第154話・大祓

 次の日のことである、全ての神に思兼おもいかねが通信の術を使った。


『中津国の神々よ! 今すぐ大祓を執り行ってください! 穢れが本日未明より、急に濃くなりました! このままでは、人の子が滅びます!』


 石火を使った、緊急連絡であった。

 惟神の道かんながらのみち※神道のことが穢れとするのは、即ち死にまつわるものである。戦や、病い、飢え。現代で、人の心に大飢饉が発生したのだ。


 人は良くも悪くも、賢くなった。人民をやめ、国民になり、国民をやめ市民になった。それまでを否定し、そして次に移る。それを、現代に行い初めてしまったのだ。次の民は、友愛の民なのに。


 これまでの全ては否定で良かったのだ。

 団結せず好き勝手に幸せを享受する人民を否定し、団結して命を賭す。それが国民である。

 団結を否定し、個性を伸ばし競争する。これが、市民である。


 だが、友愛は否定と最も縁遠いのだ。中間の人々には理解できなかった。この、和魂にぎたまに現段階で最も近い民のあり方を。

 そう、人類は民としての種別が変わるごとに、和魂にぎたまに近づいてきた。近づきすぎて、否定することが嫌になったのだ。


「みゃーこ! クルム! ほたるん! 大祓やるよ!」


 本来、年越しの大祓は12月31日である。現在はまだ12月中頃である。こんなことは84年前、昭和崇徳大事変しょうわすとくだいじへん以来である。あの時は、第二次世界大戦が起こったのだ。


「瓶を持ってまいります!」


 蛍丸は即座に走る。蛍丸も建速の神である。身体能力は低くない。よって、肉体労働を買って出た。


「では、満野狐は大幣おおぬさを! クルム! 榊をとって来てください!」


 みゃーこがコマ組の陣頭指揮を取り……。


「ん!」


 渡芽わためが従った。

 一年に一度といえど、みゃーこは長くクー子のコマであった。よって、もうなれている。やることは明確に分かった。


「よろしくね!」


 と、背中に声をかけて、クー子は中庭に陣を描く。円の中心付近に阿比留あひる文字、そして中間に教手をして文字、そして外側に出雲いずも文字で神文を書いた。

 阿比留あひる文字は天照の一族が考えたであり、教手おして文字は月夜見の一族が考えた文字、そして出雲いずも文字は素戔嗚の一族が考えた文字だ。この三柱は直接日本の礎に携わった神々である。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ほどなくして、蛍丸たちが戻り、道具が揃う。液化するほどの濃密な神通力がこもった瓶。クー子の大祓に千年寄り添った二代目の大幣おおぬさ。クー子と共に育まれた、姉妹の榊。

 ただ、揃うだけで空気を変えた。まるで高天ヶ原のような空気だった。


「自分の欲望と対峙することになるけど、驚かないでね。あと、しばらく妖力は消えちゃうかなぁ……」


 この大祓はあまりに強力だ。妖力は行き場をなくして消え失せる。妖怪も行き場をなくして、身を移す。

 それが、この世界全体で行われるのだ。荒御魂と、限られた妖怪だけが力を保持する聖域がこの世界を包む、神の秘術である。


「ん!」


 渡芽わためは返事する。他二人は返すまでもない。幾度と経験していることだ。


アガナアハ私の名前はカケウツァノキツネうさかけのきつねアマノ天のイネノカムロ育ての母なる神はウカうか! アガ私のノブコワヨ宣る声よムサキヲハラヘ穢れを祓いたまえ!」


 神の秘術、大祓の術が各地で次々と霊的な光を放った。

 照らされたものは、自らの欲望と対峙し、それを認められるか否かを迫られる。これが、初夢だ。

 クー子も対峙した。真っ白な空間でもう一人の自分と出会ったのだ。


「ふはあああああああああ! みゃーこかわいいいいいいいいいい! クルムかわいいいいいいいいいいいい! ほたるんも失礼だけどかわいいいいいいいい! ふはぁ! 辛抱たまらん!」


 そのもう一人のクー子は、悶絶していた。そう、これはクー子の欲望。いくら神秘の術を使おうと、所詮クー子はクー子なのだ。


「わかるぅ!」


 これを醜いなどとは思わなかった。この欲望は、これからも持ち続けていようと決意した。


「だよね!? 可愛すぎてたまらないよね! なんで、我慢できるの?」


 もう一人の自分から問われて、クー子は顔がチベスナになった。そりゃそうだと。


「いやぁ、ほら私は自制心が有るから……一応……」


 そう、対峙するのは単純に自制心を取り上げられた自分である。


「えー! みゃーこもクルムもずっと抱っこしてたくならない!?」


 クー子は正直に言えば、そう思っている。


「なる! でも、我慢する! ふたりのため!」


 それでは、二人が自由に伸び伸びと学ぶ時間を奪ってしまう。子煩悩ゆえにそうしたくて、だけど子煩悩ゆえに我慢できている。そんな、変な状況だ。


「そっかー!」


 クー子の欲望も、クー子を受け入れた。


「そういえば、もう人は殺したくないの?」


 恐怖の対象を抹殺せよ。去年の時は、少し残っていた欲望だった。


「んー。ヤダ怖い!」


 だが今年の欲望は、そう言った。もう、かけらも残っていなかったのだ。


「そっか! あ、時間!」


 やがて、その空間の色に黒が混じっていく。

 そして、クー子は現実に引き戻された。


「結婚!」


 渡芽わための第一声がそれだった。今の渡芽わための欲望の最も強いものは、クー子と結婚することにある。

 結婚が何を意味するか分かっていないのに……。


「うぐぐ……満野狐みやこは受け入れられません……」


 みゃーこがある意味一番、模範的な反応である。


「あの……なんかただ真っ白な……暇でした……」


 蛍丸は、付喪神。妖力を発生させるほどの欲望を、持っていなかったのである。

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