第218話・神にも効く毒

 その日の夕食の話である。この日ばかりは、食材を蛍丸に処理させるわけには行かなかった。お祝いとして豪華な食材をクー子は手に入れてきたのである。

 それが、10KG級、規格外の天然トラフグである。それが今、クー子の眼前でまな板の上に鎮座しているのだ。


 現在渡芽わためとみゃーこは道真の放送に協力中。渡芽わためは学校から帰ってきたと思ったらまた勉強だ。だというのに、嫌がる素振りがない。子供の知識欲は底なしだ。


「ごめんねぇ。これ捌かせるのは、ちょっと怖いんだ。まずは何回か見て覚えてね!」


 フグにはテトロドトキシンという毒が含まれていて、筋肉を弛緩させてしまう。人間がこの毒で死ぬ理由は、心臓の筋肉も弛緩してしまうからである。

 そして、魚に含まれるこの毒が非常に珍しい。神にも影響を与えられる毒である。

 死にはしないが、ぐでんぐでんになってしまう。なぜならこの毒は、微生物に返されないと呪詛化するのである。


 流石に渡芽わためをぐでんぐでんにはできない。よって、クー子が捌くのである。

 高天ヶ原たかまがはらには、高天ヶ原たかまがはら専用のフグ調理師免許がある。それをクー子は取得しているのだ。三千年もあったのだ、そりゃ取得資格も多いものである。


 高天ヶ原たかまがはらでは蛭子命ひるこのみこと宇迦之御魂うかのみたまの連名でその免許が発行される。高天ヶ原たかまがはらだとちょっとレベルが違って、白子の中に卵巣がある場合でも、それをしっかりと見分けられないと免許が発行されない。割と高難易度資格である。


「呪詛毒すら持つ魚ですものね。いえ、代わりにやってください」


 さしもの蛍丸も、それは恐ろしくて手を出せなかった。

 だが、フグ食の文化は古く、縄文時代から食べられている。古代大和民族は割と食の冒険家だ。


 フグのテトロドトキシンは呪詛毒の中でも強力な蠱毒に分類される。生物濃縮される毒は大体蠱毒なのである。だから、毒キノコの毒は無視できても、フグ毒には若干当たってしまうという神の生態系の原因である。


「じゃ、教えながら行くよ! まず、お約束。口の中には手を入れないこと! 噛まれることあって、これが割と痛いの!」


 クー子は噛まれた経験があった。ど忘れして、口の中に指を入れたのだ。

 だがクー子の指は健在である。神の体が強靭だから痛いで済んだだけで、場合によっては指を失うのだ。


「わ、割と……」


 蛍丸はフグに指を噛みちぎられたという話は聞いたことがあった。だから、割とで済んでしまう神に慄いた。


「かわいそうって思うかもだけどもう死んでるから! 目のところのくぼみに指を引っ掛けてガバッと持つ! それで、くちばしをとるんだけど……ここ! 鼻のあたり、ここにガツンって包丁叩き込む! あ、力入れすぎないように注意ね! 神が全力でやっちゃうと、カマのところごと一刀両断ってなっちゃう!」


 クー子は笑顔で説明しながら、割とえぐい絵面を演出している。フグのくちばしは切り落とされて、もう噛むことはできない状態になった。


「は……はい……」


 蛍丸の肌がまるでトラフグの肌のようだ。これでもかと鳥肌が立っている。


「あ、ちなみにこの口のところ結構美味しいよ!」


 平然というのだ。フグの口を味わうとき、フグもまたこちらを味わっている。味覚などないのであるが……。

 日本人、割と口周りの肉も食べるのである。イエスなど、それを見て腰を抜かしていた。


「捌ける気がしなくなってきました……」


 蛍丸はいいところの刀である。刀だけに普通の血なまぐささには慣れている。なれているが、食事と血なまぐささの距離は遠いのだ。

 なにせ血なまぐささの中に身を置いていた時代は、食事そのものの経験がなかったのだから。


「まぁまぁ……それと、こっちはお酒飲む人のお楽しみ。ヒレね!」


 そう言いながら、クー子はヒレを切り落としてくちばしの近くに置いた。食べられない部分は、入れる壺を足元に置いている。


「あ、はい。それは楽しみです!」


 出汁が香る酒など、飲んだらどれほど美味しいだろうかと蛍丸は心を躍らせた。


「次は背中から皮にビーって包丁入れてっと! はい、びろーーーん!」


 説明は雑だが、超絶技巧だった。クー子は言い終わるまでに包丁を皮と肉の間に滑り込ませ綺麗に切り分けたのだ。


「今の包丁さばきは!?」


 刃物そのものである蛍丸ですらびっくりする始末だ。


「ふふふ! ここが一番得意なの! 皮は後でてっぴ言ってさっとお湯にくぐらせてから、冷水で締めて食べるから!」


 そう言いながらもクー子は工程を進めていく。ついで……という感覚でトゲを削ぎ落としていくのだ。人によっては最も難しいと言う工程を軽々とやっている。


「す……凄まじい……」


 クー子には三千年で万匹以上の経験があった。ここまで出来るのは、純粋に経験の成せる業である。


「ま、次ね! カマを外して……」


 またしてもクー子は一息で外してしまうのだ。

 ここまで来ると、魚という雰囲気からは少し遠のき、食材らしさがあった。


「下側が、俗にカエルって言われてて、唐揚げにしよう! あ、エラは毒ね! 土に返す!」


 その手さばきは、極められた職人技のようだが、実はクー子は高天ヶ原たかまがはらでは平凡である。宇迦之御魂うかのみたまは三分クッキングのノリで捌いてしまう。


「さぁ、白子ガチャ! ……SSR! プリっプリの巨大白子だぁ! 卵巣なし!」


 ノーマルは卵巣入り白子である。白子なのに食べられなくて一番残念なのだ。

 下顎ごと、クー子はずるんとフグの内蔵を引きずり出した。出しながら、白子に少し神通力を通して確認したのである。


「SSR……?」


 蛍丸は横文字に弱い。


僥倖ぎょうこうってこと! 内蔵は白子以外ほとんど毒ね、食べても死なないけどしばらく動けないから食べない! んで、内蔵外すと、残った部分がさっき言ったカエル! 注意は、内蔵に傷つけないこと! あ、忘れてた! 血合いっぽいのは腎臓。これも毒ね!」


 クー子は巨大なトラフグをあっという間に捌ききって見せたのである。

 死なないのは神だからであって、神じゃない場合普通に死ぬ。妖怪でも殺せる程度には強い毒だ。それに、しばらく動けないのは困る。ゆえに神も基本的に、免許を持った神でないと捌かないのだ。


「分かりました!」


 ここまで来ると美味しそうである。最初のグロテスクさは何処へやら。もはや、食材にしか見えなかった。

 この状態でやっとみがきふぐと言われる状態だ。ここから刺身であるてっさにしたり、唐揚げにしたりは蛍丸にも任せられる工程である。よってそのあとは、二人仲良く料理をしたのだった。

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