第157話・ヨハネに与える福音

 音の方をみると、一人の、見るからに彫りの深い男がいた。


「ファッキン・キュウウウウウウウウウウウト!」


 そして、叫んだのである。

 男は刹那、とてつもない勢いで駆けつけてきた。


「クー子ちゃん!? アナタ、クー子ちゃん! 違う!?」


 そう、視聴者である。彼はヨハネ。アメリカ籍のキリスト教徒であり、ついでに日本マニアである。昨今のアメリカにはもはやフリークと呼んでもいいほどの日本マニアが居る。もちろんその逆も。それに、これは特にアメリカに限った話でもない。


「チガウヨー! コスプレイヤダヨー!」


 クー子は初めて使った。カバーストーリー、コスプレイベント帰り。


「ファッキンジャパニーズ! クォリティがクレイジー過ぎるでショ!!!」


 ヨハネが目撃したのは、画面から出てきたかのようなでは済まない。幽世から出てきた本人である。そう、女神なのだ。水干を纏って、背に大太刀を帯びた稲荷駆兎狐毘売いなりかけうさのきつねひめである。


「あ、信じてくれた……」


 クー子はあからさまにホッとしたが、これが視聴者には良かったのである。


「THIS! IS! KAISYAKU=ITTI!!!!」


 日本神話寄りなVTuberを見ようというアメリカ人など、間違いなく重度の日本ヲタである。なんなら、夏と冬の逆大三角形の下の即売会に参加するほどの人物である。


「クー子様……」


 みゃーこは、そのヨハネの熱量が流石に怖くなった。


「ヤコちゃん……! ごめんなサイ、興奮しすぎて言葉汚くなりました……」


 アメリカ人はネコ科とイヌ科の特徴を兼ね備える。即ち、オーバーリアクションかつ、スキンシップが積極的だ。


「あ、あの……ヤコは大丈夫でございます!」


 水干を着た、超ミニマムロリ狐っ娘がいうのだ。ヨハネは耐えられるはずがなかった。


「ジーザス……」


 と、その時は本当にタイミングが奇跡だったのである。

 たまたま、日本の妖怪スポットである稲野にヨハネが観光に来ていた。


「呼びましたか?」


 そして、たまたま同じ稲野市にイエス・キリストが駆けつけていたのだ。だから、イエスを指す言葉であるジーザスは彼に聞こえたのである。


「わお!? MIX?」


 あまりに流暢な日本語に、ヨハネはイエスが日本生まれのハーフなのだと思った。だが、純然たるイエス・キリストである。彼の信仰対象である。

 ハーフという言葉は今や差別用語となりつつある。よって彼はミックスでそれを表現した。


「いえ、イエス・キリストその人です! アラム語でお話しましょうか?」


 当然、最も得意なのはアラム語だ。当時、イスラエルで話されていた公用語である。もちろん、その地域に存在した三つの言語全てをイエスは使える。あと二つは、ヘブル語とギリシア語である。


「わお! クー子ちゃんクォリティ!」


 と、ただただヨハネは喜んだ。


「ふむ、スマートフォンを出しなさい。私が、あなたたちを撮影してあげましょう」


 と、イエスが言うので、ヨハネはイエスにスマートフォンを渡した。


「よろしくお願いしまス!」


 まさか、自分の信仰対象が撮影を買って出たとは思わないだろう。ヨハネが本当に写すべきは、彼だったのだ。


「えっと、イエス様ノリ気?」


 と、クー子は訊ねるもそれは愚問だ。


「彼の心は求めた、ならば与えられん」


 彼はイエス・キリスト。お人好しの権化である。というより、人類の愛情の化身だ。


 撮影の時、ヨハネはスキップでクー子たちに近寄った。日本で、最高の思い出ができたのである。

 その撮影時、ああでもないこうでもないといろいろ考えた末、クー子がみゃーこを抱き上げそしてみゃーこが子の剣を抱き上げるというマトリョーシカのような光景になってしまった。


 ただ、それはそれで可愛らしく、ヨハネは大満足だったのである。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「ありがとう! まさに、ジーザス!」


 否、マジでジーザスだ。本人である。


「お待ちなさい。これを与えましょう」


 と、キリストはどこからともなく取り出したフランスパンをヨハネに差し出した。

 聖餐である。ローマ教皇などに目撃されてしまえば、金をうずたかく積まれただろう。だが……。


「This! is! KAISYAKU=ITTI!」


 そう、クー子ワールドヲタであるヨハネにとってはただそれだけのためのアイテムだったのだ。


「イエス様……」


 そんなものを渡して、神であることがバレないであろうかとオロオロするクー子を含めて。

 ヨハネはギリギリ、常識側である。彼はまだ、本当にこの世界に神がいることを知らない。

 ヨハネの信じる神はいないが救世主は今目の前だ。そう、これはイエスからかつての弟子の名を頂いた信徒へのちょっとしたファンサである。

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