第153話・兆し

 ぬらりひょんは、創世の神、天御中主の分身である。彼の助言は兆の果てに一つだけ外れる。

 ただ、高天ヶ原たかまがはら別天ことあまつが隔たれてよりの助言は兆に満たない。故にぬらりひょんは助言を外したことはない。


「クー子、君の前に現れたのは、これから世界が戦乱の渦に包まれるからだ。この天地あめつちひらけてより、最大の戦となろう。鍵は、君だ」


 ぬらりひょんは、その解決に当たって劇薬を仕込んだ。その劇薬を、彼は口にしない。ただ、鍵とだけクー子を指差して言った。


「それは一体……?」


 クー子は息を飲んで訊く。


別天ことあまつ高天ヶ原たかまがはらが再び繋がる時が着たのだ。繋げるのは、君だ」


 次にぬらりひょんは、渡芽わためを指さした。

 飄々とした、ぬらりひょんの面影はない。ただその声は静まり、クー子たちにのしかかった。


「家守ごときできることもないのでしょう。私は……」


 その場にいる三柱は、ぬらりひょんという存在の特異性に気づいた。

 外れない助言、断言される別天ことあまつの理。それらが告げる、ぬらりひょんは別天ことあまつの存在であると。

 だから、クロは逃げようとした。大きすぎる話に、小さな神の居場所はないと思ったのだ。


「待ちなさい。答え如何によっては、君の力は必要だ。クロ稲野十二之多田之守神とうのじゅうにのただのもりかみ。いや、君だけではない。すべての神は、力を合わせる必要がある」


 ぬらりひょんは、またも断言した。

 一度息を吐き、その瞳でその場に居る者をなだめた。そしてもう一度口を開く。


「あやかしは、この地に溢れるだろう。傲慢、恐れ、病、飢餓。荒御魂たちが従えたそれらが溢れるだろう。クー子、人を守るか?」


 そうなるようにしたのだ。そうならねば、ぬらりひょんはただの無駄になった。


「守ります!」


 クー子は断言する。どんなに恐ろしいとしても、それはまだ未熟だからだだと学んだ。そしてそれは、神ごときが啓蒙するに能わない。神もまた、未熟である。


「良い返事だ! ならばクロ稲野十二之多田之守神とうのじゅうにのただのもりかみよ、彼女をどうか支えてくれ」


 ぬらりひょんは、家守であるその存在に頭を下げたのである。


「もちろんでございます! ときに、貴方様は別天ことあまつの神様でいらっしゃいますか?」


 この場の三柱の疑問を、代弁した。


天御中主あめのみなかぬし、無力なる創造の神よ……」


 と、ぬらりひょんは自嘲とともに、その正体を明かした。

 そして最後に、ぬらりひょんは渡芽わために対峙した。


「恨むなら、私を恨め。力及ばず、傲慢なこの神を」


 その声は、今までに……天御中主あめのみなかぬしを含めた彼の歴史で最も力のない声だった。


「助言?」


 渡芽わためは聞き返す。なぜか彼女には、この存在はどれほど甘えてもいいのだと感じた。


「そうだ。そうするといい。君の苦しみは、全て私の責任なのだ」


 天御中主あめのみなかぬしだなどと、言わなければ良かったのだ。そうすれば、ぬらりひょん自身が渡芽わための恨みを受けただろう。だが、天御中主あめのみなかぬし自身が恨まれることはなかっただろう。

 だが、それをよしとしなかった。必ず償おうと、心に決めていた。


「聞かない……」


 渡芽わためはそれを曲解した。これまでの苦しみは、ぬらりひょんのせいではないと思ったのだ。


「強いな、さすがは大孁おおひるめの人の稲荷の子だ。だが、その言葉はいつでも飲み込んでおくれ」


 微かに微笑んで、ぬらりひょんはそこで消えたのだ。

 いつもぬらりくらりと、突然現れては消える。ぬらりひょんとは、そんな存在である。

 消えたとき、ちょうどそこに蛍丸がやってきた。


「夕餉が……どうなさいました?」


 並んで正座しているもので、蛍丸はびっくりしてしまった。


「あのね、ほたるん。今、ぬらりひょんがいたの……。それで、その正体が天御中主あめのみなかぬし様だったんだよ! 和魂であってたの!」


 天御中主、すべての始まりの和魂である。むしろ、和魂だの荒御魂だの、そんなものはない時代の神である。


「は、はぁ……」


 興奮して言うクー子に、蛍丸は少し気圧された。


「クー子様、それよりも話さねばならぬことがあります!」


 クロはしっかりものだ。否、クー子がポンコツであるだけなのかもしれない。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「お話はわかりました。もちろん、妖怪退治には微力を尽くさせていただきます」


 食事の最中、クー子は蛍丸にぬらりひょんから聞いたことを話した。


満野狐みやこの出番はございますでしょうか?」


 聞く所によると、出てくるのは古い妖怪である。

 現代に比べて、生物……特に人類が恐怖に塗れていた時代の妖怪。それは総じて、力が強い。


「あると思うよ! 昔の妖怪って言ってもピンキリだもん! その頃だって、みゃーこみたいに修業中の子はいっぱいいたもん!」


 でなければ、神だって滅んでいる。だから、クー子は笑って答えた。


「私……も?」


 渡芽わためは自分もクー子を助けたかった。


「ごめんね、クルムはお留守番。あ! 私が退治に行く時、クロちゃんが来てくれない?」


 そうでないと、渡芽わためはこの広い社に一人になってしまう。それは余りにも可愛そうだと、クー子は思った。


「賜りました! お気に入りと過ごす時間が増えました!」


 渡芽わためは反省もしてくれたし、自分のことを学んでくれた。だから、二人きりになるのは嫌ではなかった。


「ん……」


 だが、それでも渡芽わためは無力感に苛まれるのであった。

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