第211話・偶像は崇められた

 それからも、葉捨戸バステトのせいでいろいろと波乱はあった。でも、性格を把握してみれば、それらは楽しい波乱へと変貌したのだ。

 あけすけに物を言う、でも言い過ぎややりすぎはすぐに怒って良い。そんな葉捨戸バステトはとても、接しやすかったのである。


 そんなクー子と葉捨戸バステトはなぜか襖を少し開けて道真たちの放送を覗いていた。神なのだ、透視くらいできるし、できなかったとしても隣の部屋で放送を見ていればいいものを……。

 否、葉捨戸バステトはその気分で覗くというのを提案していたのである。覗く……という行為自体は、それなりに楽しいものなのだ。それが、可愛いわが子同然のコマたちが頑張っている姿なら尚更。だから、クー子も状況を楽しんでいた。


「さてさて、ユダヤの王として立ち上がりました、予言者モーセ! 場所はエジプト、紀元前のエジプトはあまり男尊女卑ではありません! なぜなら、ときは紀元前1250年頃! まだまだ女性にはたくさん子供をもうけてもらわねばなりません! 人類はどこもかしこも人手不足だったのです! だから、女性は蝶よ花よと愛でられ、しかも一夫一妻。男が稼ぐから、女性は家事少々に子育て少々の専業主婦ばかり! 食事はパンにビールに肉野菜! 浮気をすれば、裁判で、とても重い罪に問われました! この流れがユダヤ教にキリスト教にも存在します! それが、モーセの十戒、“あなたは姦浮してはならない”! モーセは海をガバッと割って、エジプトを脱したのでございます!」


 扇子で教壇を叩いたり、声色で煽ったりと、退屈させない工夫を凝らしながら話した。

 そのさなか具体的な年数を出したが、これがまたしても千年に近い数字。だから、印象にはほんの少し残りやすかった。千年と少しと、ざっくりした記憶が刻まれたのである。


「「おぉー!」」


 神々の世界で生きるみゃーこに渡芽わため。でも海を割るだなんて、やればできるとしてもやらない神ばかり。それはあまりに大きな力を振りまくが故、均衡を崩す。

 だから、そもそも見たことがないのだ。


「そんな折、ユダヤ人たちは、金の子牛を崇めておりました! このせいでございましょう、ユダヤの神ヤハウェが男と思われたのは……。金の子牛はエジプトの神アピス。別名をオシリスの牡牛と申します!」


 偶像崇拝を禁止するのは、性差別を生まないためだった。神がどちらかの性を持つ姿で崇められていたら、神と同性であるというだけで優越感を得られてしまう。それが、異性を見下げる根拠になるのを大国主は避けたかったのだ。

 よって一神教は、偶像崇拝を禁止したのだ。


「やがて神は牡牛のお姿をとられると、話は広まってまいります。それもそのはず、我らの民族がどのような祖を持つのか、知りたくないはずもございません! 神は、自分の姿に似せて人を作ったという旧約聖書の記述に矛盾するのに、それを無視して広まってしまったのです! ですが、おかしいと気づけば、それは化身であり本当のお姿は人間の男性となってしまいます! ここからキリスト系宗教の男尊女卑の歴史のはじまりはじまり!」


 偶像は崇拝されてしまった。その歴史が、その話が、ほんの少しでも残れば偶像の姿を知りたい人間は絶対に出てくる。結果的にヤハウェは男性とされてしまったのだ。

 それは、八栄えという概念でしかなく、姿などないというのに。

 だが、神話とは得てしてそういうものである。概念やライフハックを擬人化して、わかりやすく説明して民衆に広める。もともと転がっていた神秘の存在や、あるいは新たに神を夢想して。


「女性が蝶よ花よと愛でられた土地から来たユダヤの男性は、次第に劣等感を抱いてゆくこととなります……。よって、我が子の男児にもその劣等感は継承され、やがて煮凝りのようになってまいりました……」


 道真は口調を変えた。先程までの勇ましさはどこへやら、おどろおどろしく、心地の悪いリズムで話をする。

 それはまるで、怪談でも語るが如しだったのだ。


「劣等感が劣等感を呼び、そして次第に怒りに変わってまいります……。女性は徐々に迫害され、エジプト時代の女性の楽園は終を告げました……。ですが、女性たちは耐えてしまいました……。我々は、罪人の子である、苦役せねばならぬと……」


 そのまま道真は続けた。

 渡芽わためにみゃーこも女神である。その物語に震え上がっていた。


「そんな民族です、カナンの地、現在のイスラエルには、それは美しい雨の女神がいらっしゃいましたが、それを許せるはずもございません……。かの女神は、名をバアル。敬称含み、バアル・ゼブルと呼ばれ信仰されておりました。ですが不運にも、似た言葉で蝿の王を意味する言葉がございます。それが、バアル・ゼブブ。何年にも渡り、その言葉をユダヤの民は広めました。その頃にはユダヤの民は、女神を許せなくなっていたのです……」


 それは、豊玉毘売の悲しき物語。今も大事変に関われない理由となった歴史である。


「さてさて、ユダヤの女性にとってはわずかばかりの救いが訪れるのですが……それは次回としましょう! 長々とご清聴ありがとうございました!」


 道真は、その日の授業を静かに締めたのであった。

 豊玉毘売の歴史は、高天ヶ原の学び舎でも行われる。だが、その内容は神にしか話せない部分がある。そして、それは、ユダヤ人と神々の一時的な決別の理由の歴史。神々にとって悲しい歴史である。よって、これは卒業の年に行われるのだ。

 楽しい歴史を前半に、悲しい歴史を後半に。知らねばならぬと思わせてやっと聞いてくれるような、耳に痛い歴史である。

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