第162話・無貌の英知

 戦場の中心には、真っ黒な影が渦巻いていた。

 何故だかこの日は、誰も彼もがここに近づけなかった。天岩戸神社、ここには根の国と中津国を隔てる岩の扉があったのだ。

 憎悪だ。そうであるとしか思えない、冷風があたりに吹き荒れていた。


「あれが……崇徳すとく……」


 もはや、人の形をしていない。だが、よく見れば無数の顔が浮かんでいた。そしてそれらは全て、怒りの形相を浮かべている。

 クー子は思わず息を飲んだ。言葉などなくともわかる。アレはいくつもの人間の心から、マイナスの感情だけを集積したものだ。もはや原型はない。だが、皮肉にも最も全知全能に近い存在である。


「あぁ、そうだ。怖いか? あたしもだ」


 と、宇迦之御魂うかのみたまはクー子の横でニッと笑ってみせる。それでも、戦って帰ってきたのだ。だから、大丈夫なのだ。そんな風に、励ましていたのだ。

 その場に、扉の奥から一人の男がぬっと現れた。


「ようこそ! さぁはじめようじゃないか! ラグナロク! さぁ、世界をベットしたまえ! まずは手始めに……」


 男が言い終わる前に幾柱かの神が殺到し、男を四方八方から神器で串刺しにした。

 男は、血をぶちまけて、死んだように思えた。だが、その男の手は掲げられたままだだったのである。


「来たれ、地より這い出る者よ。十字路の支配者よ。汝、夜の旅禍りょか。光憎む者にして、我が暗き魂の盟友よ。盟約をここに、汝の名を常世にて呼び奉ろう。其は、テスポトリポカ!」


 その声がどこから聞こえたのかわからない。その突き刺された男から聞こえたのか、それとも天空から聞こえたのか、あるいは地の底か。

 ただ、突き刺された男が指を鳴らすと、鏡の欠片が降り注いだ。


「やってくれる! 主神級だ! クー子、行くよ!」


 宇迦之御魂うかのみたまはすぐに動いた。

 クー子もその光景をみて、動かなければならないのだと理解した。アステカの旧主神、かつて朱が打倒した生贄を欲する邪神。そして今は、アメリカ先住民族の憎悪が宿った主神だ。


「はい!」


 万の神の中を、主神たちは疾く駆ける。総力をかなり割かなければいけない相手だった。


「あれぇ? せっかく、君たちの言葉で詠唱したのに、どうして止めないのかなぁ? あ、止められなかったんだ? しっつれーい!」


 それを、先ほどの男がケタケタと笑った。


「耳貸すな! そいつが、アレイスターだ!」


 素戔嗚すさのおは単騎、崇徳すとくへと飛び込んでいった。

 そうしている間にも、鏡の欠片は煙を上げ巨大な四足獣へと変わっていく。


「クー子、四神邪滅陣だ!」


 初陣で、まだどうしていいかわからないクー子に宇迦之御魂うかのみたまから指示が飛ぶ。


「はい! 駆けろ、狐火!」


 それぞれの四神を象る狐火が駆け、そして黄金の雷をクー子は纏った。

 雷鳴が轟き、白刃が走る。


『硬いッ!』


 蛍丸は自身を限界まで研ぎ澄ませていた。だというのに、鏡には僅かに傷が走っただけ。ただ、雷撃がいくつかの鏡を煙の体から弾き飛ばした。


「ほらほら、がんばれー! 次を呼んでしまうよー!」


 男……アレイスターはおちょくるように、あざわらった。だが、直後男はもう一人現れたのである。


「攪乱は任せよう、アレイスター」

「んじゃ、召喚は任せるよ! ソロモン」


 その男こそ、この世界最初の魔術師。悪魔の支配者、ソロモンだったのである。


「変わり種をくれてやろうか……。伝承追憶……ナーガ!」


 悪魔を召喚させて、右に出るものはいなかった。その名が指し示すのは、素戔嗚すさのおである。


「ぐっ! てめぇ!」


 ふっと、自らの中に荒御魂あらみたまとしての神通力が湧き出て、素戔嗚すさのおを苦しめた。


「堕ちぬか……。ならば……ッ!」


 次を呼ぼうとしたが、それを轟雷をまとった剣が遮った。


和魂にぎたまの誇り、汚すでない!」


 激雷伴って現れたのは、建御雷たけみかづちだった。

 彼が止めたことによって、召喚は遮られると思われた時である。

 またしても、アレイスターの声がこだましたのだ。


「其は、最果ての海、オケアノス!」


 今でも紛れもなく和魂にぎたまの伝承である。ただ、呼び出された相手は非常に良くなかった。


「あ、あれ?」


 そう、玉依毘売たまよりひめである。ギリシャ伝承における玉依毘売たまよりひめは、オケアノスと呼ばれるのだ。


「忘れてたよねー? 次、呼んじゃおうかなぁ……。来たれ、地より這い出る者よ……」


 非常に問題だらけだった。今ほとんどの神はここにいる。コマ達を統率し、戦場にいる神への心配から目を逸らさせるための神。それが、召喚されてしまったのだ。


「誰か見つけてくれ!」


 素戔嗚すさのおは、悲鳴のように声を上げる。


イヤ贄遣喇徒火照冨ニャルラトホテプ


 突如、思兼おもいかねの声が響いた。

 思兼おもいかねの体は膨れ上がり、無数の繊毛のような細い触手が無差別にあちらにもこちらにも伸びる。瞳は閉ざされ、不気味な巨人がそこに居た。

 これこそが、思兼おもいかねの本当の世喰外巣之天津神よぐそとすのあまつかみ。彼だけは、下級神の前でこの身体を使えるのである。

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