第174話・衝撃

 しばらく時が流れて、クー子たちはすっかりと歩けるようになった。


 その間、みゃーこも度々クー子たちの病室に泊まった。その理由は三つである。一つは、渡芽わためが寂しがったこと。二つ目は、もうすぐ巣立ってしまうことをクー子が寂しがったこと。三つ目は、みゃーこが渡芽わためやクー子を心配したことだ。


 渡芽わための体にも、クー子の体にも、さしたる痛痒は無いが痣はまだ痛々しく残っていた。

 特に渡芽わためは、その痣を消すのに、時間が必要だった。


 二人が歩けるようになって、外へ踏み出すと、それが奇しくも高天ヶ原の桜前線のようになったのだ。


「あれ? 駆兎狐くうこ様じゃ?」

「一つ尾、タレ目にコマ狐二人。間違いない」


 クー子の知名度は爆上がりしていた。もはや高天ヶ原たかまがはらに知らぬ者なしである。


 理由は本当に様々である。一級事変初参加で、アステカ最高神級の荒御魂あらみたまであるテスカトリポカを打ち破った武勇。天御中主あめのみなかぬしの計画の中枢にいた重要性。みゃーこという立派なコマを育て上げた、子育ての上手さ。天沼矛あめのぬぼこの呪いを払ったのは、クー子と渡芽わため伊邪那美いざなみの三名であるとも伝えられていた。


 クー子の名声は、もはやこの高天ヶ原たかまがはらで、天照大神あまてらすおおみかみと並んでいた。


 とはいえ、高天ヶ原たかまがはらにいるのは和魂にぎたま。当然、気を使ったりもする。不躾に目線を送りすぎることもなければ、病み上がりの体を気遣い、みだりに声をかけたりもしない。

 なにせ神。誰も彼もめちゃくちゃ育ちがいいのである。


「なんっであんたは、火之迦具土ひのかぐつちに辛く当たるの!? またげんこつが欲しいの!?」


 それはそれとして、伊邪那岐いざなぎ伊邪那美いざなみは今日も喧嘩中だった。伊邪那岐いざなぎは大分改心したものの、火之迦具土ひのかぐつちをどうしても妻を殺した者として見てしまうのである。ゆえに、言葉の端々に刺が現れる。

 そんな伊邪那岐いざなぎ伊邪那美いざなみにたびたびこうして怒られているのだ。


「その……すまなかった。炎をまとっていたのはこいつ自身のせいじゃないもんな」


 だが、伊邪那岐いざなぎも大分しおらしくなっている。最近ではこうして、火之迦具土ひのかぐつちに謝ることも増えているのだ。ただ、それでも根本的な部分が変われていないのが伊邪那美いざなみにとって残念でならない。


「ごめんね、とと。僕、力が制御できないまま生まれちゃったから……」


 火之迦具土ひのかぐつちも若干自罰的な部分があった。母を殺してしまったこと、そして父に殺されたことは未だにトラウマなのだ。


「カー兄は、私から生まれれば良かったんだよ!」


 天照大神あまてらすおおみかみの言葉通りであれば、確かに誰も死ぬことはなかっただろう。天照大神あまてらすおおみかみは太陽の化身。火之迦具土ひのかぐつちの炎にも耐えられるのである。


 だが、そもそもの話。太陽に核融合の炎が灯ったのは、火之迦具土ひのかぐつちが生まれたからである。

 火之迦具土ひのかぐつちが司る炎。伊邪那美いざなみを焼き殺してしまうような炎が尋常であるわけがないのだ。それは核融合の炎のことである。


「僕、テルちゃんよりお兄ちゃんなんだけどなぁ……」


 とはいえ、火之迦具土ひのかぐつちは長いこと子供のような姿でいた。今更、急に大人の姿を思い浮かべられないのである。


 そんな高天ヶ原たかまがはら最古の夫婦の喧嘩に対する見方は、神の年代ごとによってまちまちだ。

 別天ことあまつの神は“イサナキがまた尻に敷かれてるのが懐かしい”と思ってみている。思兼おもいかねは、“あのおしどり夫婦が喧嘩だなんて……”とちょっと信じることもできていない。そもそも伊邪那岐いざなぎ伊邪那美いざなみはイチャイチャの語源である。地球に音声言語が生まれてしばらく、サとザの区別はなく、どちらもツァと発音されていた。つまり、イツァイツァという発音がなまって、イチャイチャになったのである。


 そして、この高天ヶ原たかまがはらで最も多い、二人の歳下である神々は、不安そうに見ていた。二人共、ものすごく強い神であると思われているのである。ただ、神通力を得るための理的に、二人は夫婦喧嘩している間は弱いのである。天御中主あめのみなかぬしが作った理は、とても理にかなっているのだ。


 そんなところに二人のそばを痣だらけ傷だらけのクー子と渡芽わため、そしてみゃーこが通りかかった。なんということはない、ただ通っただけだった。

 ただ、その姿が伊邪那岐いざなぎにとって心から衝撃的だったのだ。


「ほたるんとも速く合流したいなぁ……」


 と、つぶやいているクー子。蛍丸はクー子の元を、幾度か見舞いに訪れており、その際一級事変後もクー子の神器で有れるように掛け合うと言っていた。


「でございますね! 四人居りませんと、寂しく感じますからね!」


 みゃーこは、クー子の社を離れるその時まで、四人であることを望んでいた。


「ん! でも……子の剣……居る。五人……」


 と渡芽わためが訂正を入れる。クー子の社の幽世かくりよは、神の幽世かくりよの中でトップクラスに大所帯。賑やかな事に、すっかり全員なれていたのだ。


 その三人組の姿は、とても和やかだったのである。端的に言えば、親子的な雰囲気のイチャイチャをしながら歩いていたのだ。傷だらけ、痣だらけの、醜い姿を気にした様子の欠片もなく。

 そう、外見はこの三人……否、クー子の幽世かくりよメンバーにとって大した意味を持たない。お互いがお互いに、心同士で繋がってるのだ。


「ねぇちょっと聞いてるの!? キー君!!」


 伊邪那岐いざなぎは、そんな伊邪那美いざなみの大声で衝撃から目覚めた。


「ごめん、ミィちゃん……。今更なんだけど、俺、もしかしてすごく間違ってたのかもしれない……」


 ただ、その衝撃は高天ヶ原たかまがはらに革命を起こしたのだ。クー子たちの、ただの当たり前の光景がである。


「そりゃ大間違いだよ! カー君なんも悪くないんだからね!」


 と、勘違いのまま口にする伊邪那美いざなみだが、すぐに伊邪那岐いざなぎは訂正をした。


「いや。それ以前に……いや、迦具土も悪くなかった。心から申し訳ない」


 伊邪那岐いざなぎに自らの赤心あかごころ※素直な心を思い出させるきっかけを与えてしまったのだ。以後伊邪那いざなぎ岐は、伊邪那美いざなみの説教を姿勢を正して聴くようになる。すぐに内面まで全て変えられないから、まずは形から。そんな、和魂にぎたまのよくやる反省法を実践し始めたのだ。

 そして、ほどなく夫婦喧嘩は終わるだろう。数百万年も続いた、最古の夫婦喧嘩が……。

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