第145話・ワンコマイシン

 ツッコミ不在の空間を脱し、クー子達は幽世かくりよの中へと入った。


毘売ひめおばちゃんだよー!」


 早速山眠毘売やまたべのひめは、クー子のコマたちに飛びついて親愛を表現する。そう、口周りを舐めるアレだ。


「はしたないです! 女神同士で……そんな! そんな!!」


 蛍丸にはあまりに刺激が強く、顔を真っ赤にして顔を覆っていた。

 それはもはや、蛍丸時代の人間であれば情熱的な恋愛の表現だ。男女の秘め事の先触れだ。刀が鞘に収まり、金打きんちょうを繰り返すような……。それはすなわち、R指定行為のことである。


「ヒト科神族は、他人行儀に過ぎる」


 親しくなったのに、なぜ舐めあうことをしないのかと疑問に思う霞比売かすみひめであった。

 そんな蛍丸と霞比売かすみひめの背景では、クー子のコマたちと山眠毘売やまたべのひめの触れ合いが続いている。

 右と左から、みゃーこと渡芽わため山眠毘売やまたべのひめの頬をペロリと舐めたのであった。みゃーこは割とガッツリ、そして渡芽わためは控えめに。


「あれ? もしかしてこの子……」


 その控えめさに、山眠毘売やまたべのひめは気づいた。


「そうなんですけど、あまり言葉にはしないでいただけると……」


 クー子は思っている。渡芽わためにはまだ人間であったということがコンプレックスとして残っているかもしれないと……。


「うん、わかった! でも、二人がクー子ちゃんのコマなんだよね!? おばちゃんだよー!」


 声があまあまな山眠毘売やまたべのひめだった。

 血縁こそないものの、狼の群れなど家族と似たようなものである。その概念を用いて、神々の関係を理解している山眠毘売やまたべのひめにとって二人は姪のようなものだ。


「どちらかというと、お姉さまでございますね! お初です! 満野狐みやこと申します!」


 みゃーこは山眠毘売やまたべのひめの話をクー子から聞いていた。とても面倒見がよく、親しみやすい神であると。

 寂しがり屋の年長者と言うのは、裏を返せば面倒見はとても良いのだ。ただ、子離れができないのが欠点である。


「ん! 美人!」


 と、渡芽わため山眠毘売やまたべのひめの容姿を褒めた。

 もちろん、醜女など居ようはずもない。神であるからして……。

 雰囲気は少しクー子と似ていた。ただそれよりももっと、可愛らしさが強い。少しだけ、頼りない感じがあるのだ。


「もう! 口が上手なんだから! じゃあ、お姉ちゃんだよ!」


 山眠毘売やまたべのひめはすっかり嬉しくなった。ここらへんは、人間の叔母とさして変わらない。


「えと……。人……に……なる……できます……か?」


 渡芽わためは、そういえばと思って霞比売かすみひめに聞いた。


「やはりヒト科は慎ましやかすぎる! 我らであれば、出会って礼節が通ればその時点で家族も同然だぞ!」


 その時、霞比売かすみひめは蛍丸にイヌ科神族の文化を説いていた。

 稲荷より、イヌ科としての文化を強く残す大口神族同士の交流の話を。これらは、月夜神族にも通用する。なにせ彼らもれっきとしたイヌ科親族だ。


「じょ……情熱的過ぎます!」


 蛍丸は、それに圧倒されていた。

 そんな、霞比売かすみひめ渡芽わために疑問を投げられていることに気がつかなかったのである。


「おーい! かすみん! 人化できるか聞きたいってさ!」


 山眠毘売やまたべのひめに名前を呼ばれれて、ようやく霞比売かすみひめは気づいたのである。


毘売ひめ様。申し訳ございません。蛍丸殿と話し込んでおりました。して、どなたが?」


 もちろん、その答えを山眠毘売やまたべのひめも持っている。だが、質問は仲良くなるための一歩になる。回答権を奪いたくなかったのである。


「この子!」


 と、差し出された渡芽わため

 山眠毘売やまたべのひめはパワータイプ。渡芽わための体重など、苦にはしない。両脇をもって、抱き上げていたのである。


「うむ、誰でも彼でも人化ができるのは稲荷のみである。さすがは狐族であるといえよう。我は、できぬのだ……」


 と、声だけは勇ましかった。

 ただ見てみれば、霞比売かすみひめの耳と尻尾は少し残念そうな雰囲気を醸し出している。大口神族の耳としっぽは正直すぎるのだ。


「クー子……すごい?」


 と、渡芽わためは誇ろうと思ったが……。


「全力のひめちゃん様には勝てないよ」


 と、クー子は困って笑ったのだ。

 一瞬落ち込む渡芽わため。中津国最強はクー子と思いたかったのである。


「だって、私は正一位だもん! 戦神だし……」


 だが、それは正しかったのだ。山眠毘売やまたべのひめはギリギリ高天ヶ原たかまがはらに居る時間の方が長い。所属も高天ヶ原たかまがはらである。

 さらに言えば、高天ヶ原たかまがはらでもかなり強い部類にある。

 クー子は自分を酷な相手と比べているのだ。


宇迦うか様……と……いっしょ?」


 渡芽わためは、山眠毘売やまたべのひめに訊ねた。


「うん! うー様とは仲良し!」


 宇迦之御魂うかのみたま山眠毘売やまたべのひめが挨拶を交わしたのは、もう四千万年も前の話だ。その頃からようやく、イヌ科神族は数を増やし始めた。

 イヌ科神族の三柱目にして宇迦之御魂うかのみたまの初めてのコマこそ、この大口山眠毘売真神おおくちやまたべのひめのまかみである。

 だが、宇迦之御魂うかのみたまとは道が少し違ったため、結局踏破前に自分の神族を立ち上げることとなったのだ。太古の話である。


「昔からのよしみなんだよ! 大口神族と稲荷!」


 と、クー子の言葉の昔は、神々にとっても割としっかり昔話だ。

 そんな時、霞比売かすみひめは、蛍丸をじっと見つめていた。鼻を舐めたり、背を伸ばしたりしながら。

 緊張を和らげてもらうための行動をとりつつ、見つめる。これはイヌ科のボディーランゲージである。


「かすみん、ご飯楽しみ?」


 と、山眠毘売やまたべのひめは訊ねる。そう、要求の意味だったのだ。


「い、いえ。そのようなことは……」


 霞比売かすみひめはそう言って顔を背けたが、山眠毘売やまたべのひめにはバレバレだったのだ。

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