第144話・雪狼

 ところで、クー子と一番最初に一対一の話ができた稲荷ではない神は、大口真神である。なにせ、狐と狼で接することができる神。人嫌いのクー子にはちょうど良かったのだ。


 そんな彼女には、隠された名前があるのだ。それが、山眠毘売やまたべのひめである。

 大口神族では、白狼は少しだけ特別扱いをされる。それは、この山眠毘売やまたべのひめの特徴によるものだ。


「わおーん!」


 冬の季語に、こんなものがある。山眠る……。それは、駆ける命たちが冬眠をして、雪や落ち葉が音を吸い尽くしてしまう静寂によるものだ。すなわち、彼女の白い体毛を表していた。


「む!? これは、毘売ひめの鳴き声である」


 真神と呼ばれるのを良しとしない。偉そうで恐縮する。また、山眠やまたべには抗議したい部分がある。冬でも、自分はバリバリ起きているぞと。

 だから、単純に毘売ひめと呼ばれていた。彼女だけであるから、これが高天ヶ原たかまがはらでもまかり通っている。


「そろそろ帰ったほうがいいんじゃない?」


 と、クー子は霞比売かすみひめに言うも手遅れであった。


「いや、あのお方は来るでしょう。なにせ、クー子様の社です」


 この、山眠毘売やまたべのひめ、非常に寂しがりである。常に全国を回って、大口神族一人一人に会って回っているのだ。

 そして、今回は稲野を訪れた時に霞比売かすみひめがいなかった。会えないのは寂しい。となれば、即痕跡を探す。

 山犬とはニホンオオカミのことである。狼とは優秀な狩人、追跡は狩人の十八番だ。


「そっか、じゃあ……」


 息を貯めて、クー子は号令を発する。


「ほたるん! お昼一人分追加! クルム大佐、みゃーこ元帥! 歓待準備!」


 またしても、和魂のノリの良さが発揮されたのである。

 しかしとて、大佐と元帥が埋まってしまった。


「クー子様はなんなのですか!?」


 よって、ふざけ半分で聞く霞比売。


「二等兵である!」


 自信満々に答えるクー子。あろう事か、一番下の階級を名乗ってしまったのだ。


「「サーいえっさー!」」


 そして、案外ノリノリ和魂文化に染まっているコマ組みは華麗にこれをスルー。


「あれ? 二人が上官では?」


 第二次世界大戦のゴタゴタで紛失されたとされる蛍丸は、軍の階級をよく知るものの。


「そうなの?」


 クー子は、ただノリで言っていただけである。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 わずか五分後、幽世かくりよの外に出たクー子達のもとに、その毘売ひめは来た。

 風のように颯爽と……と、人には見えるものの隠密行動を千年近く続けている神基準ではとてもやかましく。それはもう、クー子達の目にはドドドと土埃を巻き上げているようにすら見えた。


 現れたのは白銀の大狼。流れるような美しい毛並みに、金色の瞳をした女神だった。

 神である。美しいことは、当たり前と言って過言ではない。だが、それ以上に存在がしっちゃかめっちゃかだ。やかましく現れたのに、何故か自分はデキる女ですといった静謐な空気をまとっている。


 一歩踏み出して、人の姿へと早変わりした。

 切り結んだ唇を僅かに開け、息を速く吸い込んだ。

 流していた目を、喜色に染めていき、そして強く一歩を踏み込んだ。


「くぅちゃああああああああああああん!」


 女神、ダイナミックエントリーであったのだ……。


「ひめちゃん様!?」


 飛び込まれるとは思っていなかったクー子は驚いた。

 だが、手加減はしっかりとされていた。自らの力が大きいことを自覚し、クー子が受け止められるように飛び込んだのだ。


「噂たくさん聞いた! 偉いねー! すごいねー! よーしよしよしぺろぺろー!」


 そして、押し倒して口の周りを舐めたのだ。

 これは、イヌ科神族の礼儀正しい挨拶である。尻の嗅ぎ合いについで礼儀正しい。

 意味はこうだ。敵意なし、遊ぼう。


「わぷっ! やりましたねー! お返しですー! うりうりー!」


 今度はクー子の方からやり返す。山眠毘売やまたべのひめは、イヌ科全開で接するべき相手なのだ。


「はや! つよっ! くぅちゃん強くなった!?」


 大口神族は、殺し合いは嫌いだ。だけど、戦いごっこは大好きである。

 痛くない攻撃をお互いに当て合い、その速さや狡猾さをたたえ合う。それは、遊びであると同時に訓練なのだ。いざという時に、大切なものを守るための。


「なんか、この前言われました!」


 と……そんな訓練兼遊びの結果である。クー子は山眠毘売やまたべのひめを押し倒していた。


「我らが毘売ひめが負けるとは。流石クー子様……」


 この場に、それを止めるものは居ない。イヌ科女神三柱。すなわち、その場ではイヌ科文化が優勢だった。


「もう、この姿じゃ、敵わないか……」


 山眠毘売やまたべのひめの真価は狼の姿である。その姿であれば、まさに戦神だ。


「まぁ、こっちは私のほうが得意ですよ! それに、本気で力を入れられたら、術を使わないと……」


 そう、攻撃がかわせないときや、当てる瞬間はお互いに力を抜くのがルール。怪我をしないように気をつけているのである。


「術使われたら、狼じゃないと勝てないじゃん!」


 山眠毘売やまたべのひめはそう思った。クー子はそのくらい術師として、強い部類なのだ。


「そうですかぁ?」


 実感がないクー子。山眠毘売やまたべのひめとの戦いごっこは久しぶりだった。


「そうなんです!」


 と、山眠毘売やまたべのひめは断言したのである。

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