第209話・姦し喧し

「ク・ル・ムちゃーん! 遊ぼうにゃーん!」


 強い要求を猫語で込めて、葉捨戸バステト渡芽わためを追い回す。その目は血走って、肉食獣そのものだった。

 猫なのだ、肉食獣に間違いはない。だがもっと獰猛で扇情的な、言うなればそれは女豹の瞳である。


「や!」


 渡芽わためはそう怒鳴りつけながら逃げ回っていた。理由は二つ。葉捨戸バステトが怖いこと、クー子に操を立てたこと。

 渡芽わためは一方的ではあるが、クー子以外とベタベタすることを控えようと思っていた。幼いながらの、操の立て方だ。

 そのクー子はおろおろしている。なにせ相手は先輩稲荷、立場的に強くは出られないのだ。心の中では天御中主あめのみなかぬしを呼んでいるが、呼ばれたからといってこのゆかいな状況を崩す天御中主あめのみなかぬしではない。時折お茶目がすぎる神である。


「防ぎ給え! 急急如律令!」


 今回ばかり、渡芽わためのヒーローは陽であった。


「ふぎゃ!」


 不意打ちの結界に頭をぶつけて、葉捨戸バステトはまるでカエルが潰れたような声を出した。


「クー子さん。こいつ妖怪? 退治する?」


 陽は現在陰陽師として考えうる最高の装備を上回る装いだ。なにせ神が作ったものばかりでみを固めている。


「あー……えっと……その人、葉捨戸バステト様……」

「とーとつにエジプト神話!?」


 そう、この幽世かくりよにはエジプト神話にも名前が残っている神々が訪れる。

 一瞬本当か嘘かわからなかった陽も徐々にマジなのだと気付いた。そして浮かぶ焦燥の色。相手はクー子の先輩女神だったのである。


「ところで、葉捨戸バステト様。その辺にしてあげてくれませんか? クルムはまだすごく幼いので……その、早いと思います」


 強制的に止めることはできなかったが、隙ができれば別だ。


「やーだー! だってなでなで上手をこの葉捨戸バステト様が放っておけるわけないもん!」


 欲望に忠実で、割と自分勝手で、まさしく性格は猫そのものである。しかも気まぐれな部分もあり、実に黒猫らしいのである。


 だが、その間にもクー子はこれ以上が起こらない対策を進めていた。渡芽わためには、自分の後ろに隠れるようにジェスチャーをしていたのである。

 渡芽わためは喜んでクー子の後ろに隠れた。一瞬助けてくれないのかとも思ったが、どうやら立場がめんどくさいのだと理解できたのである。


「本当に、あのバステト様なんですか? なんというか……」


 陽は未だ信じられない。なにせこんなにも破天荒なものが本当に神だったら困るだろうと思ってしまう。


「本当なんだよねぇ……葉捨戸バステト様、仕事はすっごいちゃんとやってるって聞いてる。でも正直びっくりしたかなぁ……こんな神だなんて」


 自分の幽世かくりよに招くなんて初めてである。その神仏じんぶつ像をつかみかねていたのだ。

 だが蓋を開けてみればこんな神で、クー子自身度肝を抜かれていた。


「なぁんか、評価落としちゃったかなぁ……。つか、人の子いるじゃん! その子は!?」


 破天荒な分、寛大なのは葉捨戸バステトの付き合いやすい要素であった。

 というより、少しだけ陽に近いのだ。否、葉捨戸バステトがギャルに近いのである。


「あー、えっと……。私は、陽と申します。この社で巫女を務めさせていただいております……」


 今更ながら陽は居住まいをただし自己紹介をする。ただ、今更過ぎるのだ。もはやそんな空気ではなく、陽も慇懃いんぎんになりきることができなかった。


「ほうほう? 陽ちゃんねー! まぁ、アタシ葉捨戸バステトってもう聴いてるっでしょ?」


 テンションは高め、長く関わってると疲れるタイプなのだ葉捨戸バステトは。


「あ、はい。先ほどお聞きしました。それと、術をぶつけるご無礼を……」


 陽が謝罪を始めたところで、葉捨戸バステトはぬるりと近寄ってバシバシと背を叩いた。


「いいっていいって! きにしなーい!」


 というより、悪いのは葉捨戸バステトだ。悪びれた様子もなくこういっているから、本当に荒御魂あらみたまなのではないかと疑いたくなる。


「つかさ、クルムちゃんはクー子ちゃんのコマよね? 何年前だっけ? みゃーこちゃんいなかった? もしかして……」


 葉捨戸バステトは更に状況を引っ掻き回す。


「そんなわけないです! 今でもこの幽世かくりよに居て、今や従一位。立派な元コマです!」


 普通25年でコマを卒業するのはありえない。普通百年はかかる。

 だから、25年以内に神の元を去ると言えば、神格の剥奪に相当する罪だ。


「あ、勘違いさせた? ごめん! もう卒業? って聞こうとしてたの!」


 ただ、葉捨戸バステトはそんなに性悪ではない。剥奪だと直感が告げたら、それは口にしない。悪い奴ではないのだ、かなり無遠慮でデリカシーに欠けるのだが。

 葉捨戸バステトは、そのときは本当に申し訳なさそうな顔をした。


「本当……ですか?」


 一瞬だけだが、クー子はかなり怒った。自分のコマに関する侮辱は捨て置けないのである。


「いや、ほんとごめん! でも従一位ってあれだよね! 主神になった時の……」


 みゃーこが従一位になったのは本当に異例の出世だ。大体クー子が一気に主神に上り詰めたのが悪い。そして、みゃーこもかなりふさわしいから割とおかしいのである。


「はい、そうです」


 クー子はかなり警戒を顕にしつつ返事を返す。


「あーなるほど……」


 陽はこの葉捨戸バステトの人格をいち早く理解したのである。

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