厳冬

第161話・決戦前

 放送などもってのほか、幽世かくりよに帰れたと思えば仕事が舞い込む。そんな闘いの日々は、それぞれの心を確実に蝕んでいた。

 渡芽わためは、困り果て、何度天沼矛あめのぬぼこを取りに行こうと考えたかわからない。それでも、信じて待ち続けた。

 そんなある日のことである。すべての神と、そのコマたちは高天ヶ原たかまがはらに集められた。


「全神族に告ぎます。永和崇徳すとく事変は最終段階へと進みました。皆様、お疲れなのはわかります。ですが、最後に力をお貸し下さい。道返しが、退いたのです!」


 思兼おもいかねは、言う。どこか薄っぺらい悲痛さを浮かべて。

 それは、根の国と中津国がつながってしまったことを意味する。死者が、過去の怨霊が地上に溢れかえる前兆だ。全て神は後手に回った。夢に向かえども、それでも攻撃側ではなく守備側。戦争における不利は必ずいつもそちらにある。神は、守るものが多すぎるのだ。


「コマの皆さんは私と姉がお預かりします!」


 コマたちは、幼い者から成熟した成りコマまでいろいろいる。ただ、中には壮絶な過去を送った者もいて、渡芽わためは当然その中の一人だ。だからこそ、彼女、玉依毘売たまよりひめが守る必要があった。あともう一人、豊玉毘売とよたまひめだ。基本的にはひきこもりであるが、なんだかんだと子供を預けられてはつい面倒を見てしまう。そんな神である。


「少しだけ、時間を設けます。あなた方の神は我々が必ず守りますので、しばしの別れの前に言葉を交わしてください」


 神には一度だけ死を無効化する寄り代がある。だから、二回目を出撃させなければ死なせることはない。思兼おもいかねは、二回目の出撃などさせる気は無かった。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


満野狐みやこも参れないのでしょうか?」


 みゃーこは訊ねる。ダメであろうと、わかりきった顔で。


「ごめんね、みゃーこの寄り代は、まだできてないから」


 それに、みゃーこでは力にならない。相手は荒御魂あらみたまばかりなのだ。

 それは、根の国を地獄にしている所以ゆえん達との戦いである。その怨念は様々であるし、全ては歴史の暗黒面を凝縮したような存在だ。クー子はこれからそれと戦うのだ。


「分かっておりました。ですが、二度は行かせませんぞ! 決して、何があっても!」


 みゃーこは捕縛係である。寄り代である狐面は、渡芽わためが持っている。その寄り代に転生したなら、引き止めるのがみゃーこの役割だ。


「行かせない……」


 渡芽わためはクー子の寄り代を被っている。不安を、涙を、隠すために。


「うん! 大丈夫。それにね、私が死ぬのは大分終盤かなぁ……」


 力の弱い神の寄り代は、一級事変では使い捨てだ。尖兵同士の競り合いで、大半が消費される。

 クー子が死ぬ頃には、ほとんどの神が戦線を離脱しているだろう。


「よ!」


 そんな話をしているところに、宇迦之御魂うかのみたま達、稲荷の神が混ざってきた。


「クーちゃんは初めてだから、ちょっと話さなきゃならなくてね。邪魔してごめんよ」


 と、葛の葉くずのはは少し申し訳なさそうな顔で言う。だが、稲荷の世喰外巣之天津神よぐそとすのあまつかみである屍徃吹荷蔵巣シュブニグラスは大切な役割を持っているのだ。


「いえ、どうかクー子様を……」


 みゃーこは理解した。きっと、戦術の話なのだと。ならば、理解せずに戦うほうが危険だ。


「ん!」


 渡芽わためもであった。


「正直ね、和魂にぎたま相手の屍徃吹荷蔵巣シュブニグラス荒御魂あらみたま相手のそれじゃ全く違う。発動していると、荒御魂あらみたまの神通力を取り込んじまうからね。痛いし、辛い。だから、耐えられるうちに辞めるんだよ。これは命令だ」


 それでも、宇迦之御魂うかのみたまはいつも闘いの最後までその姿でいた。神通力に身を焼かれ、全身が爛れても彼女だけはやめられない。


「本当に無理したらダメだ! いいね!」


 葛の葉くずのはも、睨みつけるかのように言った。この二人の戦歴は長い。その痛みをよく知っている。


「わ、分かりました……」


 クー子は二柱についつい気圧された。

 クー子は屍徃吹荷蔵巣シュブニグラスのいくつかの発展系が使える。とはいえ、それらは実用性がまだまだ低い。


「じゃ、発動するのは、下級の神が戦線を離れたあとだ。じゃないと、撃墜王になっちまうから気をつけるんだよ」


 戦略はただそれだけ。陣頭指揮は思兼に任せればよい。そして、大詰めとしてどこかにぬらりひょんがいるはずなのである。宇迦之御魂うかのみたまから伝えることはそれだけだった。

 本当は誰も彼も、くじける寸前まで疲れている。だからこそ、笑顔で互を鼓舞しあうのだ。


「はい!」


 戦いの前に聞けて良かったと、クー子は思った。考えればそれは当然だが、いざという時に忘れてしまわないように何度も心で繰り返した。


「よし、じゃあアタシは、あっちでベテラン気取りのタマに同じこと言ってくるから。ちゃんと、話すんだよ。下手したら、寝込むんだから」


 屍徃吹荷蔵巣シュブニグラスの後遺症で寝込むなんてことは、よくあることだ。だから、先にたっぷりと話をしておく。稲荷には、この時間が大切だった。


「それじゃあ、また後で!」


 と、二柱は言うだけ言って去っていった。


『不安ですか?』


 蛍丸が思念で問いかける。


「まぁ、ね。いつも結局戻ってきちゃうような相手だから……」


 崇徳すとくはどうしてか、何度も舞い戻ってくる。弱体化させて根の国に追い返しているはずなのに。そして、崇徳すとく素戔嗚すさのおたちが抑えているはずなのに。


『初陣はそんなものです。ですが、案外帰ってくるのですよ』


 蛍丸は刀だ。幾多の初陣を見てきた。だから、その言葉には説得力があった。


「そっか! じゃあ、気合入れよう!」


 クー子は虚勢をはる。決して負けないように。

 それからクー子は渡芽わためとみゃーこに寝込むかもしれないという話をした。そうしたら、事変後一切の仕事を禁じられてしまったのである。

 みゃーこも食事が一応作れる。コマ組みは、看病する気満々になった。

 二度目は出撃させない。仕事もさせない。それが二人の合言葉だった。

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