第159話・忙殺

 夜が明けたのに曇り空。まるで神を忙殺するかのように、あっちからもこっちからも妖怪の報告が上がった。


 もはやクロすらも呼べない。それはまるで、渡芽わためという少女の心を殺しに来ているかのようだった。


 革命とは呪いそのものである。過去の大政を否定して団結し打倒する。正義の名のもとに、過去を悪として断罪する。

 それは、大きな間違い。正の反対はいつだって誤だ。善悪と正誤には一切の関係がないのである。義理に反していようと、善い行いであるなんてことは無数にあるのだ。


 この世界において、最も人を殺めた感情は、正義感である。

 そんな、正義感に任せた革命が現代に起こっていた。その煽りを受けて、この時代に妖怪が溢れたのである。


ジャハ鉤召フーン索引ヴァン鎖縛ホーホ遍入!」


 その日、最初にクー子が向かった現場では、人間の霊能者が対応していた。

 彼らは二人ひと組になって、一体の妖怪にあたっている。


アモーガ不空なるヴァイローチャナヴァイローチャナよ マハームドラー大印を有する者よマニパドマジュヴァーラ宝珠よ、蓮華よプラヴァルタヤ光明を放ち給え!」


 それは力が弱い者たちに必要な、時間を稼ぐために有効な戦略だった。一人が捕縛し、そして一人が大掛かりな術を発動する。

 印を結び、真言を唱え、どうにかこうにか時間を稼いでいた。

 相手は、天狗だった。傲慢とそれによって引き起こされる、心の荒みが集まったものである。


「クー子様!」

「うん!」


 クー子は彼らの危険を感じ、即座に蛍丸を抜き放つ。

 蛍丸は間違っても人を切らぬよう、細心の注意を払った。


「下がって!」


 クー子が叫ぶ。


「殘穢の焔!」


 瞬間みゃーこが一瞬の隙を作った。


「退き給え、道返し。誘い給え、光なる君!」


 即座にクー子はその妖怪を切り祓う。

 黄泉の大扉に飲み込まれていく妖怪を、人間の霊能者たちはただ見ていた。

 すぐに、クー子は次の妖怪へ。既に、クー子は20件を超える退治の仕事を抱えている。


 昨日は小手試しですらなかった。ただの暴発。妖怪を産む臨界点で、穢れを維持するはずが、失敗して生まれてしまったに過ぎなかったのだ。

 大祓はそれを察したぬらりひょんによる提案。そして、思兼が可決し行った。

 だが、そんなものは大昔から生きる荒御魂とっては当たり前のこと。むしろ、そうするしかない状況を作って、大祓を釣ったのだ。


「なんだったんですかね? 今のあの方……。高僧ですか?」


 妖怪の足止めは若手の役割である。彼らは、世にも珍しい力を持つお坊さんである。


「あるいは仏その人かもしれません」


 ふたりのうち、位の高い僧が言う。

 仏ではないが、それにほど近いものだ。


「しかし、不思議ですね。狐の耳と尾を持つ仏ですか……。いらっしゃいましたか?」


 僧は首をかしげた。それに、仏はその多くが螺髪である。


「尊き、仏の理です。我々人には、計り知れぬものなのやもしれませんね……」


 彼らはまだ知らない。すべての神話が一つであること。だが、あるいは知るにふさわしい人物たちである。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「一体何が起こってるの!? あっちもこっちも……」


 稲野だけではない。この日本全土が妖怪だらけである。


「わかりませぬ! 良くないということだけ」


 それは、誰でもわかるだろう。大祓を超えてのこれだ。

 二つの戦が同時に進行していた。

 荒御魂と賢者として語られる神々の頭脳戦。そして、その手足となって動く妖怪と、神々の戦い。数的有利は荒御魂側にあった。


『クー子様! 次、一里直進です!』

「もう! もう!」


 クー子は早く帰りたくて仕方がない。渡芽わためはこの間も寂しい思いをしているのだろうと思うと胸が痛んで仕方が無かった。

 あんなことがあったあとである。気が気でなくて当たり前だ。

 それもこれも、崇徳すとくという荒御魂あらみたまの策略である。崇徳すとくは、クー子が今回のことに参加するのを読んでいた。読んだ上で、先にその心を殺しに来ている。


 もはや本人の意識すらない、多数の意識の集合体であるからこそ、あまりに賢しいのである。

 やがて、クー子は妖怪と会敵する。神の足では一里は一瞬だ。


「退き給え、道返し。誘い給え、光なる君!」


 通りがかりに、見えた妖怪を斬り祓い、そして次へと駆ける。


『駆兎狐様! 蛇滝沢に妖怪出現です!』


 その間にも、次から次へと退治しなくてはいけない妖怪が現れる。これで、クー子は依頼を回す順位を最も落とされているのだ。


「あーもう!」


 荒御魂あらみたまは捨てていい手駒を無数に持つ侵略者。それが厄介でないわけもないのだ。

 崇徳すとくはほくそ笑んで、詰みへと駒を進めていく。ただ、ぬらりひょんの存在を知らないまま。

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