第143話・百合前線

 ところで、稲荷と大口神族はその成り立ちがゆえに仲が良かったりする。一緒に畑を守った仲なのである。

 日本の狐にエキノコックス属条虫が宿るようになってからは余計である。野良だと、人間と触れ合うのが難しいという嘆きも共有できるようになったのである。


「霞ちゃん! ひめちゃん様はお変わり無い?」


 だから当然、クー子もその神族を気にかけている部分が有る。


「あのお方に変わりがあるとすれば、次の日には槍が降るでしょう!」


 と、大口霞比売は笑った。その笑顔には、多少凶悪に見える部分もある。なにせ、巨大な山犬である。だが、可愛らしさもあるのだ。ゆえに、山わんこである。


「ま、そっか! 山林最強だもんね!」


 大口神族は山林では敵なし、個々の強さもさる事ながら、連携が凄まじいのだ。


「然り! 我らの群れは山林の覇者でありますゆえにて!」


 しかも、大口神族と言うのは信仰すらあるのだ。よって群れの規模が、普通の狼とは桁違い。基本的に狼は15頭以上の群れになることはない。だが、この大口神族と言うのは一つの群れだ。その総数は4000にも登る。信仰というのは、統率の要である。それは、群れの最大数を劇的に拡張するのだ。国家という群れプライドはそうして成り立っている。

 一度限り復活する神狼の一個旅団。それが大口神族の総戦力だ。控えめに、人間族の国家を殲滅し尽くすほどはある。


「こんなに、かわいいのにねー!」


 と、クー子はまたしても霞比売かすみひめを撫でくりまわした。

 狐基準の美醜感覚はイヌ科神族全体にある程度通じるのである。ただ、人間で言うところの別人種と感じるくらいだ。


「わぅん! ご自覚ください! クー子様は、それが上手なのです!」


 事あるごとに、快楽を伴う撫でくりまわしを受けては霞比売かすみひめもたまったものではなかった。

 そんな様を、少し羨ましそうに見ていたのは渡芽わため。といっても、取られたという感覚ではない。むしろ、霞との触れ合いを羨ましく思っていたのである。


「む! そこな稲荷の愛し子よ! 我が毛並みに惹かれるか?」


 毛並み、それは人間以外の哺乳類にとっては褒められて嬉しい部分である。


「ん!」


 神の毛並みが美しくないわけがない。それに、渡芽わためはクー子というイヌ科神族に助けられて育った。イヌ科神族は渡芽わための中で最初から好感度のブーストを受けているのだ。


「近くへ寄れ! 愛でてくれるわ!」


 霞比売かすみひめ霞比売かすみひめ和魂にぎたまである。基本的に他人への好感度は高いのだ。


「ん!」


 渡芽わためは目の前まで行った。


「我が名は、大口霞比売おおくちのかすみひめ。よしなに!」


 と、言いながらその霞比売は、渡芽わための後ろへと回り込んで尻を嗅いだのである。


「ひゃ!?」


 思わず渡芽わためは声を出して飛び退いた。


「なぜだ!? なぜそのように恥じらう! 名を、そして、こちらを嗅いで返さぬのか?」


 ぽかんとしたような声で言うが、渡芽わためには霞比売かすみひめの顔が見えない角度。クー子には彼女が笑っているのが見えた。つまり、からかっているのだ。


「人族は、そのような場所を恥ずかしがります」


 と、蛍丸。

 それに、クー子は悔いた。蛍丸、イヌ科の表情で最もわかりやすい笑顔すらまだ見分けられないようである。だから、もう少し狐姿の自分も見せるべきであったと。


「霞様は、クルムをからかっておいでです。元人の神とも親交があり、霞様はそのようなこともご存じですよ」


 と、みゃーこが耳打ちで蛍丸にネタばらしをした。

 そんな折、近くにいたクー子は霞比売かすみひめに目を合わせて言った。


「あんまりからかっちゃダメ!」

「すみませぬ。本当にあれが人の恥じらいの表情なのかと、確かめたくなってしまったのだ。ただ、大口神族同士であればこれが常識なのだぞ!」


 稲荷はかなり、人間化している。それは、化けるのが得意な神族であるがゆえに人間の姿で過ごす時間が長いからだ。

 霞比売かすみひめは、ずっとそれを確かめたくても仕方なかったのだ。


 イヌ科神族となった、渡芽わためにはアポクリン腺が存在する。ここからは、気分に応じたフェロモンが分泌されるのだ。

 渡芽わためから、霞比売かすみひめは恥じらいの匂いを感じた。これにて、霞比売かすみひめは実証実験に成功したのである。渡芽わための生い立ちは非常に珍しい、万年に一度ほどだ。よって、イヌ科神族にとってとても貴重な観察対象にもなってしまうのだ。


「クルム、許してあげてくれる? 確かに、大昔は私もやってたの……」


 クー子も野生時代はもちろんやっていた。狐同士もアポクリン腺を嗅ぎ合う挨拶があったのだ。


「クー子……が?」


 と、なればと、自分もと渡芽わため霞比売かすみひめの後ろに回った。ただ、人間の要素がある姿では恥ずかしかったので、狐になってからだ。


「む、無理しなくて良いのだぞ!?」


 渡芽わためは、霞比売かすみひめの尻を嗅いだのである。


「わからない……」


 と、チベットスナギツネ化する渡芽わため


「ま、そりゃそっか!」


 渡芽わためが狐生まれでないからである。でも、それは言語といっしょ。学べば誰でもできるようになるものだ。

 とはいえ、廃れた文化を教えるかどうかはクー子も心から悩ましかった。


「他……の、挨拶……知りたい!」


 と、渡芽わためはやはりイヌ科神族に好意的だ。文化を理解しようとする。


「では、そうだな! 口の周りを舐めるのだ! イヌ科神族は、欧米的だ!」


 そう、犬の挨拶は肉体接触が多く、欧米の文化圏がこの影響を受けている。


「ん!」


 そして、渡芽わためは控えめながらも、霞比売かすみひめの口周りを舐めたのである。

 女神同士であった……。

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