第185話・績和実

 その後、クー子たちは細石彦さざれひこにあだ名などを教えた。細石彦さざれひこ渡芽わためと打ち解ける第一歩は、そのあだ名を褒めるところに始まったのである。


「なるほど、そのような由来でクルムとお呼びになると……。誠、良きあだ名ですね! クルム様、お幸せになられたようでなにより!」


 渡芽わための一件は神倭かむやまとの協力を得た、正式な神隠しである。同席したわけではないが、話はなんとなしに聞いており、色々聞くうちに件の少女と思い至ったのである。


「ん! クー子は……最高の……神様!」


 でもまだ、渡芽わためは心を許していないようで、文法をしっかり使っていた。

 ここらへんの判断は直感であろう、少なくともこの場の者は基準を見いだせなかった。


「そうですね! しかし、クルム様はすごい時期に立会いましたね! まさか、主神になられるとは……」


 細石彦さざれひこが言うと、天御中主あめのみなかぬしがバツの悪い顔をした。


「それなのだがな……私がずっと裏に潜んでいたようなのだ。おそらく、クー子が人の子を助ける。それが、イサナミを高天ヶ原たかまがはらに帰還させる条件として必要だったようでな……。もう少し、うまくできなかったものか……」


 この至高神は何度もこのことについて謝っている。本当に心の底から後悔をしているのだ。


「もういいですよ! クルムが体罰したので終わりです!」


 クー子は言い張る。慚悔ざんかいは尽きずそれでも、天御中主あめのみなかぬしはこの話題が出るたびに思い出してしまうのだ。


「ん! 復讐した! 終わり!」


 渡芽わためもそのつもりである。少し怒った表情で、終わったことだと言い聞かせた。


「ありがとう、二人共」


 許してくれるのは純粋に嬉しく、それだけに二人の心が和魂として本当に正しいのだと感じた。


「そうだ、イサナミ様? 我々が聞いている中で、イツァナミ様と聞いていたのですが、何分古い伝承です。正しい発音が失われてしまいました。再び、お授けくださいませんか?」


 伊邪那岐いざなぎ伊邪那美いざなみは日本神話の系譜の原点である。皇室の血筋はそこから続いているのだ。故に大和民族にとって、興味の尽きない話題だった。なにせ、ルーツなのだ。


「うむ、イサナキはまだダメだが、イサナミは思い出す頃だろう。あざにて、いさおのどかなれみのり給え。調和の果実をこの世にもたらす存在としてあって欲しく、そのように名付けた。あとは、仲睦まじくあって欲しかったからだな」


 伊邪那美いざなみは、績和実いさなみである。忌名いみなは解かれ真名が姿を現した。それは、天御中主あめのみなかぬしによって空中に文字を描かれた。


「なぜ、今のように伊邪と書くようになったのですか?」


 細石彦さざれひこは追って訪ねた。


「イチャイチャしなくなったからだ! だから、二文字に別れた。伊邪と二文字になったのは、反抗期で喧嘩をしたからであるな!」


 夫婦喧嘩中に、仲睦まじく在れよと込められた願いをそのまま名乗るのは気まずい。よって、イツァは元々一字だったものを二字に分ち名乗るようになったのである。


「そ、そんな!?」


 そんな理由で……とは、思っても言えない細石彦さざれひこであった。

「なるほど、イチャイチャを忌んだわけですね! 全く、伊邪那岐いざなぎ様も伊邪那美いざなみ様も大人げない!」


 憤慨するみゃーこ。それで、自身の道を忘れてしまうなど、本当にくだらないと思ったのだ。なにせみゃーこはこの頃、神事記かむことのしるしを読破していたのである。


「そう言ってやるな! あれも、幼い神だ。私の半分も生きておらぬ! 故、過ちもあるのだ」


 と、天御中主あめのみなかぬしは言うが……。


「アハハ……天御中主あめのみなかぬし様にかかったら、高天ヶ原たかまがはらの神々みんな幼いんじゃないかなぁ……」


 と、笑わずにいられないクー子であった。なにせ、伊邪那岐いざなぎ伊邪那美いざなみは46億歳である。クー子など、比べれば赤子だ。

 137億歳の開闢かいびゃく級おじいちゃんは、全宇宙で最も時間感覚の狂った存在である。


「えっと……スケールがよくわかりません……」


 人間にはそれで仕方がないのだ。細石彦さざれひこだって人間、人間の寿命にはタイムリミットが存在する。歴史上最も長く生きた人間でも122年。そんなスケールで億年はそもそも想像できない。


細石彦さざれひこ様、私にもわかりません」


 と、陽は耳打ちした。それはそういうものだと、早々に受け入れるべきという話である。この社と関わって久しく、そして前世すらあるゆえに合計年齢が細石彦さざれひこを超える陽もよくわからないのだ。


「成長する速さは人も神もそれぞれ。ほれ、みゃーこなど誠に速いぞ! クー子も速かったがな!」


 と、天御中主あめのみなかぬしは大笑いである。

 もはや年齢など単なる数値。生まれも育ちも違えば、親も子も違う。取り巻く環境の全てが、子を育てるのである。環境の写鏡うつしかがみこそが、子供である。親は最も重い責任を負うが、それだけではない。そうでなければ、良くない親の呪縛から逃れられる子供は存在しないのだ。

 気の強くなかった伊邪那岐いざなぎは、反抗期を正しく迎えることができなかった。淀み固まって、爆発した結果がこれである。


「イサナキや、悪いことをした。しっかりと産んでやるべきであった……」


 天御中主あめのみなかぬしはその後悔を呟いた。寿命が長い生物ほど、子育ての結果が現れるのは遅い。天御中主あめのみなかぬしは、実子として伊邪那岐いざなぎを生むべきだったと今更ながら後悔をしている。


「過ぎたこと……仕方ない!」


 渡芽わためは被害を受けたひとりである。だが、もう天御中主あめのみなかぬしを責めるつもりはなかった。天御中主あめのみなかぬしの謝罪は十分であると思っている。

 元々恨まないと言ったことがなければ、本当に許していたかどうかは微妙であるが……。

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