第215話・ラブコ女神

 放送後、渡芽わためはクー子の膝の上にすぐに収まった。渡芽わためもクー子の放送を見ていて、クー子が自分に操を立てた話を聞いていたのだ。そして、それを破れば神には神罰が下るというより、自分で自分に神罰を下してしまう。


 和魂の神の魂はどこか純粋なのだ。幼い子に“何年後も気持ちが変わらぬのなら、きっと結婚しよう。”と誓ったのであれば、神の時間は無限に近いのだ。守るのが当然である。守れなかった自分を罰し、神通力を衰えさせてしまう。よって、神階にふさわしい実力を失い、降格になるのだ。この降格は体罰と同じ、それ以上の反省と自罰は必要なしと告げるもの。そんな事を、渡芽わためは放送を見せてくれる天御中主神から聞いていた。


 何も変わらない、放送前のままのクー子。それを見て、本当に操を守っているのだとわかってしまうものである。


「クー子!」


 こみ上げる愛しさに任せて抱きついて、頬を擦り付ける。この手の幼い約束は、人の有限の時間であれば、守るのは難しい。

 クー子は特に誠実というわけでもなければ、普通の主神級の和魂である。


「ふふっ、クルムくすぐったいよ……」


 そう言いながらもクー子は渡芽わためを抱きしめる。暖かくて、小さなその感触は、愛しい我が子の存在を心に叩きつけるかのようだ。湧き上がる愛しさに突き動かされる衝動、それは母性の本能にほんの少し別の感情が混じっている。

 本能とは蓄積されたライフハックだ。種を存続させ、生きる知恵だ。生物の遺伝子に刻み込まれた神話なのだ。


「ラブラブだねぇ……」


 その姿は葉捨戸バステトの大好物である、ラブコメの過渡期だ。クー子の表情は、それがこじれるのを物語っている。

 母のような、神からコマへの感情が邪魔をして、混ざり始める別の感情を覆い隠している。そう、良い意味で二人は他人なのだ。血縁は無い、それでいて渡芽わためはクー子の世界を変えた。そんな歴史は葉捨戸バステトにはなんとなくしかわからない。分からないが、葉捨戸バステトはただただロリおねも大好物である。目の前に展開される予感が転がっているのだ。


「ん! クー子は……私の……です!」


 渡芽わためは堂々と宣言する。葉捨戸バステトは少しジェラシーを煽って、その後安心させた。ラブコメを進展させるスパイスを無意識に投げていたのだ。


「ふふふ……可愛い!」


 クー子は渡芽わためのほっぺたをつつく。だってそれは、まるでよくある“大きくなったら、お嫁さんになるの”というものの延長にも見える。だから、別の感情に気付こうが気付くまいが、可愛いことは変えられない。


「むぅー! 絶対……結婚!」


 渡芽わためは不服である。本気なのにわかってもらえないのだ。当然である。

 葉捨戸バステトはそんな二人をさらに進展させる方法がふと浮かんで、そしてそれがすでに予定されていることに気付いた。

 会えない時間が愛を育むというやつが、そろそろ必要なのだ。だが、渡芽わためは入学式が近い。


「みなかっつぁん……本気だ……」


 そう、天御中主あめのみなかぬしはラプラスの悪魔のようなのだ。物理現象や、起こる事象、その多くを知っていて、だから運命を操っているように見える。

 見えるだけで、完全には操りきれていないし、そのつもりもない。なにせ、世界中のありとあらゆるところで因果は動いている。その総数は途方もなくて、まるで偶然のように思える程だ。


 だが、天御中主あめのみなかぬしともなると知っている。偶然にも因果があって、物事には全て理由がある。理由のないことは、この世に存在しないのだと。要は天御中主あめのみなかぬしは多少乱数調整ができるのだ。


「六年後も好きでいてくれるなら、結婚ねー!」


 決めたのだ。クー子は約束を違えない。

 これで天御中主は、六年後に渡芽わために妻を儲ける予約を完了しておいたのだ。“多分これが一番早いと思います”と。

 だが、天御中主あめのみなかぬしも予想外なこともきっと起こる。


「ん!」


 渡芽わためはクー子に返事した。


「クー子ちゃん、それ絶対結婚だけど……?」


 葉捨戸バステトは、確信する。渡芽わための心が抱ける全ての愛の感情は、クー子に向いている。渡芽わためはクソデカ感情を押し付けるヤンデレの才能たっぷりだ。


「絶対じゃないですよー! これから学校も始まりますし、石売くんとかいい子も居たし……」


 高天ヶ原たかまがはらの学校には、素敵な男神のコマも居る。となれば、恋心がそちらに向かうことも考えた。

 考えて、クー子は寂しくなった。自分の手を離れるのが、なんとも辛いことか。親であれど、片思いであれど、それは同じ思いをするのだ。


「あーもう! じれったい! じれったいのにたまらない!」


 葉捨戸バステトはそれが大好きだ。エロ女神は、他人の恋路だって大好物。邪魔する奴は、直々に蹴りに赴くほど。

 そして、葉捨戸バステト渡芽わためと内緒話をするために、クー子から渡芽わためを取り上げた。


「絶対射止めてにゃーん?」


 渡芽わため葉捨戸バステトは自分の立場を明確にしたのである。


「ん!」


 一瞬は警戒した渡芽わためであるが、そう耳打ちされれば葉捨戸バステトはもう味方だ。

 葉捨戸バステトは二人の関係を理解した瞬間から渡芽わための味方なのである。

 吹き込まれて、渡芽わためはクー子に返却された。


葉捨戸バステト様、クルムを物みたいに扱わないでください!」


 クー子は憤る。


「いい!」


 だけど、渡芽わためはそれを許していた。びっくりしたが、必要だったし有益だった。だから、一瞬感じた警戒心は何処へやらと消え失せた。


「ごめーん! クルムちゃん許してくれて、ありがと!」


 欲望が先行して、確かに一瞬物のように扱ってしまった。それを葉捨戸バステトは、反省したのである。

 葉捨戸バステトはOFFだとこうだ。欲望に忠実というか、本能に身を任せる。ラブコメを見て、楽しい気持ちになるのは、種の繁栄を寿ことほぐ本能だ。

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