第171話・日常の手土産

 ほんの少し時間を置いて、稲荷の神々とみゃーこがクー子の元を訪れる。


宇迦うか様……」


 自らの神族の主神を前に起き上がろうとするが、それをその主神である宇迦之御魂うかのみたまは制した。


「寝ておいておくれ。あんたは荒御魂あらみたまになりかけたんだ」


 宇迦之御魂うかのみたまには負い目があった。クー子をろくに助けてやれなかったこと。自死することで高天ヶ原に帰還する方法を勧めたとき、寄り代が戦場にあったこと。そして、なによりコマたちに不安をかけてしまったこと。

 完璧ではない神々だから、失敗はいつでもそばにあった。


「クー子様……満野狐みやこは失敗いたしました……。立派に振舞ったつもりで、大切な人を蔑ろにしてしまいました」


 クー子にはもう、言うことなどその時点でなかったのだ。クー子はみゃーこに対しても、渡芽わために対しても怒鳴りつけたことはない。それはそもそも、宇迦之御魂うかのみたまに怒鳴りつけられたことがないからだ。

 反省し、安心して育ったクー子。宇迦之御魂うかのみたまに与えられた育児の良い部分は、そのまま二人に倍返しだ。和魂にぎたまだから、それは当然のことである。


「みゃーこはいつだって立派だよ。本当は私とか、神々がやらなきゃいけないこと。それをみゃーこはやろうとした。それだけで立派。ほら、コマたちを任されたのは従一位の神様だったでしょ? みゃーこは自分にそれを求めちゃったんだね? できちゃったらもう、私びっくりしちゃうよ!」


 みゃーこの言う立派、それをクー子は紐解いて考えた。その心の動きには、あまりに尊いものが多すぎた。そもそも、怒るような事はどこにもないのだ。


 なぜそうしようと思ったのか。どうして、そのように動いたのか。考えれば、幼い心は理解ができる。子供は善くあろうと生まれる。それは、愛されるためだ。愛なくして子もコマも生きられない。だからこそ、親に神に愛される善い行動を選択する。


 その善悪の基準は、全て親から継承したものである。だから、親の顔が見てみたいとはよく言ったものなのだ。


「クーちゃんはもう、コマ育て免許皆伝だね! みゃーこは立派だったようだよ。神々のコマたちの中で話題になってる。不安な自分達を奮い立たせた、立派な神のコマだってね。それで、クーちゃんも話題になってる。ぜひお会いしてみたいって、そんなことを言うコマが後をたたないね」


 それはもう、みゃーこの立派な行いは本当にコマたちの尊敬を集めたのだ。誰もが立てなかった状況で、一人立ち上がった。それを讃えなければ、和魂にぎたまの名が廃る。それは、育てている神々も心から同意するような出来事だったのである。

 そんな話を、葛の葉くずのははクー子に伝えた。


「ふふっ、私の初めてのコマですから!」


 クー子はそう言って、朗らかに笑った。彼女にとって、みゃーこも誇りだ。がコマを誇れるとは、神にとってとても幸せなことだった。


「まぁ、それはそれとして、私も含め皆伝は早いさ。神ごときでいる間はね……。クー子、あんたは体罰をわかっちゃいない」


 宇迦之御魂うかのみたまは言う、それはクー子の受け継ぐことができなかったことである。

 なぜなら……。


「可愛くって、叩けないです……」


 それが理由である。そんなの、やらなくて済むならそれに越したことはない。

 だが、全否定も良くないのだ。体罰はわかりやすい罰を与えて、終わりにするきっかけにできる。それができなかったから、渡芽わためは今、険しい表情で眠っている。

 大事なのはわかりやすさであって、痛みではない。罰は手段だ。罰のための体罰などただの暴力。だが、お仕置きをしたのだから終わり。それが目的の体罰は、悪くはないのだ。過ぎた反省を止めることができるのである。


「まぁ、あたしが言えた義理でもないけどね。あんたを守りきれなかった、不甲斐ない神さ……」


 宇迦之御魂うかのみたまだって未熟だ。別天ことあまつの神々に比べれば……。

 だが、別天ことあまつの神々も未熟だ。多元宇宙の中で最も成熟してはいるが、ただそれだけの存在である。


「私もそろそろ一人前です! この痣は、私の責任で、私の勲章です!」


 世界を守るために戦ったその名残を、クー子は宇迦之御魂うかのみたまに受け入れて欲しかったのである。例えそれが、致命を招いたものだったとしても。


「わかった。じゃあ遠慮なく! あんた! 自分のコマに泣き寝入りさせるってのはどんな了見だい!? 体罰でもなんでも、その子が次に進めるようにするきっかけを作るのも、神の仕事だ! ちゃんとやらないと、あたしがあんたを教育することになるからね!」


 ただ、今主張することはヤブヘビだったのだ。ゆえに宇迦之御魂うかのみたまは、責任をしっかりとクー子に返上した上で、別件をしっかり咎めることができる立場になった。


「ごめんなさーい!」


 だが、それでよかったのである。咎められるべきことは、しっかりとそうされるべきだ。


「日常が戻ってきた気がするね」


 と、玉藻前は美野里狐みのりこに。


「そうですね!」


 と、美野里狐みのりこ玉藻前たまものまえに。

 これにて一級事変は片付いた。さらに言えば、別天ことあまつ高天ヶ原たかまがはらも一つに戻った。伊邪那岐いざなぎ伊邪那美いざなみは夫婦喧嘩を始めた。

 日常は、手土産をもって戻ってきたのである。神々の恥部をまるっと解決してしまう、大団円に向けての動力源が手土産である。

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