第165話・虚構の致命

 渡芽わための目から見ても、みゃーこはとても立派だった。それこそ、手が届かなくなってしまうほどに。


 無力感に苛まれ、そして劣等感に貫かれた。思惑通りだったのである。そのために、このシナリオは描かれた。


 誰も目を向けない、この部屋の隅でそれは静かに立ったのだ。

 渡芽わためは走った。涙を噛み殺し、ケテルのさらに奥へ。


 困ったのだ。もう、すがるしかなかったのだ。比類なき力、天沼矛あめのぬぼこに。

 天沼矛あめのぬぼこは銀河創造すら成し遂げる、巨大な力の塊だ。呪われ、本来誰も近づくことができないはずの。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 触れば無事では済まないだろう。それは、渡芽わためにもわかっていた。渦巻く黒い影は圧倒的な神通力の塊だ。それも、荒御魂あらみたまのものである。


 巨大で荒々しく、熱すら帯びている。

 それでも、この瞬間だけ渡芽わためは強く居ることができたのだ。


 渡芽わためにとってクー子は全てなのだ。子にとって親とは得てしてそういうものである。井の中の蛙にとっては、その井戸こそが世界の全てであるように。経験と記憶は、その人物の世界の全てである。


「行くかね?」


 その渡芽わための元に、ぬらりひょんは現れた。

 ぬらりひょんは、渡芽わためをみてまるで安心したような、それでいて苦々しいような表情をした。


 渡芽わためは持っていたのだ。クー子の寄り代の仮面を。それが割れる様を見たことのあるコマは少ない。だから、話をするコマも、明確に想像が及ぶコマもいない。まして、渡芽わためはまだ幼い少女である。今の傷ついた心で、それを持って行ってしまう意味など考える余地すらない。


 あるいは、聞かせていれば違ったかもしれない。だが、それは渡芽わために辛いだろうと、口をつぐんでいたのはみゃーこだ。


 なにせ、クー子の死を連想させるのだ。苦しみを、痛みすらも、想像させかねない。だから、わからなかった。わからないから、崇徳すとくに利用される。そしてそれを、ぬらりひょんはさらに利用するつもりでいるのだ。


「ん!」


 渡芽わためは言った。呪いの創世器すら、恐ろしくはなかった。

 何者にもなれないままの自分の方が怖かった。

 そう、幼いと、心は逸るのだ。


「痛むぞ……」


 ぬらりひょんは言う。今度はただ、苦々しい表情で。

 悟られるわけには行かない。ほんの少し、ただ一回のその術のために残されたギリギリの神通力。そのために、ぬらりひょんは他のすべての術を諦めた。


「わかってる……」


 渡芽わためは言い返す。見れば分かるのだ。それほどまでに禍々しい呪いが渦巻いているのだ。


「最後にもう一度。私を、天御中主あめのみなかぬしを恨みなさい」


 その痛みは、そしてこれから渡芽わために降りかかる苦難は全てぬらりひょんの力不足である。


「恨まない……」


 ただ、その痛みに関しては、渡芽わためは自分が決めたことだと言い聞かせた。

 ぬらりひょんは気づけば消えていた。

 渡芽わためは一人、それに手を伸ばす。

 瞬間、激痛が走った。呪いに触れる半身がが焼かれ、赤黒くひび割れて泡立った。それはまるで、クー子の身に走る黒いひびに似ていた。


「うぐううううううう!」


 痛みに声を抑えきれない。だがそれ以上に何かを感じた。

 強い憎しみの中にひとしずく分の、悲しみと警告が込められている。それは、複雑な呪いだった。


 誰も解いたことのない、創世の神の呪い。それに苛まれる痛みを、渡芽わためは意思で乗り越えた。


 ここで何かをしなくては自分は何者にもなれぬのだと言い聞かせた。

 黒く焼け焦げた肌が、神通力の熱に沸騰する血が。それらが与える苦痛は、焼印などと比較にならない。だが、それでもその奥からはとてつもない力が渡芽わために流れ込んだ。


 世界を作った力。物理法則、空間法則、神通力や妖力の法則、物質の存在すらも統べる力だった。

 故に簡単である。成したいと願えばそれでいい。焼け尽きても構わないから、ただ思えばいい。


 まずは飛べ。クー子のいる戦場へ。

 そして見つければいい。彼女の敵を全て。

 そして思い描けばいい。ただ、それらが地の底へと帰る姿を。それだけで、その矛は、それを叶えるだけの力が有る。


「今……行く……」


 渡芽わためは描いた、クー子横で戦う自分を。この矛を振り回す、無双の武神を。

 天沼矛あめのぬぼこは、それを叶えた。


 呪われていなければこうはならなかったのだ。圧倒的すぎる力を警戒し、誰かが常に見張っただろう。

 アレイスターが、女神を呼び寄せなければこうはならなかっただろう。必ず、止められたはずだ。


 渡芽わためが幼くなければこうはならなかっただろう。寄り代を持って行ってしまう意味が理解できたはずだ。

 その全ては、崇徳すとくによって仕組まれた流れの中にあった。

 ぬらりひょんはそれに逆らうわけには行かない。逆らってしまえば、その存在に気づかれるかもしれない。

 ぬらりひょん存在中に、別天ことあまつ高天ヶ原たかまがはらが再び繋がる、唯一の筋書きなのだ。

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