第217話・担任

 入学生と在学生、あるいは入学生同士の交流の時間は九十分。高天ヶ原たかまがはらの学校も、十五分周期の集中力を意識しているのだ。九十分というのは肉体のリズムである。睡眠も九十分ごとに性質が変化する。睡眠時間も九十分の周期で考えたほうがいいのである。

 そんな交流の一限目が終わると、道真が大講堂の舞台に登壇した。


「上級生の方々流石です! 今、本当にすぐに静かになっていただけました。では、手短に。新入生の皆様、校長を任せてもらっております、道真です。珍しく関西弁ではない、蛭子ひるこ神族です! さて、皆様にはたくさんの期待があることでしょう。知識を得るのは楽しいこと。だから、我々教師は皆様の求める知識をおもしろおかしくお渡しします。つまらなかったら言ってください、遠慮はいりません。分からなければ聞いてください、すぐ答えます! それが教師として指名していただいた、私の使命です! 卒業の早い方は六年で、遅い方は九年かかるでしょう。先に卒業した方々に嫉妬する必要はございません。早い方は、大人としては面白いですが、教師としては面白みに欠けます。遅い方は、教師の醍醐味を我々に存分に与えてくださるのです。全員一様に、愛しい生徒さんであることは変わりありません! さぁどうぞ、その期待のまま、学びましょう! そのうちに、世界の全てが理解できるでしょう!」


 よくある校長先生の長い話は、数分で終わった。本当に長い話をするときは、講談風だったり、落語風だったりである。

 授業を行うには長い話をする必要は、絶対にある。一限あたり九十分の時間を設けているのだ。だが、九十分退屈させるつもりはここの教師には一切ない。笑い転げさせたり、好奇心を刺激し続けたり、そんな九十分を実現させる気概で教師たちは教壇に登るのだ。教壇は彼らの戦場である。


 そして、六年で卒業するのは、大抵は親神の神階が高い子神ねのかみたち。遺伝する部分が有り、六年もあれば学び尽くしてしまうのである。ただ、親の神階が低くても、六年で卒業する子も居る。頑張るとかそういう話ではない。楽しくて、やってしまうという子が多いのだ。

 九年での卒業は、道徳心をしっかりと鍛えるためである。勉強をする意欲は、神の子は皆持っている。だが、勉強しかできないのであれば卒業後苦労するので、三年伸ばすのである。


 ただ、そこは曖昧な雰囲気になってしまうことが多い。最後の三年は、子神同士で遊ぶだけ。すでに卒業した生徒たちも遊びに来るので、そうなってしまうのである。


「二学年からは、お馴染み私が担当です!」


 一学年は道真が担任、二学年は蛭子噺売命ひるこはなしうりのみことが担任だ。一学年の間に散々笑い転げさせられ、慕うようになって任される。


「「「よっ! 噺売命はなしうりのみこと!」」」


 落語家が登壇したような雰囲気になって、噺売命はなしうりのみこと自身もこれでやりやすい。

 三学年は、大黒繋縁命だいこくのしげふちのみことという先生になる。化学薬学を教えるのだ。大国主の神族であり、慈しみ深い性格である。


 学年ごとに担任は固定。神の子はさほど多くはなく、クラスを分ける必要はないう。一学年一クラスである。

 それから、少し遅れて道真が教壇から降りて渡芽わためたち第一学年の前に来た。


「一学年は、私が先生です! 楽しい楽しいお勉強の毎日ですよ!」


 道真は脅すような雰囲気で言うが、すでに入学生達はこの学校の噂を聞いている。だから、脅しとしての効果はないのだ。


「すごく楽しいって聞きましたが!?」

「笑い転げるのだけが大変と聞きました!」


 生徒たちは各々、それが冗談であるとわかっている旨を返した。


「あはは! バレてしまいましたね! 普通に楽しいだけです!」


 高天ヶ原たかまがはらの学校は、そうなのだ。笑顔で先導する、道真。この発言で、ユーモアが通じる相手であることを、伝聞から実感へと変えたかったのである。

 気軽に質問ができる相手、悩みだって打ち明けられる相手。そんな風に実感させるために、これから少しづつ道真はやっていく。


 一学年たった十数人の担当教師。だから一人一人に目をかけることができのだ。

 教師たちは先導し、生徒たちを教室へと連れて行く。

 そして、教室では改めて、全員に自己紹介をしてもらった。縦にも横にも斜めにも、人と人のつながりは網のようになっていく。


 一年生のうちに、学年の全員を仲良しグループ化する。それが道真の目標であり、仕事だ。大変ではあるのだが、それこそが教育だ。

 お互いがお互いに調和を志し合い、和気あいあいとした空気を作っていく。モラルを高め、互を尊重させる。それこそ教育だ。


 それ以外の知識や技術はおまけである。この学校生活の楽しさを助長させるためのもの。そもそも不満が溜まり溜まってイジメは起きる。不満のない人間は、誰かにぶつけるための不満エネルギー自体を所有しないのだ。

 そう、イジメもエネルギーが必要だ。そのエネルギーは多くが、親神や先生が作ってしまうもの。だから、最初から作らない。燃料がなければ、エンジンは稼動しないのだ。

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