第221話・祖の祖

 渡芽わためのそばにはみゃーこがいた。こちらは紋付袴を着ている。


 結婚に際し、渡芽わためはもともと駆稲荷と大孁おおひるめ、二つの神族の名を持っている。よって、名を足されるのはクー子である。


 高天ヶ原の婚姻において、白無垢とは縁を受け入れやすい色を示す。男だから、女だからではなく、参列者にこれからどう呼べば良いのかを示しているのである。


 よって夫婦別姓の場合、どちらも黒い衣服を纏うのだ。これまでどおりであると示すために。そんな法は一応あるが、使われたことがない。どちらも相手から名前をもらって足すといった感じで婚姻を結ぶ場合は、どちらも白の衣服である。こちらは、最近は希に使われる。神族同士の結びつきを強く印象付けることもできれば、愛しい相手から名前を貰うことができるのである。政略的理由と、心理的な理由を両立させるために始まった風習である。


「クルム! お似合いですね! 格好が良いです!」


 みゃーこは渡芽わためを褒めた。


「ん! 次、みゃーこ!」


 同じ神族同士での結婚もあることだ。その場合名前は結婚前後で全く変わらないため、服装は本人の希望に沿う。


 渡芽わためはそうで良いと思っていた。クー子といういう偉大な神には複数の妻がいても良い。そしてそうであれば、自身も大好きなみゃーこが良いと。


満野狐みやこは嫁ぎませぬよ!? 満野狐みやこにとってクー子様は母でございます。それ以外の感情はございません。しかし、人の習わしに従うとクルムが義母となるのですか……。まぁ、神です、細かいことはなしとしましょう」


 古事記にあるように、神々の間では育ての母が育てた子に嫁ぐことは間々あることである。そんな時人間がやるように義母や義姉としていたら、家系図は混沌の渦に飲まれるだろう。そうならぬように基本的に関係性の変化も本人たちの望みに沿うのが慣例になっている。


「……ん。でも、これからもいっしょ……」


 渡芽わための望みの主はそれである。愛しい姉のようなみゃーことも永遠に離れてしまわぬよう。神の結婚は古代日本のままの部分もあり、また現代化された部分もある。合わせる事によって拡張されたのは自由度。高天ヶ原高まるものであるとで婚姻を結べない関係性は血縁の三親等の異性同士による、子供を設ける前提の婚姻のみだ。


 ただ、渡芽わためもまだわかってない部分もある。妻がクー子であるという部分だ。クー子を尊敬する気持ちが、その事実の受け入れを拒否しているのである。

 渡芽わための姿はほとんど変わりない。強いて言うなら、背丈が僅かに伸びた程度である。


 対する、みゃーこは大きく変わった。背丈は渡芽わためを少し追い抜き、姉と言われて違和感のない姿になっている。なんにせよ、二人共クー子よりも小さく、可愛らしいのは変わらないままであるが。


「それはもちろん。夫婦めおと神となられるのですから、従一位の満野狐みやこは離れたくても離れられません」


 順当であれば数千から数万年単位でそのままである。順当ではないクー子が早すぎたのだ。本来はもっとゆっくり神階が上がるものである。


「ん!」


 そうであれば渡芽わためは満足である。

 婚姻があってもなんだかんだクー子の幽世かくりよの良いところは決して減らない。少なくとも、今居る神と人にとっては。


「クルム。万年は浮気を許しませんよ! クー子様は満野狐みやこの大切な方です!」


 みゃーこは渡芽わためを脅すも、効果などあろうはずもない。


「当然!」


 なにせ、愛にまつわる全ての感情はクー子を起点にしている。渡芽わためには永劫ほかの誰かを愛する自分の姿は考えられない。なにせ、子供も神基準のしばらく未来の話である。


「ですよね……」


 それはみゃーこにとって思ったとおりの回答だった。みゃーこも永劫と思っていた。だが渡芽わためには大孁おおひるめとしての義務に翻弄されるかもしれない。そこで、万年と時限をもうけたのだ。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 人の世では瓊瓊杵尊ににぎのみこと木花咲耶毘売このはなさくやひめを乗せた雲が、皇居に到着していた。目立たぬようにもできるのであるが、それは今は本末転倒。大和民族に神話を取り戻させるために、神として姿を見せたのだ。否定できるはずもない。目の前の事象だ。


「こらこら、あまり畏まるものではない。祖父や祖母のようなものと思って欲しい」


 天皇と皇后の二人が、瓊瓊杵尊を最敬礼で出迎えるもので瓊瓊杵尊ににぎのみことは逆に慌ててしまった。なんなら、瓊瓊杵尊ににぎのみことなど今は楽隠居のようなもの。いつか地上に戻り、天皇の座に魂を落ち着けるまではただの祖先である。


「しかし、我々の祖神です。お会いできる機会があり、あまりにかたじけなく」


 何故だか、一国の象徴ともあろうものが、心の中が感謝の気持ちで溢れていた。

 それは神の威光であり、魂がかつて高天ヶ原たかまがはらにいた頃の温もりを思い出したのだ。それは何故だか、親の懐で安心しているかのようで、天皇という重責で張り詰められていた心が緩むようだった。


かたじけないないなど言うもんじゃない! 愛しい子孫なのだ。どうか、気安く思っておくれ」


 瓊瓊杵尊ににぎのみこととしてはもっと仲良くしたいのである。皇室の始祖にして、天照大神あまてらすおおみかみの直孫ではあるが、家族に変わり無い。ただ、遠いだけであるし、この二人の魂が親子として生きた時代もある。


 それに、こうして関わるうちに、皇室は神に戻る機会を得ていく。人類宣言前の、高天ヶ原たかまがはらと人の世を行き来する一族に。


「ただのおじいちゃんとおばあちゃんって思ってね!」


 木花咲耶毘売このはなさくやひめも微笑む。子孫であり、可愛いものなのだ。

 それに、ここで畏まっていては身が持たない。高天ヶ原たかまがはらに行けば居るのだ。始祖の始祖である天照大神あまてらすおおみかみ。そのまたずっと始祖の天御中主あめのみなかぬしが……。

 一国の象徴である。そんなにヘコヘコさせられたものではない。それに、天御中主あめのみなかぬしは気さくだ。できるだけ早く、それを受け止めて欲しいのである。

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