神のスケールに置き換えたようなものだ。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 宗教上の要人の反応は別れた。和風な神が多すぎて、憤りを感じる者も多いのだ。

 単純に日本が住みやすいと思っている神が多いだけだ。特に蔑視したりだとか、そういうものではないが、今は高天ヶ原たかまがはらがそういう時代である。だから、仕方のないことだ。


 神は、神であるくせに、割と気ままな部分があるのだ。赤心といい、自らの心に正直に生きるのであるから、当然とも言えるだろう。

 宗教の要人、そして神々。その間をかき分けて、クー子と渡芽わためは歩く。


 新郎新婦入場である。

 そして、その奥には大国主おおくにぬしが座っていた。


禊祓みそぎはらいたまえ、禍事まがこと罪穢つみけがれ、一切失せたまえ! この者を清きと成し申す!」


 修祓しゅうばつの儀なのであるが、神がやるとこんなにも簡素になってしまう。なにせ、神から力を借りようにも、自身が神である。

 そして、大国主は大幣おおぬさを取り、そしてそれを振る。


 それに合わせ、速玉の神族が大きく音を鳴らす。これを音切りといい、神道の最もお手軽なお祓いの儀式である。神社で手を叩くのが、これに該当するのだ。


カムロノヨスガ神々の縁をムスビヌ結びますアマノ高天ヶ原のヘイフン幣柵の宮でコトノナァヲ別々の名をイツァビム結びましょうコトノイネトイエ別の家の両親はナーガイネトイエトシゲムこれからはあなたの両親です


 さらに、婚姻を両人が受け入れる段階になると、言語すら神代のものになる。

 これでいて、日本語なのだ。上代より遥か昔、縄文の言葉である。


ウケノミタマハ宇迦之御魂はアーガイエヤ私の母です

オホビルメノミコトハ大孁尊はアーガイエヤ私の母です


 それぞれが、それぞれの家族を受け入れる言葉。クー子は天照大神あまてらすおおみかみを自分の母として宣言する。渡芽わため宇迦之御魂うかのみたまを母として宣言する。キリスト教の結婚式の“誓います”にこれが相当する。


 それぞれの神族が一柱の女神から始まっているせいで、イネを宣言することはできなかった。だとしても、婚姻を受け入れる二人の意思は確認された。

 大事なのは相手の家族を自分の家族として受け入れること。代表として父母の名を上げるだけだ。


カムロノヨスガ神々の縁はムスバレブム結ばれました


 本当はここに、伊邪那岐と伊邪那美の加護を得られるように言葉を続けるのだが、本人たちが自粛中である。


ビコトウズメノイツァリノタァ猿田彦と天細女みたいにイチャイチャとした夫婦でサキタブありますように


 欲しいのはおしどり夫婦の例なのである。伊邪那岐も伊邪那美も元々は超おしどり夫婦だったのだ。喧嘩前に、大量に子供を儲けるほど。

 要は、夫婦円満のために名を借りる感じである。

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