第182話・千年の憧憬

 現在クー子の社には鳥居が二本。何も知らない人が見れば寂しく映るだろうが、クー子にとってはとても嬉しい光景だった。クー子はこの社以外を任されたことはい。建立の由来にすらクー子自身が関わっている古い社だ。


 今から、2800年ほど前、この社の原型としてクー子の幽世を発生させている岩が祀られた。祀ったのは、クー子を迫害してしまった人々の生き残りの末裔。やがて、社としてまわりに祠が出来た時にクー子を慰めるため宇迦之御魂うかのみたまという狐の化身を持つ神が主祭神として選ばれた。よって、主祭神が宇迦之御魂うかのみたまであるこの社ができたのである。


 だから、ここはクー子の社なのだ。そして実は、とても古い社なのだ。日本にまだ筆がない頃からの……。


「私の千本鳥居ー! あぁー、手触り最高! 初めての千本鳥居!」


 一本ではあるがこれから千本鳥居になるためには、その一本目が絶対に必要だ。

 稲荷にとって、鳥居が増えていくのは嬉しいことである。召喚されて少しして、ふつふつと実感が沸いてきたクー子は思わずその鳥居に頬ずりしていた。


「テンプリ! 思いのほか喜んでくださいましたね!」


 クー子達に最初に接触した魔術師、イグセンプタス石井もそのクー子を見て満足そうである。贈り物を喜んでもらえるというのは、やはり喜ばしいのだ。用意するときに手間をかけていればいるほど。


「そうですね、イグセンプタス! 本当に喜ばしい!」


 魔術師たち、かなり仏ナイズされていた。基本的に話をするときは互いに敬語になっている。それは“未熟な我々が他者への敬意を忘れる事無き様に”という自戒のためである。テンプリであるマイクは、日本語のここが素晴らしいと思っているのだ。

 同祖の別言語のような、表敬語を内包する言語……日本語。敬語を使うのは何も相手を敬うのみではない、自分に対する戒めとしても同時に機能するのだ。


「ストレートに嬉しいですねぇ……」


 アデプタ松本、魔術の電脳担当も微笑んでいた。


「他人の幸福を喜べる皆様になられて、私も嬉しいですよ」


 後方保護者面、アルカイックスマイル地蔵である。実質保護者であるから、これは仕方がない。


「クー子……恥ずかしい……」


 渡芽わためはクー子が喜び過ぎと感じたのである。


「仕方ないのですよクルム。クー子様には初めての千本鳥居です。クルムきっと、そのうち体験するでしょう……」


 いつの間にやら幽世かくりよから出てきていたみゃーこが渡芽わためを諌めた。クー子が神として認められたのは、約千年前。稲荷の神社はある程度のものには千本鳥居がある。よって、稲荷の神は千本鳥居を欲しがるのだ。つまり、クー子にとっての千本鳥居は千年の憧憬だ。それが、ふと自らの掌中に舞い降りてきたのである。


「なの?」


 渡芽わためはみゃーこに聞き返す。


満野狐みやこも少しあこがれがあります! 手に入れられるのはいつごろでしょうね?」


 それは少し諦めたようでいて、でもどこかとても満足そうである。

 さもありなん……だ。なにせ、クー子が手に入れた千本鳥居の一本目は、三人で力を合わせて手に入れたようなものである。言うなれば、クー子たちの千本鳥居である。独力で千本鳥居を手に入れている稲荷はとても少ない、みゃーこはその少ない稲荷の末席にクー子を加えたのが誇りなのだ。そして、渡芽わためも誇るべきなのだ。


「意外と、すぐかもよ!」


 それはそれとして、神と人の境界はこれから曖昧化していくだろう時代だ。故にクー子は思う、きっとみゃーこも自分の千本鳥居を手に入れるだろうと。


「楽しみでございます!」


 ほんの少しだけしんみりとしていて、それでいてどこまでも歓喜に満ちた空気が流れた。

 それは、魔術師たちに、自分たちが何を送ったのかを自覚させた。


「恐れ多かったかもしれません……」


 ふと、テンプリが言う。


「そのように思うのは、愚かです。あなたたちが送らねば、彼女らの喜びはなかった。誇りなさい、あなた方は神に震えるほどの歓喜を与えたのです」


 地蔵はテンプリをたしなめる。認識のズレに驚いてしまった魔術師たちに対して、恐れる必要はないのだと。だから、喜ばれたことをただ喜ぶべきと。

 やがてそこに陽が着て、また話がややこしくなる。


「うわ! クー子さん、これ千本鳥居じゃん! おめでとう!」


 物事とは放置すると、時間とともにその複雑さは増していくものである。これをエントロピー増大の法則と言う。


「ありがとう!」


 放っておけば混ざり合って複雑になっていく。


「しかし、先越されちゃったなぁ……俺もそのうち絶対作るから!」


 陽はまだ人間のつもりだ。だが、神々はそう思っていない。


「あ、陽ちゃんはダメ! 人の子から、千本鳥居献上の権利を取り上げるのはいけません!」


 陽には、神側の法則が適応されるのだ。現人神寸前の人間はこうである。


「なんで!? 俺人間だよ!?」

「実質稲荷だから!」


 稲荷神族にとって、陽は身内である。コマのようなものだ。花毘売はなひめが神凪をそう思うように、稲荷は陽をそう思う。

 ただ、陽はおそらく稲荷神族になる。駆稲荷は次のコマが与えられる優先順位がとても低い。それは、クー子が短期間に二人もコマを迎えてしまった弊害だ。

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