第197話・高天ヶ原プロジェクト

 言語化のプロ天神道真は、夕飯までの間に放送に必要な情報を全て集めきってしまった。しかも、それだけではないのである。彼は蛭子ひるこ神族でもあるのだ。いわば商売の主神から鍛え上げられた神である。広報活動の心得などもあったのである。


 そんな道真は、クー子にツブヤイッターをしっか活用するように助言をした。

 他にも、ホームページなども用意してしまったのである。常時発動型のネット術式を用いた、情報の幽世かくりよとしてサーバー術式をクー子に作らせた。高天ヶ原のネット女王であったクー子は没落し、道真がとって代わったのである。


 ホームページの名前は“高天ヶ原プロジェクト”。神と人との交流が深まるにつれ機能を追加できる、優れた拡張性を持ったホームページであった。

 そのVTuber部門の長がクー子であり、教養部門の長が道真である。道真のネット上での名前は細道奥助ほそみちおくのすけである。ゆかりのある歌、“通りゃんせ”の歌詞から命名されたもので、この程度ぼかせば問題なしとの判断だ。

 高天ヶ原たかまがはらで実際に使われているあだ名をそのまま使っているクー子とは違うのである。


 して、夕飯時である。


「クルムさん、みゃーこさん。放送の準備が整いました! 明日から早速夕方頃に放送致しましょう!」


 道真は食卓でそんなことを口にしたのである。


「道真くん……もうちょっと遅い時間の方がお客さん多いと思うよ?」


 クー子はそれを聞いて、まだ教えられることがあると少し嬉しくなった。だが、クー子は失念していた。道真が蛭子ひるこ神族であることを。


「ターゲット層はその時間に家にいらっしゃいますよ。主に学生さんですからね。宿題のために調べ物をするならきっと夕方頃でしょう。午後三時から放送を開始し、五時までに終了。こうすると、学生さんが情報を求める時間帯に、スキップ機能が使える状況でご視聴いただけます。勉強に私の放送を使ううちに、ご両親と動画を見る機会があるでしょう。特に受験勉強をしている学生さんは情報に貪欲です。一度拡散が始まれば、瞬く間に情報が拡散されるでしょう。最初の発信源に対するお礼……返報性の法則で、人はリツイートをしてくれるのです」


 道真にはぐうの音が出ないほどの戦略があったのだ。当然である、蛭子命ひるこのみこと曰く“戦略なき商売はただの娯楽である”。そして、しっかりと戦略を考えさせるために、蛭子命ひるこのみことは“教育という商売”という言い回しを使ったのである。


 ただの気のいいおっさんに見えて、割と知恵が回るのが蛭子命なのだ。

 この返報性の法則をきれいに言い換えたものが“情けは人のためならず”である。


「クー子様?」


 みゃーこはその一連の様子を見て、クー子を急に身近に感じたのである。みゃーこがクー子を始めてポンコツな部分があると認めた瞬間だ。


「道真くん……」


 おろおろとしだすクー子。


「ふはは! かっこつけも限界であるな! この天御中主あめのみなかぬしとて、少々格好が悪いのだ! 神ごとき、そんなものである! 八栄やはえとは違うのだ」


 その大笑いがクー子にとっては助け舟となった。こういう部分は、やはり天御中主あめのみなかぬしの良いところだ。


「クー子」


 名を呼んで渡芽わためは慰める。渡芽わためにとって完璧かどうかは問題ではない。自分を地獄の底から連れ出してくれた、それで十分なのだ。


「しかしとて、流石は道真! 若いな! 時代への適合力が高い!」


 若さという武器は、具体的には強力な適合力なのだ。それを十全に活かすためには、幸せな記憶に裏付けられた自尊心が大量に必要である。自尊心を振り回さずとも、自分に価値が有ると思っていられるほどの。それを持っているから、道真は有能なのだ。


「年下なのに、どこで差がついたのでしょう……」


 道真は平安時代、そして蛍丸は後の平安時代に生まれたものだった。


「一周する前であるな!」


 実は子供にも頭が固くなる時期が存在するのだ。情報の供給過多が起こり、理解が追いついていない時期というのは新しい情報を咀嚼できず新しいことを生ぶことができない。よって頭が固いと言われるような性格になるのだ。天御中主あめのみなかぬしは長寿だけに、それを何度も見ていた。


「私とて、頭が固かった時期が二回ほど……」


 高天ヶ原に上がってすぐで一回、そして少し前にもう一回である。道真も別に蛍丸より別段優れているわけではない。蛍丸もどうせすぐに適応力の凄まじい若人に戻るだろう。


「それより、楽しみでございます! 明日から授業ですね!」


 みゃーこが閑話休題として、話は本筋に戻る。道真の授業、それに最も大きな期待を寄せるのがこのみゃーこだ。


「ん!」


 渡芽わためもみゃーこに劣るもののそれを心待ちにしているのは変わらなかった。


「張り切って参りましょう! 最初は……人と宗教というお話をいたしましょうかね。宗教的な知見を得るにはそこを最初に話すのが良さそうでございます!」


 道真の教育はいつも、好奇心に火を灯すところから始まる。灯ればあとは、知識という燃料をくべるだけ。知れば知るほど、もっと知りたくなることを考えるのだ。


「して、人の子にそれをどう説明するのだ?」


 意外にもその入口は、いつだって実用性のない知識である。そして、過激なものであったりもするのだ。だから、下手に話せば変な思想を植え付けようとしているようにも見えなくない。天御中主あめのみなかぬしはそれを心配しているのだ。


「社会科、宗教史キリスト編とでも題しましょう! 歴史の授業ですよ!」


 宗教と歴史は切っても切れない関係である。なのになぜか歴史を教える入口で確実な事実ばかりを教え、夢想する楽しさを奪ってしまう。


 夢想し、仮説を生み出す。子供が最初に唱える仮説など100パーセント妄想で良いのだ。最初に考えさせ、当たった外れたのゲームをするのだっていいだろう。少なからず、大当たりを自分が出したら絶対に忘れられないはずである。


「キリスト教から始めるのは人の子に納得させるためか?」

「ええ、現在世界最大の宗教ですから!」


 それは、歴史という物を考察するにおいて絶対に外せないものである。

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