第176話・日常の帰還

 式典が終わったあと、クー子は高天ヶ原稲荷大社を訪れた。歴冊宮へぶんのみやの離宮、斗手児院けてるのかきでの治療は一段落着いたのだ。ただ、戦闘はまだまだ禁止だ。神々としては、百年ほど禁止してもいいと思っている。

 気軽に百年とか言ってしまうのは、本当に神らしいのである。


「クー子おおぉおぉぉぉ! 早すぎるんだよあんたあああぁぁぁぁ!」


 宇迦之御魂うかのみたまは大号泣だった。三千年もあれば人も人ではなくなるように、ただの子狐でしかなかったクー子も今や主神となった。ただ、それだけの当たり前のことである。


 だが宇迦之御魂うかのみたまにとって、三千年などほんの一瞬。開闢かいびゃく級おばあちゃんにとっては、あまりに早い独り立ちである。


「もう、宇迦うか様ってば……いつだってここに遊びに来ますから!」


 主神になろうと、たとえ大人になっても、まるで母のように育ててくれた愛情は忘れられるものではない。クー子は宇迦之御魂うかのみたまが大好きである。


 別に恩返しのために遊びに来るだとか、そんなつもりはない。そのつもりであれば断られてしまう。なにせ、宇迦之御魂うかのみたまにとってクー子はコマになった時点で全てを与えてくれた存在である。

 神とコマでは、神が借り受ける側と考えるのが通例だ。コマは神を選べないのであり、コマとして育てるのは神のエゴである。それが、この考えの根本なのだ。


「しかし、すごい神族ですよね! 超越神階を持ってるコマが居る神族は、駆稲荷だけですよ」


 玉藻前たまものまえは笑った。渡芽わためは名目上、この玉藻前より偉いことになるなるのだ。


「これまでどおり……がいい……」


 渡芽わためは言った。超越なんて言われて、これまでの関係が壊れるのが嫌だった。渡芽わためにとって稲荷の神々は優しくて、尊敬の対象なのだ。へりくだられるなんて、望まない。


「ふふっ、そのつもりです!」


 神階が上がったからといって、神階だけでしか判断できないようになるようなら叱責の対象だ。そもそも、偉ぶるのは良しとされない。相手を尊敬しあう、それが根底であり、神階はその中で得た力や認められている権限の目安でしかないのだ。


 だから玉藻前たまものまえは、クー子より上の神階を持っていても、クー子を尊敬し続けたのである。そういったことができないと、そもそも神階は正四位止まりである。


「みゃーこ様、従一位になられましたが、これからも美野里狐みのりこと遊んでくれますか?」


 渡芽わため美野里狐みのりこ、みゃーこ。この三人は、ようやく仲が進展してきたところ。これからもっと仲良くなるのだと思った矢先に、みゃーこは従一位、副神になってしまった。


美野里狐みのりこは遊んでくれなくなってしまいますか?」


 ただ、みゃーこの心の成長は規格外に速かった。


美野里狐みのりこは遊びたいです……」

満野狐みやこも同じ気持ちです!」


 従一位にちゃんとふさわしい精神性を既に持っている。あっという間に、神通力も神階に追いつくだろう。それに、クー子に似て、変化系の術以外は天才だ。みゃーこは次の世代の、クー子枠である。


「でも、そんな功績として認めざるを得ないなんて……」


 ところで、クー子は麻痺している。功績として認めざるを得ない物ばかりを連発しすぎて、認めざるを得ないに対する要求値を勝手に上方修正してしまっているのだ。


殺生石せっしょうせき、インターネット術式、新型追跡法、みゃーこ、主神級荒御魂あらみたま討伐、加えて根の国の神に帰還するきっかけを与えた……。あんたは、功績として認めざるを得ないような大きな功績しか上げてないのさ! 麻痺しちまってるね!」


 そんなクー子に葛の葉くずのはは大笑いである。神々全てに影響を与えて当然と思ってしまっているのが、おかしくて仕方なかった。

 そんなことしかしてこなかった。認めざるを得ないという領域に含まれない小さな功績は逆に持っていないのがクー子である。

 みゃーこを育てたことも、間違いなく大きな功績だ。列挙されてしまうほどに。


「主神になるのはもう少し大きな功績だと……」


 あと、クー子が聞いた範囲での主神になった神の功績も半端ではなかった。

 下光姫は、占星及び天体神術体系を確立し、星司となった。その後、星辰に意味を与え、神代を地上にもたらせたのだ。短い期間とは言え、あれは八栄えに近かったのだ。クー子は、それしか聞いていなかったのだ。

 だが、それでも、それらを総合すると……。


「下光姫様に比肩するかと……」


 蛍丸の言うとおりだったのである。

 功績全てを総動員すると、世界を八栄えにぐっと近づけた。クー子の名前、神事記に永劫残るのである。


「うぅ……麻痺してたのかぁ……」


 指摘されて、クー子は自覚が追いついた。上ばかり見ていて、太陽に眩んだ眼はようやく晴れたのである。


「まぁでも、主神にふさわしいよクー子。ちょっと、生意気に思えちまうけどね」


 葛の葉くずのはは少しだけ悔しさもある。でも、それが嬉しくも思える。なにせクー子は妹にも、我が子にも思えるのだ。宇迦之御魂うかのみたまと一緒に育てた葛の葉くずのはだから、そう思わずにいられなかった。


「くじゅ様もそろそろ、神階の制限なくなっていいと思うんですけどねぇ……」


 確かに勝手に天孫を作ったのは良くないことである。でも、そのおかげで皇神族なき今に、天孫が地上にしっかりといるのだ。


「あ、その話ならもうあるよ。次の稲荷のコマはアタシが育てるんだ! それと同時に、神階の制限は終わり。でも、主神になるのはだいぶ先だろうねぇ。ま、くーちゃんが早すぎるだけなのさ!」


 三千年で主神になったのは、神産みの時代が終わって以後最速である。

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