第193話・渡芽の朝

 朝のことである。目を覚ますと、渡芽わための目の前にはクー子が居た。

 先に寝てしまったのを少し悔いるが、それ以上に横に寝てくれたのが嬉しかった。また、逆の隣にはみゃーこが眠っていた。蛍丸の布団だけが空である。

 渡芽わためが布団の中でもぞもぞとしていると、その気配にクー子は目を覚ました。


「おはよ、クルム」


 そう言って撫でるクー子の手は渡芽わために、好きなものばかりが変わらないことを感じさせた。

 渡芽わための好きなもの、それはこの社の環境そのものだ。母がごとしクー子、姉のようなみゃーこ。後からこの社に来た蛍丸は、渡芽わためにとってこれまた母のようである。


 かと言って、母しかいないこの社に、挑戦や冒険がないかというと、そんなわけでもない。神は父性と母性の両方を誰もが持っているのだ。ただ、女神の多くは母性が優位で、男神は父性が優位。それだけのことであり、片親だろうが苦労しないのである。


「ん! おはよ!」


 目が覚めていきなり、渡芽わためは嬉しくなった。先に寝た罪悪感は何処へやらである。


「ん……んぅ……」


 渡芽わための後ろで、みゃーこはもぞもぞと動いた。肉体的には渡芽わためよりもだいぶ小さな愛らしい彼女の姉。それが寝ぼけて、尻尾抱き枕にしてしまったのである。


「ふぎゃ!」


 尻尾はイヌ科でもちょっと嫌なのだ。だから渡芽わためは声を上げた。


「こらこら! 起きなさい!」


 クー子は渡芽わための上から手を回して、みゃーこの額をペちんと軽く叩いたのである。


「ふぎゅ!?」


 みゃーこも渡芽わためと似たような声を発してしまった。そして、覚醒し、寝ぼけて自分が抱いているものに気がついたのである。


「……こ、これは。クルム! ごめんなさい! 満野狐みやこ、寝ぼけてしまいました!」


 慌てて謝るみゃーこ。自分もイヌ科であり、尻尾を触られる不安は知っていた。そう、尻尾が嫌な理由は不安である。骨が細く、関節もおおいため、少しの力で痛みを感じてしまう部位なのだ。

 それ以外はイヌ科は基本的に肉体接触が大好きである。社交的であり、人懐っこい性格の種なのは、野良も神も変わらないのである。


「怒ってない」


 渡芽わためは布団の中振り返って、みゃーこの全身に抱きついた。自分もその程度してしまうことがあるかもしれないし、悪気もあったわけではないのである。


「良し、起きよう!」


 クー子がガバッと二人の頭の下に手を回して、抱きしめるように起こしたのである。朝から狐塊。もふもふ地獄だ。

 それは、二人にとって心から愉快であった。じゃれあって、気分と血圧をあげ、目をしっかりと覚ますことができたのである。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 外の神社はまだ仕事前。社務所はクー子の社には存在しない。幽世かくりよがその役割を執り行っているのである。

 蛍丸はクー子の社で、台所の帝である。朝食軍を従えて、食卓に現れるのである。


「いやはや……。毎日神々とお食事ができるとは、これほど光栄なことはございませんね!」


 細石彦さざれひこは既に水干に着替えている。いつでも、神主として仕事を始められるのである。


「でしたね……。すっかり慣れてしまっていました」


 巫女である陽も既に装束をまとっている。仕事として、これが仕方ない部分がある。それと同時に陽は結構楽天的だ。女に生まれた今生であれば、女であるということを楽しむのも一興と考えるものである。


 それら、女性的な楽しみというのは別に男に生まれようができることではあるのだ。だが、女に生まれたことによって、なんとなく免罪符をもらったような気分でやりやすいだけである。


「そんな光栄に思わないで! 食材たくさんあるから!」


 クー子としては、食材を生贄に賑やかさと楽しさを召喚しているようなものである。そもそも、懐は余裕たっぷりだ。


「うちのクー子様は、甲斐性があるので」


 謎に蛍丸が胸を張った。ちなみに蛍丸はちっぱい族である。その分、和服がとても似合う。


「さすがです! して、陽様はいつこの細石彦さざれひことも距離を詰めていただけますでしょうか?」


 細石彦さざれひこは敬語がデフォルトである。よって、これで砕けているつもりがあった。


「うえ!?」


 陽は驚き、おかしな声をあげる。だが、その話は一旦休題とすべきであった。


「その前に! みんな、手を合わせてね! いただきます!」


 食事を始めるのが先である。クー子が主のこの社。天御中主あめのみなかぬしを差し置いても、号令はクー子がかけるべきである。


「「「いただきます!」」」


 食前の挨拶が終わり、賑やかな食事が始まった。


「うむ……。蛍丸や、良い腕ではないか! クー子の社を辞することがあれば、めし処を開くと良い! この天御中主あめのみなかぬしがお墨付きをくれてやろう!」


 料理に対する賛辞が天御中主あめのみなかぬしより飛ぶ。


「そのつもりはございません。きっと駆稲荷に骨を埋めるでしょう。ですので、褒め言葉のみ受け取ります……」


 蛍丸は苦笑いで言葉を返した。ついでに、クー子は天御中主あめのみなかぬしに警戒の目線を向けていたのである。


「で、あろうな! それほど良いと褒めたかったのみ!」


 天御中主あめのみなかぬしが快活に笑う様を見て、クー子は警戒を解いたのである。


「ほら、この細石彦さざれひこにも、もっと砕けてください! 一緒に社を守る仲間ではございませんか!」


 陽は細石彦さざれひこに迫られていた。彼に悪意はない。だが、陽としてはだいぶ困ったのである。


「え、えと……わ、わかった……」


 なんとかタメ口をひり出した陽の額には脂汗がにじんでいた。


「怪しい絵面になってらっしゃいますよ。細石彦さざれひこ様!」


 みゃーこの言うとおりだった。細石彦さざれひこはアラサーである。陽とは年の差が親子に少なし、兄妹にデカしである。


「賑やか!」


 その様子もまた、いつものである。渡芽わためにはそれが愛おしくて仕方がないのだった。

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