第205話・快楽

 道真の放送のあとは夕食である。クー子はみゃーこと渡芽わためを心配していた。クー子の感覚上、二人はまだまだとても幼い。よって仕事といえど、楽しくないようではやっていけないと思っていたのだ。

 なにせ、みゃーこは25歳。その年齢の時、クー子はまだまだ宇迦之御魂うかのみたまのコマだったのだ。仕事などする段階ではなく、遊ぶことと学ぶことが仕事だった。


「二人共、仕事はどう? 楽しい?」


 よって会話はここから始まる。


「ん!」


 真っ先に反応したのは渡芽わためである。


「ええ、道真様の授業は楽しかったです! まるで講談でした! 迫力のある語りで、思わず引き込まれたほど! しかし、ノートなるものを作れませんでした……」


 みゃーこは妖怪時代に子供たちの学校のの話を聞いていた。そこで聞いた、ノート見せてだの宿題映させてだのが楽しそうと思ったのである。


「ノートですか。あれは、書くためのものでして、お話を聞いてもらう時に書いてもらうのは私嫌いなんですよ。書くときは書く! 聞くときは聞く! そっちのほうが楽しいと思います!」


 だからノートなど取らなくていいように、教科書をしっかりと作る。ド忘れしたとなって、調べると案外もう忘れないものだ。その調べるための文献として、教科書があるのだ。


 授業は楽しさ優先だ。聞きたい話を聞くのと、聞きたくもないが無理やり聞かされるでは、前者のほうがよく聞ける。だから覚えられるのである。神々の学府だからできる部分がある。神々からコマへ直接与えられる、好奇心を焚きつけるかのような教導が基礎にあり、コマたちは知識欲まみれで学びに来る。そこに、ほんの少しでも面白く聴かせる工夫がされた話を聞かされればもう夢中だ。


 教育の教は神々の担当である。各家庭で知りたいことを教え、学府でその知識を体系化させる。対して育はコマたちの担当だ。なにせ、脳を持つ生物は生まれつき好奇心をもって生まれてくるのである。


「しかし、人の教師は書かねば覚えぬと言うぞ?」


 天御中主は昔の道真だったら言っていたでろう言葉を言った。

 長く教師をやっている間に道真の授業スタイルも変わったのである。


「クルムさん。アダムは何年ぐらい生きました? 私は、人として没後何年くらいですか?」


 案外覚えているものだと証明するために道真は渡芽わために訊ねる。ちょっとしたテストのようなものである。


「アダム……千年いかない……。先生……千年以上!」


 人間が答えるのであれば、通りゃんせの人が千年以上前に死んだと言うだろう。だが、渡芽わためはそう答えた。楽しげに、そして得意げに。


「はい、大正解です! 一回でよく覚えましたね!」


 褒めることは忘れない。褒められることは、セロトニン系の快楽を伴うのだ。すなわち、ほっこりな感覚である。

 幼い頃は、この快楽が特に大きい。よって、パブロフの犬効果で、勉強そのものに快楽が伴うようになる。秀才はこうして出来るのである。


「え? すご!」


 一度でざっくり覚えておけば、詳細な情報を教えるのも簡単である。具体的に何年かという興味がそのうち湧いて出てくるから。

 あるいは教える必要もない場合がある。興味が湧くと勝手に調べるのだ。

 だからクー子は、道真の教鞭の威力を知った。そして、一発で覚えた渡芽わための秀才さを知った。


「どっちかは、満野狐みやこに聞いてくれても良かったんじゃ……」


 拗ねたようすでみゃーこが言う。


「二人共どうせ覚えていると信頼して私は問を投げたのですよ」


 だが、道真はそれを即座に解決した。信頼されることもまた、セロトニン系快楽なのだ。


「あ、そうなのですか!」


 よって、みゃーこもすっかり納得してしまった。


「さすが、学問の神。教え子は手のひらの上ですね」


 蛍丸の打たれた時代には、道真は既にそう祀られていた。


「本心でございますし」


 言葉通りである。クー子のコマは知識があり、そして育ちがいいと理解している。渡芽わためを学校へ誘った時からずっと……。


「うむ、稲荷は良い神だ。ゆえに特別扱いしてしまわぬよう気をつけねばならぬ」


 天御中主あめのみなかぬしは言うが、既に手遅れな部分があった。人の世に伝わる稲荷大神秘文いなりおおかみひもんに、次のように記されているのだ。“夫神それかみは、唯一にして御形みかたなし、きょにして霊有れいあり”。ヤハウェのような言われようである。これは、すめら神族から血縁が少し遠いおかげで遠慮なしに褒められる神だったのも理由である。だが、すめら神族も無遠慮に褒めすぎたせいで、キリスト教が入ってきたとき習合されかかった名残がこの稲荷大神秘文いなりおおかみひもんである。


 ほかにも理由があって、食前の祈りが一番日本人に説明しやすかったせいだ。“我々のいただきますである”、と言えば日本人はすぐ納得できるのであるから。


「ですね!」


 道真はそれに同感して笑う。


「アハハー」


 その祝詞のりとを何度も投げかけられ、手遅れを知るクー子は苦笑いをするより他なかったのである。

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