第208話・エチエチ猫女神

 次の日のことである、クー子は目が覚めると早速助っ人に声をかけていた。

 相手は前々から予定していた、エジプト在住の猫稲荷、葉捨戸バステト比売である。彼女とクー子の縁は、高天ヶ原で何度か挨拶した程度である。

 そもそも、彼女はサハラ砂漠の拡大を食い止める仕事もあり、長時間は中東を離れられないのだ。


「にゃ! クー子ちゃん?」


 猫神はこのように挨拶を省略することがある。短く鳴けば、軽い挨拶になるのだ。畏まらない場面でよく使う。


「はい! クー子です! 葉捨戸バステト様、ご無沙汰してます!」


 まずは挨拶。クー子にとって葉捨戸バステトは先輩の稲荷である。神階こそ抜き去ったが、豊穣と多産を司る猫稲荷のまとめ役であり、五千年近く君臨している神だ。姿は黒猫で、とても愛らしいが、戦闘能力も見た目に反して凶悪である。


「そう言えば、聞いたよー! 主神になったって? ビール持っていこうかにゃー!」


 葉捨戸バステトの言うビールは、ラガーではなくエールのことである。近年では後から更に炭酸を追加した、強炭酸エールがエジプトの神々の主流だ。


 微炭酸のエールであれば、その起源は驚く程古い。というか、バステトがエジプトに行って最初に、有り余る麦を見て酒造してみたのが始まりだ。エールのおかげで土着の神々とも仲良くなり、民族にも受け入れられた。いわば、エジプトと葉捨戸バステトの絆の象徴こそがエールである。


 ラガーとエールの違いは発酵する時の温度である。低温発酵がラガー、常温発酵がエールなのだ。ただ、それくらいしか差がないのである。


「それすごい光栄です! あ、みゃーこにはそろそろ飲ませてもいいかも……」


 なにせ、みゃーこも立派に従一位、しかも25歳。人間の法律でも、神の法律でも、どちらでもお酒は飲んでいいことになっている。


「ところで、落ち着いてる? 昇進とか、神社改築とか大変?」


 葉捨戸バステトは言うまでもなく、クー子の社に来る気が満々である。他人の幸福も蜜の味、幸せの共有はフルコースなのだ。和魂はそんな性格である。


「あ、はい! 落ち着いてますよ!」


 改築も終わったクー子の生活は、本当に日常が戻って来た姿だ。平穏で、時間もたっぷりある。


「じゃあビールもってすぐ行くね! 一年以内!」


 ここはさすが神々である。すぐ……に一年が含まれてしまうのだ。


「え!? 一年!? ビール在庫ないんですか!?」


 流石にクー子もそこまでして持ってきてもらう気にはならなかった。

 が、しかし、感覚が狂っているのはこの葉捨戸バステトも一緒なのだ。


「あっちにもこっちにも転がってるよー!」


 近年の金属樽生強炭酸エールが転がっているのである。更にはサーバーも割と予備があって、担ぎ上げて持って来れば良いだけである。

 葉捨戸バステトも一年が、人間で言う五分くらいの感覚なのだ。

 クー子の感覚については多少矯正されている。人間と関わりが増えたからである。


「一年もかかります!?」

「わかんない! だって一年って一瞬じゃん!」


 対する葉捨戸バステトは、エジプトでスローライフ中。感覚を矯正する機会が高天ヶ原以上に乏しいのである。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 結局、葉捨戸バステトは30分後にクー子の幽世に来た。なにせ、担いでホイとここまで来れるのである。神のみに許された、宗教施設間転送システムである。


 葉捨戸バステトはピラミッドがそれに当たっている。ピラミッドの地下が公開されないのは、うっかり幽世に入れてしまいかねないせいだ。エジプトでも神々はゆるゆるなのである。


葉捨戸バステト様! 一年どころか、一日も経ってないですよ!」


 さて、定規の話をしよう……。


「だって、一ミリと二ミリってパッと見ただけでどっちか判断できないじゃん!」


 そう、神は生きてきた時間が本当に長すぎるのだ。

 葉捨戸バステトはあたりを見回す。ここが、有能さで有名な後輩稲荷のクー子の社なのかと。ふと、影からこちらを見ている小さな存在に気づいた。


「ねぇねぇ、クー子ちゃん! あの子は?」


 聞かれて、葉捨戸バステトの指さす先を見ると、影はひゅっと引っ込んでしまったのだ。


「クルムかなぁ……。前回クロちゃんに対して失敗しちゃったから……」


 渡芽わためはそんなわけで、猫女神を警戒している。前回のようにふにゃんとさせるわけにはいかないのだ。

 しかも今回は、割と高位の神である。人化したその姿は、褐色肌の黒髪黒猫耳娘に見える。尚、クー子よりは背が低い姿だが、色気を持った体型をしているのだ。


「きになるなー、なにしたの?」

「しっぽの付け根のところ、ポンポンしすぎてふにゃふにゃにしちゃったんです」

「ほほぅ?」


 葉捨戸バステトは何やら目を光らせた。

 実は、この葉捨戸バステト、割とエチエチ女神である。なにせ、多産の女神でもあるのだ。

 そんな女神にロックオンされた渡芽わための受難は始まったばかりである。

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