第172話・処方

 稲荷の神々が去ったあとは天御中主あめのみなかぬしと、薬師如来やくしにょらいが訪れた。今度はクー子と渡芽わための今後の復活のために尽力する二人組である。


「クー子、加減はどうだ?」


 そんな言葉をかけながら入ってくる、天御中主あめのみなかぬしの表情はとても申し訳なさそうなものであった。


「えっと……ぬらりひょん?」


 その姿は妖怪絵巻のぬらりひょんによく似ていて、クー子はそんな風に思った。


「あぁ、ぬらりひょんは私の分身なのだ」


 その姿は、平らな額に発達した後頭部。即ち、ネアンデルタール人の骨格である。だがその体は、ネアンデルタール人というには貧弱で、どちらかというとホモ・フローレンシエスのようであった。

 そう、天御中主あめのみなかぬしは消えてしまった人類を地球での自らの姿として選んだのである。記録のため、そしてそれらの優れた特徴を現人類に継承させるために。


「クー子さん、この方は天御中主あめのみなかぬし様ですよ。あ、平伏したりなさらぬよう。彼もれっきとした和魂にぎたまです。病人びょうにんに平伏させては、心が痛むのは我々と一緒です」


 見舞う相手に平伏されるのは、全和魂にぎたま共通で心苦しい。だから、先んじて薬師如来やくしにょらいは注意をしていた。

 ぬらりひょんが天御中主あめのみなかぬしの分身であるというのは、高天ヶ原たかまがはらでも認知され始めた。なにせ、本体が帰ってきたのだ。


「えっと……あの……かしこまりました……」


 クー子は恐れ多いやら、体が痛いやらで心の内は多忙を極めていた。


「そんなに畏れずいてくれたまえ。私はさして偉大でもない。君たちを愛しているくせに、苦難のある道しか選べなかった」


 なまじ、全知にほど近いだけに動くことが難しくなっているのが、この天御中主あめのみなかぬしの問題点である。

 苦難の総量を減らせるのは、全知全能だけだろう。神はそうではない。例えば神がヴィーガニズムを掲げたとする。そうなれば、人間は割を食う事になる。逆もしかりで、人間を贔屓すれば人間以外が割を食う。個人を助けたところで、これは同じような事が起こるのだ。

 だから神は容易く人に救いの手を差し伸べられない。神同士ですら、差し伸べきれていない状況だ。そんなことは、無理に決まっている。


「いえ、そのような……」


 クー子はその理をわかっている。なにせ、クー子自身もそのことで苦心しているのだ。もちろんクー子の庇護欲は人間以外への方が強い。ただ、同じ非人間の間でも、食物連鎖というものがある。だからどうしようもないのだ。


「それよりも、瑠璃。あまり話し込んでは、彼女が起きてしまう。だから、治療の話を進めて欲しい」


 一度天御中主あめのみなかぬしは、クー子にほほ笑みかけてから話を進める。その微笑みは感謝だったのだ。


「クー子さん、あなたは今びっくり神様です。あなたは、赤化ルベドの力で、荒御魂あらみたまの神通力を和魂のものに変換する力を持ちます。ただ、体が痛むと思われますし、荒御魂あらみたまの神通力はそのものが呪いです。なので、あなたには痛み止めの薬湯をお出ししますね。それと、渡芽わためさんはこれからもずっと荒御魂あらみたまとしての側面を持つでしょう。それは、全なる道の踏破まできっと続きます。そこで、追加で速玉はやたま清水しみずを処方させていただきます」


 速玉の清水は特に貴重なものである。速玉神族が、神通力を貯めに貯めてやっと物質化したものを指すのだ。


「そんな! 大祓おおはらえはどうするんですか!?」


 そして、それに術式を付与して解放するのが大祓おおはらえ大祓おおはらえの瓶に貯めるそれがなくなってしまうとクー子は思った。


「私が出す。二人分程度、わけもないのだ。それに、私の非だ。最後まで責任を取らせておくれ」


 天御中主あめのみなかぬしは神通力とはステージの違う力を持っている。それを神通力に変換することも可能だ。

 有無を言わせぬ態度に、クー子は頷くよりほかなかった。


「それでも、完全に抑えられるわけではないのです。力及ばず申し訳ありません」


 と、薬師如来やくしにょらいが言うもので、クー子は考えた。


赤化ルベドなら、それを解決できませんか?」


 それを渡芽わためが完全に使いこなせれば、和魂にぎたま荒御魂あらみたま、その狭間で揺れる性質は、ただただ有利に働くはずだ。でも、だからといってすぐには無理だろう。その間は、クー子自身が代わりになろうと考えた。

 渡芽わためには、心から幸せと思えるように生きて欲しい。そんなありきたりな母親のような心である。


「そうですね。できるでしょう」


 と、薬師如来やくしにょらいは言う。ただ、少し勘違いを孕んでいたのだ。


痛痒つうようがあれば、私にいうことを約束しないと、それは許可できない。同時に、私も、君の幽世でそれを見守ろう」


 だが、今は天御中主あめのみなかぬしがいて、その勘違いは正された。

 クー子は渡芽わための中に生まれる荒御魂あらみたまの神通力を吸い出すつもりでいたのだ。そうすることによって、神通力による傷が無いまま踏破まで……と考えていたのだ。

 我が痛みをこらえてでも、子の幸せを。そこまで考えられる母親は少ないかも知れない。


「分かりました」


 でも、そう考えるクー子は本当に心から母であると認めざるを得ない天御中主あめのみなかぬしだった。

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