第189話・雪のたけなわ

 幸枝は稲荷の集団の中にいる。モフ耳美女&美少女軍団に囲まれているのだ。

 一見すると幸枝が引率をしている気のいいおばあちゃんに見えるが、まったくもってそうではないのだ。むしろ、モフ耳美少女のうちの一人、今回は葛の葉くずのはが引率的立場だ。


「その気持ち、わかりますね……。子供はすぐ成長してしまう。でも、大きくなったって可愛いのに、勝手に独り立ちしちゃいますねぇ」

「幸枝ちゃん……。そうなんだよ! クー子は可愛いのに、勝手に立派になっちまって……。あたしは、寂しくて寂しくて……」


 宇迦之御魂うかのみたまは幸枝に愚痴っていたのだ。クー子が主神になる寸前とその直後のこの時期、宇迦之御魂うかのみたまにとって最も辛い時期である。


「あぁ、ごめんねクーちゃん。宇迦うか様、寂しいんだよ。だけど、あんたは早く独り立ちして立派なもんだ。元々立派だったあんただから、当然かもね。宇迦うか様のことは気にせず、楽しもうじゃないか! それと、きれいだよ」


 クー子を見た葛の葉くずのはが言った。少し寂しげでありながら、嬉しそうな笑顔で。


 クー子には根拠のある自信がある。それとは別に、根拠のない自信もたくさんつけさせてもらってきた。根拠のない自信は強い。それがあれば、人も神も生きられてしまうほどに。


 肯定にはスパイラルがある。自分を肯定できているから他者を肯定できる。他者を肯定できるから、他者から肯定される。これが、肯定のインフレスパイラルである。


 この、肯定のインフレスパイラルの出発点こそが根拠のない自信である。それと同時に、これこそが、自分を愛せなければ他人を愛せないという言葉の意味だ。


 なにせ、自己を肯定出来ない者は、自分の肯定に価値がないと思うだろう。価値がない自分の価値のない言葉に価値ある他者の時間を消費させることはできない。よって、他者に肯定のメッセージを送れない。自己を肯定できない存在は肯定のデフレスパイラルに陥るのである。


「くじゅ様、ありがとうございます! 私が主神にまでなったのって、稲荷のみんなのおかげが大きいですよ! 居なかったら私、多分荒御魂あらみたまになってました!」


 迫害を受けた直後のクー子の心は荒んでいた。愛に対する強い渇望がうずまき、それが自らを愛さぬ全てへの攻撃性へ変わる寸前、稲荷に拾われたのだ。クー子の妖怪時代は、メンヘラとよく似ていた。


「クーちゃんが荒御魂あらみたまにならなくて良かったよ……本当に……」


 クー子の発想力が荒御魂あらみたまに渡ったとしたら、そんなもの葛の葉くずのはにとっては恐怖以外の何者でもなかった。


「クー子……綺麗!」

「本当にお綺麗でございます! そして、大社完成、改めておめでとうございます!」


 コマ二人組も、クー子を祝った。クー子にとって、この上なく嬉しいことで、思わず破顔するのは抗えぬもの。


「二人共ありがとう! 大好き!」


 感極まって、クー子は二人を抱きしめる。


「この節目に背にはべったこと、生涯の誇りです」


 蛍丸は静かに寿ことほぐ言葉を告げる。微笑む口に引かれた紅は、僅かに艶めいていた。


「ほたるん、あなたもうちの子だからね!」


 どこか諦めた様子で距離を取る蛍丸を、クー子は決して許さない。

 そんな時である、蛍丸は不意に背を押された。


「そうです! ほたるん様も、祝われる側です! よっ! 駆稲荷!」


 押したのは、玉藻前たまものまえであった。振り返る蛍丸の目に飛び込んできたのは、満面の笑みを浮かべる彼女。祝うため、少しだけめかしこんだ姿であった。


あるじ様のご就任、お祝い申し上げます!」


 その隣には、美野里狐みのりこが居て、同じように祝いの言葉を投げかけてきた。

 その時蛍丸は既にクー子、みゃーこ、渡芽わため、の三人から抱擁されていた。だから美野里狐みのりこの顔を見ることは叶わない。だけど、声を聞くだけでわかるのだ。きっと満面の笑みなのであろうと。


「ん……ふふふ!」


 なんだか、蛍丸にとってその抱擁が心地よくて、あったかくて柔らかかった。


「たまちゃん! みのりん! ありがとう!」


 クー子は破顔した三人を抱え、一等の笑顔で返礼する。こんな暖かい場所は、きっとほかにはないだろうと思いながら。


「クー子……その……」


 稲荷で最後に祝辞を述べに来たのは宇迦之御魂うかのみたまであった。だが、クー子はそれを制して、懐から文を取り出した。


宇迦うか様、私、歌を書いてみました。初めてなので、うまいかどうかわかりませんが。“いつまでも、いくつになれど、母神の、忘れ難しや、雪のたけなわ”と歌を送らせてもらいます!」


 その文にもその歌は書いてあった。そして、そのほかにもたくさんの感謝の言葉が並べられた手紙だったのだ。

 歌を読みながら、クー子はそれを宇迦之御魂うかのみたまへと渡す。

 受け取って、読んでみれば宇迦之御魂うかのみたまの心はいっぱいいっぱいになった。愛しくて、可愛くて、なのに立派な我が子。


「クー子!!」


 宇迦之御魂うかのみたまはもうダメだった。感情はぐちゃぐちゃで、壊れんばかりの思いが瞳から溢れ出したのである。


「わわ!? 宇迦うか様!?」


 そんなこんなで、稲荷塊いなりのかたまりができてしまった。もふもふふかふかの、愛情が飽和した世界だったのである。

 雪のたけなわ、春の訪れのことである。雪が溶けて終わるこの春に、主神となったクー子感謝の歌なのだ。

 それと同時に、一級事変が終わり神々の心にも春が訪れた。だからこそ、宴は余計に盛り上がるのであった。

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